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【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】鹿児島県徳之島の加万答(カマントウ)洞穴墓

亡骸を洞窟に安置し自然に還す

 森の中を奥深く進んだところにある洞穴の中には、無数の頭蓋骨が並べられていた。頭蓋骨の両目の部分にはポッカリと穴が開き、下顎は外れている。洞穴には、これらの頭蓋骨から発せられていると思われるカルシウム臭とカビ臭い匂いが充満していた。

洞穴の中に並べられている頭蓋骨。奥には割れてしまった頭骨が積み上げられていた

 奄美諸島や沖縄諸島など琉球諸島に属する島々には、人間の頭蓋骨が安置されている洞窟や洞穴が数多く残されている。遠い昔、島々で暮らしている人たちは、とても貧しかった。墓を造ることができなかった場合、その亡骸は、洞窟や洞穴に葬られていた。『爆葬』という。

 亡くなった人を土葬した場合、死後3、5、7年などの奇数年に遺体を掘り起こした後に海水で洗浄し、酒で清めてから、瓶の中に納めるなどして洞窟や洞穴に安置していた。この方法は、”亡骸を自然に還す”という考え方に基づいている。洞窟や洞穴にある墓地のことを「風葬墓」という。

 鹿児島県・徳之島の天城町に『加万答(カマントウ)洞穴墓』という風葬墓がある。島の北西部の海岸線近くに作られたこの墓地は、3カ所に分かれている。一番規模の大きいものが南側にあり、他の2つは、その少し北側にある。どれも急な斜面の中腹に位置しているのが特徴だ。 

現在では火葬が一般的となったが戦前までは一部で風習は残されていたという
重要な文化財として洞穴墓は大事に保存されている

 島に伝わる伝説によると、その昔、「とうまんしゅう」と称する人が亡くなった際、その亡骸をこの近くの墓所に葬ったという。この人物はとても偉い人で、ひたいに『角』が生えていたという。『加万答洞穴墓』との関係は定かではないが、いつ頃からこの風葬墓に頭蓋骨が安置されているのかは、今でも分かっていない。最も南側にある風葬墓には、厨子式石祠や木製厨子枠、南蛮壷、水かめ用壷などが残されていることや、頭蓋骨の表面が風化してボロボロになっていることを考えると、かなりの年月を経ていると推測することができる。

 天城町で暮らしている人たちは、『加万答洞穴墓』に近づくことを避けているという。このような場所に近づくと「祟りにあう」と思われているからだ。子どもたちが遊びに行こうとすると、大人たちが激しく叱ることもあるという。人知れず安置されている無数の頭蓋骨は、永遠の眠りの中で土に還っていくのを待っている。

花が添えられていた。今でも訪れる人がいるのだろうか
頭骨以外は雑骨として処分されることが多いがなかには大腿骨も
ツボの上に並べられた3つの頭骨
島に住む人々は古より自然と共生してきた

※この連載記事は初回のため無料公開とさせていただきます。

著者◎酒井透(サカイトオル)
 東京都生まれ。写真家・近未来探険家。
 小学校高学年の頃より趣味として始めた鉄道写真をきっかけとして、カメラと写真の世界にのめり込む。大学卒業後は、ザイール(現:コンゴ民主共和国)やパリなどに滞在し、ザイールのポピュラー音楽やサプール(Sapeur)を精力的に取材。帰国後は、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)の専属カメラマンとして5年間活動。1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の犯人である宮崎勤をスクープ写する。
 90年代からは、アフロビートの創始者でありアクティビストでもあったナイジェリアのミュージシャン フェラ・クティ(故人)やエッジの効いた人物、ラブドール、廃墟、奇祭、国内外のB級(珍)スポットなど、他の写真家が取り上げないものをテーマとして追い続けている。現在、プログラミング言語のPythonなどを学習中。今後、AI方面にシフトしていくものと考えられる。
 著書に「中国B級スポットおもしろ大全」(新潮社)「未来世紀軍艦島」(ミリオン出版)、「軍艦島に行く―日本最後の絶景」(笠倉出版社 )などがある。