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野生でいこう〜競争を降りる勇気〜

ダサい、ダサすぎる私を全て曝け出すのは正直なところ、まだまだ難しい。それが本音です。そういう自分も美しさの一部ではある(と信じたい)のですが、より自分らしく幸せに生きていくことは、野生の自分を出すことかもしれない。

子どもの頃のようないつも自然に安心に包まれている生き方に近くなるかもしれないと「野生でいこう」をこれから10年の生きるテーマに決めました。

そもそも野生って何?野生で行くことが、私の心の安心や幸せにどうつながるの?そこに至るまでの過程や、2021年の1年間に体験した小さな意思決定の連続で大きな変化を得た体験したことを自分のために綴っておこうと思います。

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Photo by kinukinu




0. 野生とは? 野生児な子ども時代

私の野生の定義:生命体の’’生きやすさ’’を重視して、時に資本主義社会(競争と消費)から降りて、あるがままの満ちている状態を感じられること。

一般的な野生の定義:
① 動植物が、山野で自然に育ち、生きていること。人によって飼いならされたり栽培されたりしたものではないこと。また、その動植物。

② 転じて、人が、ゆがめられたり整えられたりしていない自然のままの状態で育つこと。野そだちであること。(日本国語大辞典より)

・・・・・・・・・
▶︎野生の対義語◀︎
野生⇄栽培 
野生⇄飼育
・・・・・・・・・


対義語から感じた私の野生と現代社会におけるイメージはこちら。

【野生⇄栽培】学校教育の中で同じ規格になるように育てられる

【野生⇄飼育】企業(組織)の中でそのルールに則って生産性をあげていく


*学校教育に反対な立場でも、組織に反発したいわけでもなく、私自身、恩恵を受けてきた反面、野生をテーマに考えたときに、このような側面も、もしかしたらあり得るのかもしれないな、と言う、あくまでイメージです。


すでに定義されている野生の定義と、私が考えている野生の定義は違うのですが、成長するにつれて人間の野生的な部分は削がれ、それに伴い栽培、飼育の過程で、生きづらさが増している気もします。


生きづらさという言葉さえ思い浮かばない子供の頃、私自身がどう過ごしていたかというと、

・田んぼの畦道でレンゲを積んで花冠を作る。
・野に咲く花を摘んで色水を作る。
・どろんこになって、泥ケーキを自宅の庭に作る。
・ミミズをとって、餌にして、近所の用水路で魚やドジョウ?を釣る
・菜の花のブーケを作る
・つくしをスーパーの袋いっぱいに取ってきてお夕飯のおかずにする
・5歳くらいから毎年家族で海キャンプに出かける。
・海の岩場や沖合で魚釣り
・砕石置き場で遊ぶ
・運動場に突っ伏して石英(水晶/紫水晶)を探す
・海でビーチコーミングという名の宝物拾い
・芋掘りをした後の学校の畑に放課後友達と行き、また芋掘りする

etcetc


学校以外は、友達と一緒に、自然の中で遊んでいました。それが自然の中だったという自覚もなく、過ごしていました。私が幼少期を過ごした岐阜県や沖縄県の田舎では当たり前だと思っていました。

子どもの頃に何をして遊んでいたか?を思い出すと常に自然がどこかに関わっています。

もちろん、友達の家のファミコンでマリオやスーパーマリオでマリオカートをすることもありましたが、そう言った意味では、現代っ子というよりは確実に野生児だったかもしれません。幼なじみたちには、保育園の時にくろんぼ大賞優勝したよね、と言われますし。(この言葉も今の時代にはそぐわないのですが、当時は、年長まで綿のパンツ一丁で夏場のプールで遊ぶというのが普通でした。)

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1) 野生が目覚める。常識から意図的に外れる。


人間が最も野生でいられる時は、いつでしょうか?

