【YouTubeのおとぎ話】The Shins 'New Slang'
それは午前3時で、イラクにいた。
一年間、家族に会っていなかった。
私は眠れず、夜は更けた。
New Slangが流れ、月を見た。中東の月だ。
それからずっと、この曲を愛している。
それが私にとって、どれほど大きなことだったのか、説明はできない。
ただ、私に与えられたように、あなたにもそんな曲があることを祈って。
ー
ある日、YouTubeにこのコメントが書き込まれていたのを見つけた。
書き手はイラクに駐留していた米兵だ。
いつ死ぬともわからない緊張で眠れぬ夜更け、異国の月に母国の音楽が溶け込む安らぎを見たのだろう。
音楽がもたらす言語化し難い宝物のような何かが、この世にふと表れた、とても美しい出来事だと思う。
The Shinsは米国ニューメキシコ州アルバカーキ出身のバンドで、New Slangは一枚目のアルバム「Oh,Inverted World」に収められた。
曲を書いたジェイムス・マーサーは当時、生まれた町アルバカーキから抜け出せない閉塞感に包まれていたそうだ。
ミュージシャンは、キャリアを重ねてもけして超えられない別格の名曲を生み出してしまうことがあって、2001年に発表されたNew Slangは彼らにとっての「その曲」になっている。
当の動画で、ジェイムス・マーサーは歌った後、泣いているように見える。
誰とも繋がることのできない故郷での絶望感を歌ったという、当時のことを思い出していたのか。
今でも、イントロのとてつもなく控えめなドラムが始まると、古いハードディスクに繋がったように、初めて聞いた瞬間を思い出す。
あるいは、その時に感じていた、生きることに対する未熟な意識を、未完の初恋のように浮かべる。それは大学の一番広い講堂で、僕は広告の講義を聴き終えたあとだった。人いきれと、ノートパソコンの埃っぽい香りさえも思い出す。
特別な曲とは、そういう力を持っているのかもしれない。
悲しみと空しさの中から産まれた曲が、遠い異国で誰かを救う光になるというのは不思議なものだ。
音楽は当然、この世など変えられないのだが、その美しさを考えはじめるきっかけにはなる。
ちなみに、有名な話だがNew SlangはGarden Stateという映画で印象的に紹介されている。
ナタリーポートマン扮するヒロインは主人公にヘッドフォンを差し出してこう言う。
「この曲を聞けば、きっと人生が変わるの。誓うわ」
*記事画像はMIRAMAX社の公式サイトから引用した。
*当該記事は、過去にRolling Thunder Diary様に掲載いただいたものを増補したものである。前身のサイト含め、音楽への愛に溢れた、素晴らしいページだった。再掲にご快諾いただいたことをここに感謝する。