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【フォト・ドキュメント】パンクムーブメントの軌跡【第16回】

東京ロッカーズより始まった日本のパンクシーンに新たに誕生した“ポジティブ・パンク”。それは80年代半ばに隆盛を極め、のちのヴィジュアル系に繋がるルーツとも言われている。その最先端で活躍していたバンドの真相に迫る。


「ポジティブ・パンク」の旗手
サディ・サッズ
新世代の誕生

サディ・サッズの中心メンバーSAD。顔面白塗りだった(1984年)



ストリートの新しい波


〈ひとまとめにハードコア・パンクバンドと呼ばれていた新しいバンド群の中から、様々な方向性と可能性をもったバンドが次々と台頭してきている。その中でも最も注目に価するのがサディ・サッズだ。(中略)サディ・サッズのサウンドは、無機的で強靭なリズムを全面に打ちだしたアグレッシブなもので、クルプスやノイバウンテンなどのドイツ・ニューウェーブと親近性を持つ〉(「ミュージックマガジン」84年3月号・連載企画「地引雄一の現場報告」から抜粋)。
 
 83年末ごろ。ストリートシーンが多様化してきたことによりハードコア・パンクが新しい波として生まれ、ギズムやガーゼ、ラフィン・ノーズなどのバンドが台頭してきていた。
 そんななか、ハードコア・パンクの反勢力として生まれたロンドン発祥の“ポジティブ・パンク(通称ポジパン)”を、ヴィジュアル系の元祖とも言われているオート・モッドのジュネがストリートシーンに持ち込んだ。

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