まず、生まれた瞬間。そして出産を経験した女性は子どもを産む瞬間。これが最も野生でいられる時だと考えます。


今、振り返れば、これが野生を再び目覚めさせるはじめの点(ファーストドット)だったのではないかな?と思う、2019年の第三子自宅出産の話をしたいと思います。


私には3人の子どもがいます。長女は里帰りをして病院で、長男は現在住んでいる神奈川県の病院で出産しました。病院で出産するのが当たり前だと思っていました。

そして3人目。病院で出産をせず、自宅で出産することを選択しました。なぜ自宅出産をすることを決意したのかの経緯をこちらに綴っています。(noteの別記事に飛びます。)


「普通は病院で産むんじゃないの?自宅で出産?」

「病院の方が何かあった時に安全だよ。」

実際、そういうお声もありました。でも、自宅出産によって、家族の絆を含めて得られることの方がはるかに大きいと考えていました。

実際に自宅で出産した時が、一番するりと短時間で生まれてきました。もちろん経産婦ということもありますが、自宅で安室ちゃんのDVDを見て、歌って踊って、陣痛が来たらソファーで横になって、とてもリラックスした状態で陣痛を乗り切っていました。そして、助産師さんが自宅に到着して(いわゆる病院に入院する状態)、あれよあれよというまに、子宮口が全開になりました。(これは分娩室に入る状態。)そこから20分ちょっとで生まれてきました。助産師さんが家に来てからわずか2時間の話でした。



家で産むということは、当然足を固定して広げるベットもないわけです。どんなスタイルで産むのだろうと思ったら、体が勝手に、一番楽だと思える体勢を見つけてくれるんですね。全く想像していなかった姿勢でした。

膝立ちのパートナーの首に捕まって、私自身も膝立ちで、まさに産み落とした格好になります。まさかこんなスタイルで産むとは思いませんでした。


また自宅出産の経験豊富な助産師さんが、照明も落としてくれたのですが、これがリラックス効果大でした。今まで煌々とした明かりの中でしか産んだことがないので、こんな僅かなことでもものすごくリラックスできるのかと驚きでした。

本当はここに出産当時の音声をつけようとしてダウンロードになってしまうので辞めましたが、出産後の赤ちゃんって、意外にも静かなのです。


ギャーギャーずーっと泣いていると思い込んでいました。現に病院で、母子別室だったのですが、新生児室に見に行くたびに泣いてばっかりの赤ちゃんたちを見かけていましたから。ですがオギャーと言ったら30秒〜1分くらい静かな呼吸をする。オギャーと泣くというより、呼ぶという声に近い感じでした。


ここで私は自宅出産を勧めたいのではなく、自宅出産を選ぶことによって、新しい考え方が得られたことをお伝えしたいのです。

出産は病院で産むことが唯一の方法だと思っていたことが、実はそうじゃなかったこと。常識にとらわれずに例外も含めて知り、その幅のある選択肢から自分がやりたいことを選ぶことです。

病院出産という常識を意図的に選ばないことが、私の野生、つまり、生命体の’’生きやすさ’’を重視して、あるがままの満ちているの感覚を呼び起こすことになるとは、その時は思い至りませんでした。


余談ですが、自宅出産をして、3人目にして初めて痛烈に感じたことがあります。それは、人間が生まれてくる時の秘めた力=人間性の可能性についてです。

赤ちゃんは誰も教えてもいないのに、お母さんができるだけ苦しくないように、楽に産道を通過できる方法を本能で選んで生まれてきます。

その時に思いました。人間は、どんなに大変でも、より良い方法を選んで生きる原始的で野生の力があるんだなと。

でも大人になっても遺伝子に組み込まれているはずなのに、栽培、飼育されているうちに、本来持っている野生を忘れてしまうんじゃないかなと思うのです。

自宅出産はリラックスする中で、自分の体の全感覚に集中して子どもを産む経験をさせてくれました。今でも出産直前~直後の状況を味わうために好んで思い出すほど、恍惚とした幸せな時間でした。

そして、この時の音声は、落ち込んだ時に私の心を落ち着かせ癒してくれて、人間本来の野生の力を思い出させてくれる力があります。不思議です。

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自宅出産の2時間後の写真


上2人の時は、リラックスというよりも、交感神経優位状態が不自然に保たれ、神経が昂りすぎて、産まれてくることを感じる余裕が少なかった気がしています。

自宅出産ということもあり、これ以上リラックスするこちはできないほどリラックスしていたからこそ、自分以外の生命、助産師さんの動きも含めて、クリアに感じることができていました。




