【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】愛知県豊川市の「琺瑯看板研究所」
1500枚あまりのホーロー看板
懐古マニアや古物収集マニアなどから悲鳴が上がっている。愛知県豊川市にある「琺瑯看板研究所」 が突然閉鎖されてしまったのだ。同研究所には、佐溝力(さみぞちから)さんが長年収集してきた1500枚あまりのホーロー看板が展示されていた。これまでに集めてきたものを合わせると6000枚に登る。
ホーロー看板というのは、鉄を使って作られた看板で、光沢のある塗装や印刷で仕上げられているのが特徴だ。『オロナミンC』や『仁丹』、『カゴメケチャップ』などといったものがその代表格で、今でも地方に行くと、古い壁や納屋などに貼られているのを見かける。今回、閉鎖した理由について話を聞いた。
「私は、もう70歳を超えていますが、元気なうちに寄贈先を決めておきたいなって思っていました。ホーロー看板の収集を始めたのは、大阪万博が終わった頃になります。もう50年も前のことですよね。当時は、トラックの運転手をしていました。旧道沿いにある民家がどんどん壊されていくのを見ていて、(琺瑯看板も)いつかはなくなってしまうことでしょうからと、自分の車に乗って集めに行くようになりました。最初は、キャッチコピーの効いたものから集めていましたね。ネットオークションでも集めました。55歳で会社を辞めているのですが、もうすべてのお金をつぎ込みましたよ(笑)。金額は、4桁はいっているんじゃないかと思います」
「これまでに集めたものは、北名古屋市の歴史民族資料館に寄贈することにしました。商店街や焼肉屋などに貸し出しているものもありますが、コロナ終息後に集めてきて寄贈することになります。古いものは、特に好きですね。味がありますし、〝隙〟があっていいですよね。普段私は、高齢者施設で高齢者向けのグループ回想法をやっているんですよ。そこで使えるようなものは残しておいて、全部寄贈することになります。寂しさのようなものはないですね。まだまだやらなければいけないことがあるんです!」
お年寄りを元気に
佐溝さんは、長年、仕事やボランティアで福祉関係の業務に携わってきた。今後、活動の主軸を「高齢者向けのグループ回想法」に移すと言う。「琺瑯看板研究所」 は閉じることになるが、自宅には、まだまだ昭和の時代に作られたものが残されている。これらものを高齢者施設に持ち込んで、脳の活性化を計っていくという。お年寄りは、昔、自分自身の目でかつて見たものを目の当たりにすると、生き生きとしてくるからだ。
「ホーロー看板以外にも、昔を思い起こさせるものはたくさん集めてきましたね。昭和歌謡のレコードや蓄音機もありますよ。代表的なものにはなりますが、100枚くらいはあります。手打ちのパチンコ台もありますね。ビクターレコードの犬のディスプレイやペコちゃんのそれもあります。昔の薬箱やたこ焼き器、卵を薄切りするようなものもあります。お年寄り同士が共感できるようなものは、残しておきます。ここで再スタートなんですよね。「昔の思い出博物館」としてやって行きながら、最後のご奉仕をしたいと思っています」
ホーロー看板が誕生したのは、明治20年代のことになる。テレビや新聞などが家庭に浸透するようになる前の昭和50年代まで、商品広告デザインの代表格として使われていた。屋外掲示用として駅やバス停、商店の店先、塀、電柱などに掲げられていたので、覚えている人も多いと思う。
現在、見られるようなホーロー看板は、ボロボロになったり錆びてしまったりしているのがほとんどだ。それでも人々の目を引きつけるのは、その個性的なデザインやキャッチコピーに魅力があるからだろう。レトロなデザインからは、昭和の流行や世相、暮らしぶり、企業の変遷などをうかがい知ることができる。日本の広告文化史を考える上で大変貴重なものだ。
多彩な彩りを持ち、哀愁を感じさせるホーロー看板。佐溝さんの功績は、あまりにも大きい。日本の文化を伝えていく上でも大変重要なものになっている。