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コザ暴動 “ニホン”がアメリカに喧嘩を売った日

本土復帰決定も残れた「不穏な空気」

「さどー、さどー」

 誰かが扉を激しく叩きながら、戸外で叫んでいる。

 寝床に入っていた大城貞夫(70・取材時)は、薄れゆく意識の中でその声を聴いた。時計の針は午前2時を指していた。大城は、記憶に残る声の主が「さだお」という自分の名前を呼んでいるのだとはっきり自覚するまでにしばらく時間がかかった。だが、次の言葉で完全に覚醒した。

「いくさが始まった」

 1970年12月20日、沖縄・コザ。

 極東最大の米軍基地「嘉手納飛行場」のゲート前に位置する〝城下町〟で発生した動乱は、「コザ暴動」と呼ばれた。前年、日米両政府は沖縄の72年での本土復帰を決定。時の佐藤栄作首相は、この「政治的果実」を手に、ノーベル平和賞を受賞した。しかし裏腹に、「アメリカ世」と呼ばれた米軍統治の時代の終焉を前にした沖縄には、なお不穏な空気が充満していた。

 68年、嘉手納飛行場にB52爆撃機が墜落。69年には基地内で猛毒「VXガス」が漏出する事故が起きていた。ベトナム戦争における米軍前線基地となっていた沖縄は、文字通りの戦時下にあった。

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