2)まさか!私は人を困らせる存在?無意識の源流 


実は、2021年を通してビジネスを学んでいた天プロ*で、私が個人的に避けて、避けて、避けて通ってきた大きな壁に向き合いました。

*天プロについては、こちらをご覧ください。


ビジネス構築の場に参加しているのに、こんな個人的な問題に腰を据えて取り組むことになるとは、ゆめゆめ考えもしなかったことでした。


それは
・両親に対する想い
・頼れない甘えられない、人様の好意を受け取りきれない性格
の2点でした。

最初に断っておくと、両親からはこれ以上ないくらい愛情を注がれて育っています。

若くして結婚した両親は食い盛りの私たち3人姉弟を育てるために、お金には少々苦労したと思いますが、その分、どんな状況でも工夫して楽しむこと、学ぶ&わかる楽しさを大いに教えてくれました。3人の親になった今、彼らには尊敬の眼差ししかありません。

私の固有の気質からくる感情と思考なのだとはっきり認識したのは本当に最近ですが、両親の昔の話を聞くのも、話すのも、涙せずにはいられないのです。


詳細は割愛しますが、両親が、特に母が感じていたであろう想いを、必要以上に自分に取り込んで、まるで自分の心の痛みのように感じていたのです。私はコーチなので課題の分離という知識はあるものの、自分自身にこれを適用するという発想さえわかず、その痛みは年々増すばかりでした。

きっと地を這うような大変な思いをした父親。支えてきた母。
私は人を、特に両親を困らせることがないようにしないといけない。


そ転じて、いつしか、私は人を困らせる存在だと無意識に思い込んでいたようでした。存在しているだけで人を困らせるからこそ、誰かの役に立つことを探して、必死に自分のポジションを作り上げることをしていました。

そこから、誰かに相談する、頼る、甘えてお願いすることは誰かを困らせることだから、自分さえ我慢すればうまくいく、自分が頑張れば人に認められるという思考でいました。



こういうことを書くと、私は両親に褒められなかったんじゃないか?などと思う方もいるかもしれません。実際には両親にはたくさん褒めてほらったし、勉強を強制されたこともなければ、進路に関して口を出されたこともありません。

たとえ、大学卒業1週間前まで就職先が決まっていなかったとしても、実家に帰ってこいという一言もありませんでした。

干渉されず、のびのびと育ててもらったにも関わらず、無意識にそういうことを思い込んでいたことに気がついた時は、本当に驚きでした。


私の思い込みは他にもあり、
「人に認められないと存在していないのと同じ」
「GIVE & TAKEじゃないといけない」
とも思っていました。


この2点は、特に社会人になってから大きく刷り込まれた価値観だと思いますが、間違いなく最初の『私は人を困らせる存在』という価値観は、子供のときの体験から、なぜか今まで、こんないい歳の大人になってもいまだに手放せずにずーっと握りしめていたようでした。

これがあったからこそ、人に頼っては相手を困らせてしまう、好意を受け取りすぎてはいけない、気持ちだけにしておこう、必要以上に受け取っては申し訳ないという、反応的な行動を選びとっていたのだとやっと腑に落ちました。


一人では気がつけず、心から信頼できる友人のほしみかちゃんに聞いてもらい、指摘してもらったのですが、そこで気がついたのは、両親からどんなに良いものをいただいたとしても知らず知らずのうちに、自分自身のフィルターで、その時に生きやすいように脳内変換していたということでした。

子どもの頃は必要だったかもしれない。

でも、その価値観がもう不要になっていたり、今を生きづらくしていることにも気が付かずに、ずっと握りしめていることさえも忘れていたのです。

この価値観に気がついて、手放して新たに手にした価値観は『自然の摂理に生きる』ことでした。

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沖縄の祖母宅の屋上から見る海と虹



3)根拠のない自信の原点。温室の植物と雑草


あなたはどんな言葉を言われたら嬉しいですか?
私は、シンプルな言葉ですが、この言葉をかけられて、一つひとつの細胞がふるふる震えるほど嬉しいと感じました。

『あやのちゃんはすごいんだよ!』

たまらなくなって、うるっときてしまいました。


そう言ってくれたのは正統派理系助産師なのに、天使の声が聞こえるというゆかりん。一番言って欲しかった言葉を、代わりに言ってくれたのだと思います。

常に上を目指す競争の中で、比較しながら自分の位置を探して、安心感を得てきた人生。

例えば、小学校に入れば

・運動会で足の速さを競う。
・縄跳び大会で、俊敏かどうかを競う。
・水泳大会で、泳ぐ力を競う。
・読書感想文で文章のうまさを評価される。

中学校/高校では

・中間テスト、期末テスト、実力テストで学年の中の順位が出る。
・合唱コンクールで練習量に比較して各クラスの歌のうまさを競う。
・内申点(通知表)で生活態度を評価される。
・進学のために偏差値で区分分けされる。


