小柳ゆき、倖田來未、あゆ。輩もギャルもみんなここに集まった……真夜中のドン・キホーテ【鈴木ユーリ「ニュートーキョー百景」】#8
全国9000万人のドンキファンにまずお伝えしないといけないのが、至るところに徴(ルビ・ドンキ)あり、都心には種々(ルビ・さまざま)なる意匠のドンキがあるということである。
都内にきたらぜひ観光をおすすめしたいのがドン・キホーテ白金台店、通称「プラチナドンキ」だ。ひとたび建ってしまえば、その土地すべてを俗へ帰すドンキが、あの黄色と赤の配色を純白一色にかえ、初の景観条例を意識した店舗は、独自の存在感で白金台交差点に鎮座している。
外観からして素晴らしい。「プラチナ」というより、新庄剛志の総セラミック歯を思わせるカラーリング。しかもその中央にドンペンくんがゴールドに輝き、期せずして白金に巣食う幸福の科学のカラーリングとマッチしてしまってるところも芸術点が高い。
ドンキ初の高級志向の実験店舗として2019年にオープンしたが、店内に入っても紀伊國屋や成城石井に来たような気分には決してならないのもすごい。ドンキはやはりドンキ、奥の生肉コーナーでこれ見よがしに松坂牛を売ってる以外は普通にドンキでなのである。いつも肉の3分の1には「20%OFF」のシールが貼られている。
同じ高級志向でも、『ガイアの夜明け』で紹介されていた中目黒店は好きになれない。おそらく芸能人遭遇率のもっとも高いドンキ、という事実が物語っているように、あの街のように気取り腐った都内ワーストのクソドンキだ。「目黒店もブランドコーナーすごいっすよ」と友達が教えてくれたが、秋刀魚でも売ってりゃいいものを、いかにもお洒落ぶったアホや小金持った豚しか住んでない23区ワーストのクソエリア・目黒らしい逸話だ。
会長が「愛している」という渋谷店も、移転してもかわらず、ハロウィンの際に便所を着替え用に貸し出すなどの慈善行為が素晴らしい。個人的には通りの向かい側にあった旧店舗のほうが好きだった。前にちょっとした広場があり、クラブ前に景気づけてる若者や、カオスってるとこがお気に入りだったし、知り合いにもよく遭遇した。
「オレ猫飼ったんスよ」
夜中にレジであった時、激安のエサを片手に、彼女と一緒に嬉しそうに言ってきた大志は、結局ちがう年上の子と結婚し、その後カリスマ夫婦インスタグラマーとなった。奥さんがホストにハマってからも、しばらくは仮面夫婦を演じて白々しいインスタをアップしつづけていたが、最近離婚したと聞く。大志は川崎北部のとても真っ直ぐなヤンキーで、実にドンキらしいエピソードである。
「地方のドンキっぽい」と言えば、誰もが何か芯を食ったようなことを言ったような気分になれる時代があった。いつしか非ヤンキーからの蔑称としてクリシェとなった。
もうみんなおぼえていないと思うのであえて記すが、「地方のドンキ」の発祥は小柳ゆきの登場をメルクマークにする。『あなたのキスを数えましょう』で1999年にデビューした彼女は、そのころ宇多田の後発で雨後の筍のように乱立していた和製ディーバの中でもとくに異彩をはなっていた。異彩というか、彼女に感じていた違和感の正体は、「デビュー前に大宮のドンキでバイトしていた」というエピソードにより、「あれは黄色と赤の色彩だったんだ!」と全国民が腑に落ちた。
翌年にデビューした倖田來未は、あえてその層を狙ってるあざとさが鼻についたが、写真週刊誌に中居くんと撮られたことによりグッと信頼感が増した。
でもやっぱりドンキの歌姫はどこまでいってもあゆだと思う。彼女やエクザイルの曲を、エアロと電飾を完備したワゴンRやセルシオのウーハーで鳴らしてそうなヤンキーが夜な夜な集まる場所、というイメージが00年代、ドンキに定着しきった。令和の現代はちゃんみなの声がよく似合う。
都内で治安の悪いドンキといえば、10年ほど前までは六本木店がずっと王座に君臨していた。店の前には本当に輩しかいなった。
そもそも会長が思いついた「屋上にジェットコースターを設置する」という会長らしいアイデアを、地元住民が反対して訴訟まで起こったいわくつきの店舗である。向かいのロアビルでフラワー事件が起こるまで、外苑東がはちゃめちゃだった頃までは凄みがあった。隣のビルも一階にはすしざんまい、二階にはガスパニックが入り、通りには音楽が漏れまくり、さらに上階の高級キャバクラから客とキャバ嬢が出てくる、という六本木ならではの光景が眩しかった。
当然、毎週のように喧嘩がおこる。たいがいは揉めすぎて追い出されたガスパニックの酔客で、罵声と拳がとびかうドンキ前ファイトクラブは、「またかよ」とうんざりした顔の麻布署の警官が駆けつけるまで終了のゴングは鳴らない。向かいではロアビル前にチャラ箱へと繰りだす“パリピ”たちが長い行列をつくり、横づけされるヴァニティのハマーのリムジンからは、ゴールドをブリンブリンにつけた外タレが降りてきてフラッシュが焚かれる。毎週末が祭りのようだった。
ハロウィンだって、いい加減なやつらが「2010年代中頃、渋谷発」だとかいい加減なことを言ってるから記しておくが「2010年初頭・六本木発」の祭事である。
あの頃の六本木のハロウィンは最高だった。男は不良か遊び人、女はモデルか今でいう港区女子しかいなく、あとはチャラい外人だけ。善良な市民などどこにも見当たらなかったが、遊び人が本気出すと本当にすごかった。
ナッツやエッグのモデルたちが、本気の白塗りスカルメイクの花嫁姿で連れだってクラブに繰りだす。亀甲縛りになった輩が奇声をあげながらベンツを箱乗りで通りすぎる。まだ中央分離帯がなかった外苑東通りでは、警察の声など誰もきかずに車道までいっぱいに人があふれ、同時多発的テロのようにそこここで喧嘩が起きて逮捕者続出。
「いやあ、最高だったね。あんな街はなかなかないよ」
こないだストリートカメラマンの篝一光さんも言っていた。
おれのノスタルジーだけでなく、半世紀も繁華街や色街の裏表を撮り続けてきた篝さんが言うんだから、それはもう歴史の証言だ。涙が出そうだった。街の「最高さ」をわかってくれる人は、実は驚くほどすくないから。
六本木自体に閑古鳥が鳴いてるコロナ以降の現在は、店の前のガードレールにキャッチのナイジェリア人やアジア人観光客がたむろすばかりになってしまったけど、往時の残り香はかぐことしかできない。
ゆえに2020年代の現代の東京を代表するドンキといえば、やはり新宿店しかないと思う。職安通り沿いに建つそれは、シャンゼリゼのヴィトンの旗艦店のような風格がある。
『パッサージュ論』は読んだことないけど、読まなくとも言いたいことはわかる気がする。あの分厚さでベンヤミンはきっと新宿店のことを語ってたんだろうと。