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【昭和平成芸能スクープの裏】演歌界のドンが“消された”真相ーー1986紅白歌合戦 北島三郎降板事件
取材・文=本多圭(芸能ジャーナリスト)
“原譲二”名義で
曲も提供
日本を代表する演歌歌手は誰かと問われたら、どう答えるだろうか。藤あや子、石川さゆり、若手なら丘みどり、氷川きよしの名前が挙がるかもしれない。だが昭和の演歌をリードをしてきたのは間違いなくこの男──“サブちゃん”こと北島三郎だろう。
高校を中退し都内で3曲100円という流しの歌手をしていた頃、作曲家の船村徹と出会い門下生に。1962年のデビュー曲『ブンガチャ節』は卑猥な歌とされ発売1週間で放送禁止となったが、次に出した『なみだ船』がヒットし頭角を現した。翌年には紅白歌合戦に初出場、その後は『兄弟仁義』、『帰ろかな』、『函館の女』がヒットし、日本演歌界の頂点に立った。ところがそんな中、スキャンダルが突如浮上する。時は1986年。北島に暴力団との黒い交際が発覚し、その年の紅白歌合戦を降板させられたのである。北島の紅白不出場は、初出場から勇退まで、この1度しかない。
「86年の紅白には北島と、弟子の山本譲二の出演が決まっていたが、前年の85年に稲川会の新年会に出席していたことが発覚。北島と山本の2人は紅白本番の2日前に降板させられた。代わりに北島と同じ船村徹門下生の鳥羽一郎が選ばれたんですが、鳥羽も過去に暴力団の会合に出ていたことが発覚したため自ら辞退を申し入れた。最終的には角川博とシブがき隊が代役を務めたんですが、ゲスト審査員に決まっていた演出家の蜷川幸雄が北島と山本を降板させたNHKを批判して、本番当日に審査員を辞退。騒動は拡大したんです」(元キー局関係者)
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