大学でも同じように

・就職活動に向けて〇〇さんはもう就活始めたと開始時期を比較し始める。
・内定の数を気にする。
・内定通知が出た会社の規模やレベルを気にする。


社会人になれば、

・売り上げノルマの達成
・メディア連載や掲載の数
・イベント動員数
・顧客処理数、対応時間で評価される。


起業してからは

・集客数
・売り上げ
・社会的注目度の高さ
・実績
・メディア掲載


自分の能力、自分の凄さは全て比較の中で、常に上を目指すこと、自らを評価する人生を送ってきた気がします。

もちろん、相対的な評価の中で、スタート地点からどのくらい伸びたのかという伸び率、過去の自分に対する成長の度合いも自分を認める絶対評価も一要素だったとも思いますが、それは私にとってメインじゃなかったんですね。

コーチとして、比較するのは過去の自分というのはよくわかっているのですが、無意識に私の中に浸透していたのは、小学校に入ってから今までずっと行ってきた上を目指す競争の中での比較という物差しでした。

温室の中で常に他の植物の成長と比較されてきたイメージに近いかもしれない、とふと思います。


でも、本当の私は、何があっても揺るがない絶対的な評価の中で、自分そのものが素晴らしいということを欲していました。比較でもない、競争でもない、失敗しても、「あなたはすごいんだよ!」そう気がつかせてくれたゆかりんにとても感謝しています。


この’’すごい’’という言葉は、『あなたの存在は、あなた自身が思っている以上に素晴らしい可能性を、パワーを、エネルギーを持っているから、外からの評価に頼らずに自分を信じてもいいの!』という言葉に私の脳内で転換されます。

なぜ私がすごいのか?と思える根拠が自分の内なる自信を作っているという仮説を私は持っています。

その根拠はどのような考え方、内容でも素晴らしいと思うのですが、私の場合、根拠のない自信を作り上げているものは、家族から受け継いだ血です。

わかりやすく血という言葉を使っていますが、元を辿れば、顔も名前さえも知らないご先祖さまのDNAであり、生物の生きてきた進化の過程さえ、根拠のない自信になり得る思っています。

私は結婚においては「この両親の子供だから大丈夫!だからいつか結婚できるだろう」と思っていました。(幼馴染や親友は10代後半20代前半で結婚。私の20代は結婚の''け''の字も頭にありませんでした。)そして、たった2つの結婚条件を満たすパートナーと出会い、お付き合いして6ヶ月で結婚。

結婚、出産、育休、職場復帰、育休、転職。
さらに、起業して事業を作るとなった時には「なっちゃん(沖縄の祖母。戦争で悲惨な体験をしながらも息抜き、84歳まで利隆屋の稼業を切り盛りしていた地元の人から愛された商売人)の血が流れているから大丈夫!」と自分を奮い立たせてきました。


言うなれば、アスファルトから目を出す雑草のイメージ。どんなに環境が整っていなくても、ひとりでに芽吹き、本葉を出し、花を咲かせ、実をつけ、枯れる頃には頃には次の季節の種子がひっそりと温めている感じです。そこには、既に受け継がれている育つ力のDNAが備わっています。


「あなたはすごいんだよ」

の言葉を紐解くと、具体的に社会で評価されるような事実があるということではなく、あなたが生き抜いていくための必要な力はすでにあなたの体に備わっているという意味で解釈すると、私はものすごく元気になります。

自分に自信を持つためには、社会で評価されるスキルという名の根拠が必要というのであれば、私には根拠のない自信しかない。でも、きっとそれでいいのです。

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左から伯父(母の兄)祖母に抱かれる母、伯母(母の姉) 1960年頃



4)仕事とプライベートの統合の鍵は自然界にある!


