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【昭和平成芸能スクープの裏】昭和のセックスシンボル 松坂慶子「深作欣二愛人時代」と「父との15年銭闘」(芸能ジャーナリスト・本多圭)

エロティックな
バニーガール

母親役などをこなすバイプレーヤー女優として、第一線で活躍している松坂慶子。いまも色気は健在だが、若い頃の松坂のセクシーさは団塊世代の男を文字通り虜にした。

「豊満なバストが魅力で、セックスシンボル的存在だった。芸能人だけでなく、当時、映画界の巨匠も虜にしたのです」(ベテラン芸能ライター)

その「色気」を語る前に、まずはその経歴を追ってみよう。

松坂は、1952年7月20日に韓国人の父と日本人の母との間に誕生。中学2年の1966年に劇団ひまわりに入団し、翌年、『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』でテレビ初出演を果たした。71年には映画『夜の診察室』で主演予定の女優・渥美マリが「もう肌を出したくない」と降板。代役で映画初主演の座を掴んだ松坂は、この映画で知的セクシー女優として注目を浴びた。73年の大河ドラマ『国盗り物語』でさらに知名度を上げた松坂は、79年に公開された映画『配達されない三通の手紙』で体を張った小悪魔演技を披露してトップ女優の座についた。さらに同年のドラマ『水中花』では、主演だけでなく主題歌の『愛の水中花』を劇中でエロティックなバニーガール姿で披露。決して歌は上手くなかったが、歌手としてもブレークした。

ところがその裏ではスキャンダルも浮上していた。ウエスタン歌手として知られた故・小坂一也さんとの熱愛騒動だ。

「小坂一也とは74年に放送されたドラマ『阿蘇の女』での共演がきっかけで急接近したんです。ところが当時、小坂は清純派女優として大人気だった十朱幸代と恋人同士だったことは公然の事実で、いつ結婚するのかと注目されていた。その小坂が松坂に夢中になってしまった。松坂は、十朱と小坂の婚前同居を解消させて、小坂と同居をはじめたと騒がれたのです」(当時を知るワイドショー関係者)

実はメディアがいまも多用する“略奪愛”という言葉は、松坂と小坂さんの関係についてこの当時使われたのが最初だ。十朱幸代というこちらもトップ女優との三角関係はやがて、思わぬところに飛び火する。

「この件に激怒したのは松坂の父親でした。『付き合いをやめるか、親子との縁を切って、結婚するか。どちらもできないなら死ね!』と怒りを松坂にぶつけた。父親の激高で世間から“悪女扱い〟された松坂は泣く泣く、小坂と別れた。ところが騒動の渦中にいた小坂は十朱とも破局。彼女たちの男のファンは喜んでいましたが……」(前出ワイドショー関係者)

その騒動後は心機一転か、松坂は松竹専属女優になり、1980年代には『蒲田行進曲』、『人生劇場』などの名作映画やテレビドラマに出演。81年に日本アカデミー賞最優秀主演女優を皮切りに、賞を総なめした。

「あの人に家庭を
メチャクチャにされた」

さて、女優としての地位を固めた松坂慶子だが、いつも世間の話題になったのは「恋多き女」の素顔だった。小坂さんのみならず、噂に上った俳優や有名人は数知れず。松方弘樹、勝新太郎、大和田伸也、藤岡弘、五木ひろし、高橋英樹に至っては根も葉もない結婚説まで報じられる始末だった。「映画プロデューサーの奥山和由とも関係があったらしい」(映画ライター)し、「芸能レポーターの石川敏男が松坂との関係を吹聴していた」(元芸能ライター)とも囁かれた。要するに世の男すべてが松坂慶子に憧れていたということなのだろうが、そんな浮き名のなかで特に印象に残っているのは、映画監督の故・深作欣二さんとの不倫騒動だ。

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