約14年間会社員勤めをして、その後、独立。現在はライフコーチとして女性が幸せに生きるために、失敗しても歩みを止めないサポートを中心に、コミュニケーションのねじれを直す、失敗は宝ということを学生さんに向けてお話しするサービスを提供しています。

もっと簡単にいうと、航空業界向け転職支援、コーチングコミュニティ運営、キャリア教育が主な事業です。

起業当初は、仕事が楽しくて、楽しくて、土日関係なくひたすら仕事をしていました。生徒さんの喜び、夢が叶う姿もさることながら事業として当然の利益を追求する、社会に貢献する数値の上昇や達成は、アドレナリンがでる楽しみでした。仕事が遊びの感覚で、面白かったのです。


事業を始めて3年目あたりから、身体に変調をきたし始めました。頭痛がひどくなり、もどす、寝込む。3日ほど廃人のようにベットから出られずに、ひたすら寝る、それが1ヶ月に1回起きるようになっていました。


理由は集中状態からの呼吸の浅さが原因でした。常に活動的、瞬発的に行動できる、緊張感もある、交感神経優位で、休みの時間になると、副交感神経が優位になり急に血流が増えてそれが神経を圧迫することにより頭痛が引き起こされるようなのです。


そんな状況が続く中で、ある時パートナーが

『子どもの時、何をしているのが幸せだった?』

と質問をしてきました。

『家族でキャンプに行っている時。海からしか入れない福井のビーチへ小型船舶で行ってキャンプしたり、テトラポットで遊んだり、生卵投げ競争したり。楽しかったな。』

5歳の時に、マツダのファミリアという(トヨタのヴィッツのような広さ)小型車で、家族5人車中泊から始まった私のファミリーキャンプ歴史。私にとってはとても楽しい、家族と海で過ごす時間でした。

それを聞いたパートナーが、サプライズで私の誕生日にキャンプ場に連れて行ってくれたことから、再びファミリーキャンプが始まりました。2018年7月1日のことでした。

キャンプに行きながらも、なお仕事をすること、本を読むことが多いのですが、それでも自然の中にいると、深い呼吸ができるようになりました。

冬キャンプで、背中に感じる太陽の熱の暖かさに自然の偉大さを感じたり、ただひたすら焚き火の炎の揺れをみたり、マシュマロを焼いたり、自然と触れ合うことで、仕事と生活のバランスを取り戻していきました。


仕事は楽しくて好きだけど、交感神経が常に優位になりすぎて、結果頭痛になることも多いので、仕事でも成果を出しながら、闘争のエネルギーではない働き方ができないかなと常々考えていました。


結婚後に自分の家族とファミリーキャンプを始めて3年。
去年はキャンプ21泊、今年は1月から毎月キャンプに出かけています。



まだ仕事とプライベートの完全な統合はできていません。ただ、今年の夏からは、これからの私のテーマは『野生でいこう』になり、自然の摂理に沿った生き方ができることに安心しながら、呼吸も楽に仕事ができて良いパフォーマンスが生まれるかもしれないと兆しを感じています。


「自然の摂理ってことは循環よね。雨が降って、川となり海にたどりつき、太陽の熱で蒸発してまた雲ができ、雨となって降り注ぐ。

そこから育っていく植物、動物、人間。誰かに認められたから存在しているわけではない。giveしたらtakeしていいじゃなくて、give give give でも、ひたすら持っていくだけのtake take takeでも、自然界にはあり得るよね。」

ということをぼんやり考えて始めていました。


でも、実際のところ生活にどうやって落とし込めばいんだろう?と思っていた矢先、セラピスト大学のさえさんの魅力セッションで『あやのっちは、お花なんだね。

花粉を、飛び立とうとしているミツバチに渡して、ミツバチたちは、花粉という安心材料を持ってCA受験だったり、それぞれの冒険の旅に出て、エネルギー切れそうになったらまた戻って来るんだね。」とポロッと話してくれました。


そうやって、実際に自然界にある植物に自分を捉えていたことが今までありませんでした。

そこで仕事とプライベートの統合のイメージが初めて湧きました。それだったら、私の役目としてうまく循環のイメージが持てそうかも、と初めて売り上げ目標ではない、自分が作っていきたい循環型のコミュニティのイメージが見えてきました。


さえさんとのセッションで得られたものは、自然の循環型の仕事のイメージ。副産物として、今まで『急ぐ』という選択肢しかなかったのが、自分の中の時間軸がものすごくゆったり伸びて『人生のゆっくりを楽しむ』ことにちょっとだけ慣れてきた気もしています。

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おまけ(さえさんの魅力セッションを受けて分かった私の変態的な執着)

私は人が失敗からどれだけ飛躍するかの距離に、強い執着を感じています。

負け続けても、自分の気持ちに勝とうと立ち上がることが私にとっても飛躍です。

具体的にいうと、こちらのお二人のような、とにかく自分との戦いに勝つ
(たとえ負けっぱなしだったとしても)人に心を揺さぶられます。

*元中日ドラゴンズ 佐伯隆弘選手
戦力外通告を受けても毎朝6時にグラウンドに来た伝説の野球選手
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/9918

→この記事は新幹線のwedgeで見つけて今でも記事を手帳に挟んでいます。


*服部桜力士 弱すぎる力士として一躍有名に
【1勝110敗1休】2018年6月1日まで
https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=服部桜&tid=2d41343a5d4e2adc658ffc12b32a7695&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1



▶︎仕事と自分の統合へのヒント解説

CA受験という競争を乗り越える法則と自然体験との共通点は
======
・弱みが見せられること
・共に楽しむ心
======
です。

その中で、私はチャレンジしたい人(ミツバチに例えて見ましょう。)が休息できる花の役割を担うことができのではないか?とイメージを共有してくれました。チャレンジャーに、エネルギーとなる密を補給してもらう場所。

密=根拠のない自信がある世界と自分の現実をつなぐ人。

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5)46億年の歴史と進化。安心して幸せに生きる思考


10月鳥取旅行へいき家族5人で、奥出雲種子自然博物館に宿泊しました。博物館に宿泊するのは初ですが、ナイトミュージアムを家族で観ることもできました。その時地球が誕生してからの進化の年表を見てはっと気がついたことがあります。

進化とは二極に別れること。

ひたすら前に進むだけがいいのではなく、どちらの極もあることを分かったら、肩の力を抜いて自然に選べるのかもというインスピレーションが生まれました。

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熊本県博物館の脊椎動物進化の木(2020年6月2日)より


私は物事を進めるときに、一方方向しか見てきませんでした。常に前にだけに、効率の良い方に、進歩している方に、上に登る道に進む。
人生をふと振り返っても道草の多い人生だと思うのですが、特に成果が求められる学業や仕事においては、’’上を目指す’’一択でした。

でも、生命の進化の表をじっくり見ながら、一択ではなく、野生でいくためには両極の選択肢を持つことが自然の摂理に従って生きる生き方なのかもしれない、と感じました。日々少しずつ考えてきた点と点が繋がって5mmくらいの線に繋がった気がします。



この閃きから、思考や判断基準を自然界にあるものに当てはめてみると、今までと違った考え方ができたり、行動ができたり、視野を広げて解釈したり、競走一辺倒を抜け出した考え方ができるようになってきました。

最近は幸せを感じるホルモンと自然界、人間界の広がりのイメージを考えています。それが、ある意味多様性なのかもしれません。
         

この鳥取旅行から、急に自然に関する本に目が行くようになり、この2冊を手に取りました。

・脳と森
・FIELDWORK 自然と共生

しかも、変革者や新しい進化の主役は、その生物のむしろ欠点だと思われていたところから始まることが多い。
引用:稲本正、『脳と森』、WAVE出版(2020年8月)
第2章生き延びた生物からパラダイムシフトを学ぶ
-5落ちこぼれの魚が人類への道を切り開いた 〜ピンチをチャンスに〜

脳と森のこの部分には、自然界の中でも、むしろ欠点だと思われていることから進化が始まっていくという記述を見つけて興奮しました。
私自身の仕事のテーマが失敗からの飛躍なので、まさに、失敗があることで新しく道が開かれると裏付けされた気分でした。

人間性は無駄に宿る。
引用:山井梨沙、『FIELDWORK自然と共生』
マガジンハウス(2020年7月)

キャンプ用品で有名なスノーピークの現社長の著書です。これは天プロで提唱している無駄の積み上げによって、唯一無二のサービス(人間)につながるということに共通しているなと感じています。今、私が最も好きな言葉となりました。


スノーピークのミッションは『人間性の回復』


キャンプにいくことでなぜ私の人間性の回復に繋がるのか?なぜ、私はキャンプにいきたくなるのか?私なりに考えてみました。


自分にとってのしあわせの素を確認したとしても、時に、自分の理想と現状のキャップに悩んだり、不意に目にしたSNSから自分と比較して不安になったり、幼い頃の無意識の囚われからくる性格で考え込んだり、不安をかき消すために間違った方向へ行動する時があります。

その結果、ユーモアや遊び心、アートに対する興味も消えて、他人を受け入れる力がすり減り、自分や他人に対して、否定したい気持ちや怒りにも似た感情が出てきたりすることがあるのです。

これが積み重なって、実際の人間関係にヒビが入ったり(特に自分に一番近い家族との関係で)、自分の身体に危険信号が出てきて痛みというサインにつながることもありました。

そうならないために、野生でいくために、自然を感じられる場所へこれからも行き続ける。自然の中で深く呼吸して、家族の寝息を感じる。
この時が一番大切で、わたしは幸せという気持ちを感じることができる。
幸せという気持ちを保ち続けることができる。

それが人間性の回復になるからこそ、キャンプに行きたいんだなと今は考えています。

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2021年富士山を背景に朝日を眺める。



6)野生でいこう 競争から降りる勇気


野生でいこう。

野生で生きることは、競争で上を目指すのではなく、生きやすさを重視して時に降りることもあるのではないかと思えるようになりました。

>降りること
(最低思考で生きる) 反対側を知らずに一方だけを目指すことをやめる。


>生きやすさ
自分にとってなにが幸せか?


上記のベースにあった上で、さらに、家族にとってなにが幸せか?の価値観は人によって含まれてくると思っています。


自分にとっての幸せは、

・家族が生きていること
・よく寝れること
・キャンプ、ピクニック、サイクリング、散歩して自然の中へいく
・自然を感じること
 木漏れ日、木の隙間から除く太陽の光
 川のせせらぎ、波の音、小鳥の囀り、焚き火がはぜる音
 野に咲く花、アスファルトから出てくる雑草の力強さ
 田畑焼き、海風、夜のジャスミンの香り
・関わる人たちの笑顔が見れて私も楽しいこと

これがあれば十分に幸せを感じることができると認識しました。



過去には、DOMANIやVERYなどのファッション誌に紹介されるホテル、カフェ、ファッション、ライフスタイルそういうものに憧れて購入することでそれに見合う自分になった気持ちを味わって幸せを感じていると思っていたこともありました。でも、どこかに不足感を感じていました。


今でも嫌いではないけれど、消費社会の作られた幸せ感に自分の幸せをはめ込んでいたから、不足感を感じていたのかもしれません。
だからメディアのイメージの切り取りで作り上げられた理想は一旦全て、脇に置いておくことにしました。

仕事も、もちろん楽しい。稼ぐこともできていると楽しい。
やっている最中は何より熱中していたし、楽しかったけど、幸せというより、ドーパミンに近い興奮状態でした。




「幸せになりたい。」

と思って20代を過ごしてきました。



【幸せになること=夢を叶えること】

だと思い
・TOEICのスコアを上げる
・CAに合格する
・起業する、実績を作る、売り上げを上げる etcetc


幸せになることが目的だったのに、どんどん他人との競争が目的ににすり替わっていきました。

1つの正解しか見えてなかったのです。幸せになるためには競争で上に行くこと。それが一般的にみんなが目指す正しい選択肢だと思っていました。

それは、出産の時もそうでした。

病院で産む、
それ以外の選択肢を選ぶということが頭の中にありませんでした。

だから自動的に、みんなが選ぶ、常識的な道を選んでいました。
他の道があるとも知らないで。


38歳で新たに命を育む機会に恵まれて、自宅で産むという、今までにない選択肢を選ぶことをしました。

義理両親に言ったらびっくりされるだろうから(反対に近いもの)説明をし
て、私たち家族の考えを伝えました。

相手にどう思われるだろう?どんな目で見られるだろう?常識で言ったらこうだよね?という基準ではなく、自分の考え、基準、想いを大事にすることを選びました。

これが一番最初の、競争(消費/常識)から降りるターニングポイントだったと、振り返ってきて思います。

今までの自分の考え方も、誰の考え方も否定するのではありません。一見するとCA受験は競争のもっともたるものの一つですが、私の過去最長で最大の修練の期間もなくてはならない期間でした。後悔はありません。

いつか、成し遂げたいことのために、また人生に後悔のないように競争の中での修練を選ぶこともあり得ると思います。
何より、私は競争の中で努力して修正して、上を目指すことが好きなのです。


好きだからこそ最初の目的から、上を目指すことが目的にすり替わり、
いつの間にか自分を疲弊させることもあったのだと思います。


その成果、2018年から2、3日寝込む頭痛が毎月起きるようになりました。
本当に廃人で、その間なにもできない毎日。自己肯定感はだだ下がり。明日が来なければいいのにと思いながら寝た日は数えられないほどありました。


CAになるという1つの夢を叶えた結果、
ライフワークにしたいことが残りました。


・世界で生き抜く逞しさを身につける教育のために、日本の子どもたちに貢献する。


・日本の女性が、歳や経験を重ねるごとにしあわせになる社会の創出。

本当はこれが目的だったのに、自分の本当の幸せを少しずつ犠牲にしながら、実績作りと売り上げの追求が手段から目的に変わってしまっていました。

その結果、しあわせを感じることをすっ飛ばして、競争の中で結果を残す興奮に取り憑かれてしまった30代。


体の不調が出始めた37歳。対処療法かもしれないけれど、パートナーがキャンプに連れ出してくれるようになりました。


38歳になって、出産を境に段々と自分の中の幸せとは何か?を考えながら、ひとつ一つ点を打つように行動をして試すことをし始めました。

そして今年。40歳で、上限のない上を目指すだけの競争から降りるを選択することも、今までは怖くてそれを考えるだけで思考停止してしまうところから、やっと怖さが緩和されて2週間くらいで行動や決断ができるようにきました。


売り上げを落とす、やることを減らす、稼働時間を減らす、集客の数を減らす。

意図的に減らすことがどれだけ怖かったか。未知の世界だからこそ、怖かったことも多くありました。

でも減らした先に感じられたのはお金がなくても自分の幸せ度はさがらないこと。なんの影響も受けないと分かったこと。この喜びは、まさに大発見でした。

誤解がないようにお伝えしておきたいのは、私たちが生きている社会の中で競争は、良いように作用していることはたくさんあります。

価格競争、サービスの良さは競争と比較があってこそ磨かれます。
その恩恵を受けているので、競争そのものを否定したいということではないということです。


ですが骨身を削るような競争よりも、しあわせを感じながら、より人と繋がったり、関係を深くしながら目的を叶えて行ったりすることができることを認識して、自分で競争のレールに乗るか、今回は違う道を行くのか、
選択できるようにすることが私にとっての野生で幸せに生きる道だとこの10年で実証していきます。

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photo by kinukinu


7)野生にもどった、その後。

エピローグに変えて。
仕事をしながら1ヶ月かけてこの1万字を超える自分のための文章を書ける生活に感謝しながら、家族の寝息を聞いています。

そして目の前にある揺るがない幸せを噛み締めています。



2021年1月〜6月に私が学んだことは生きているだけで美しい存在であること。そして『減らす』を選択すること(最低思考)。

今までの私は、可能な限り上を目指してきました。

 過去を振り返れば、成績上位、地域で一番の進学校、売り上げ、実績、知名度、上昇志向を目指してきた私に取っては、それこそコペルニクス的転換でした。

そして、一見、ビジネスには全く関係ない個人的な課題の『憧れ、嫉妬、焦燥』にとらわれる私に向き合いました。それによって、上記の哲学を得ました。

2021年下半期は、いつも『心の安心』をどう作ればいいのか?がテーマでした。心の安心を手に入れるために、頼ることが苦手、甘えることが苦手、人の好意を受け取りきれない性格を少しずつ変える機会をもらった気がします。

私が提供するコーチングコミュニティのサービスで出会った女性をはじめ多くの方の話を聞かせてもらい、チャットを読むことで私自身が気がつき、時には他の専門家にお願いして助けてもらいました。



ある時、海を見ながら生き方の師と仰ぐ方と語る機会をいただいて、

「あやのさんはマメでもないし、本来丁寧な性格でもないし、野生なんだよね。よし、野生でいこう!」

と言われて、素直に受け取ることができたのは、心の安心がそこにあったからだと今振り返っても思います。安心の土台が創られた時間でした。

いかなる場所でも、どなたといても、如何なく自分の個性を発揮できるようになりたい、野生で生きていくことをどう表現していくか?それは周りの人にとってどう作用するか?自然の循環を促すサイクルで物事をこれからも考えていくことが、日常生活で狭くなりがちな私の視野を広げてくれそうです。


悩み、苦しみ、分かち合うことも、離れることも戻ることもできる、私にとっては青春のような雰囲気をコミュニティでもどんどん作り出していこうと思っています。それぞれの関わっている方の幸せを願いながら、感謝を込めてこの長い文章を終わります。

長い長い、駄文を最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。
今日も、あなたがとびっきりの笑顔で過ごすことができますように。


利隆屋(りこうや) あやの


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