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書籍紹介 太田泰彦『2030半導体の地政学[増補版]』

 太田泰彦さんの『2030半導体の地政学[増補版] 戦略物資を支配するのは誰か』日本経済新聞出版(2024)は、半導体が、国際政治・経済においていかに大きな影響を及ぼしているかを深く掘り下げています。この増補版では、2023年までの最新動向を反映し、半導体をめぐる米中対立や日本の再起動など、地政学的な変化を踏まえ、各章の構成は変えずに、大幅な加筆、修正がされています。2030年を見据えた半導体産業の将来像、半導体をめぐる国際競争の舞台裏を描く本書についてまとめます。

1.はじめに—キャンプデービッドの精神
 はじめに著者は、半導体が単なる工業製品ではなく、「世界の裂け目を広げる鉈にも、各国を束ねる要石にもなる」と述べ、半導体が国際政治や経済における戦略物資としての重要性を強調しています。
 特に、米中対立が深刻化する中で、各国は補助金や税制優遇を通じて、半導体産業を強化しています。国際的な協調の重要性に触れつつも、世界がこの戦略物資を巡っていかに競争を繰り広げているかを各章で詳述しています。

2.司令塔になったホワイトハウス
 半導体が経済の中枢でありながら、軍事や外交における武器としても使われるという独自の性質を持つことが、序章で解説されています。本章では、米国が半導体を国家安全保障の視点から如何に重要視しているかが述べられ、バイデン政権が半導体サプライチェーンの構築に向けてどのような動きを見せているかが描かれています。今後の国際情勢を読み解く上でサイバー空間の視点も重要です。

 だが、現代の地政学はどうだろう。陸と海を制するだけでは、優位に立つことはできない。覇権競争のもう一つの舞台が、デジタル情報が行き交うサイバー空間だ。
 仮想的なデータの受け皿となり、電子的に処理するハードウエアこそが、半導体にほかならない。

出所:本書(P21)

3.バイデンのシリコン地図
 第Ⅰ章ではバイデン政権下での米国の半導体戦略が中心に描かれます。AI技術が膨大なデータを処理するために不可欠な半導体の役割が改めて強調されています。

 現代の基幹産業となったプラットフォーマーでは、心臓にあたるのがデータセンターである。そして、その心臓を形づくる一つひとつの細胞が半導体だ。とりわけ、膨大な量のデータを超高速で処理する人工知能(AI)専用のチップが、データセンターには欠かせない。
 自動車にも最低でも3個、高級な車では100個以上の半導体チップが搭載されているという。機能が凝縮されたAIチップの採用が進む電気自動車(EV)が普及すれば、半導体の役割は間違いなく重くなる。さらに人間の操作が要らない自動運転が実用化すれば、車は半導体のかたまりのような電気製品となる。
 1980年代に半導体は「産業のコメ」と呼ばれたが、これからは違う。コメから連想されるのは大量生産で安価な汎用部品だった。社会のデジタルトランスフォーメーション(DX)が進めば、さまざまな異なる仕事をする少量生産の専用チップが必要になる。そのなかの多くは「考える力」を備えた個性的なAIチップだ。半導体の開発の仕方、つくり方は、がらりと変わるだろう。もはや半導体は「コメ」ではない。

出所:本書(P22-23)

 データセンターが産業の中核を担う現在、半導体は自動車やAIなどの技術進化においてますます重要になり、米国が半導体を国家の柱として戦略的に保護する必要性が述べられています。

4.デカップリングは起きるか
 第Ⅱ章では、米中間の技術デカップリングの進展が詳細に解説されます。

 同じことが中国で起きようとしている。中国軍がデジタル化すれば、巨大な航空母艦や長距離ミサイルなどの大艦巨砲だけでは太刀打ちできなくなる。
「機械」に「デジタル」が勝つ戦争。その中国軍の進化の原動力がAIにほかならない。だからこそ米政府は、何としても中国のAI開発を止めなければならなかった。

出所:本書(P62-63)

 AIは、膨大な量のデータを注ぎ込むことで訓練される。手にできるデータを片っ端からむさぼり食うことで、どんどん賢くなる。その大量のデータを高速で処理できる装置がスーパーコンピューターだ。いわばAIは、スパコンという「巣」のなかで育つのだ。

出所:本書(P63)

 AI技術の進展に必要な半導体が、いかに国家の軍事力や経済力に直結しているかを述べています。
 また、米国が中国のAI技術開発を阻止するために行った輸出規制についても詳細に触れています。

 トランプ政権下の米政府は、国家安全保障上の脅威としてファーウェイに照準を定めた。大量のデータを高速で送る通信規格「5G」が主流となるなかで、同社の製品が世界中にあふれかえっていたからだ。世界市場シェアは2018年に34%に達し、世界の5G基地局の実に3分の1をファーウェイ製品が占めていた。
 通信は経済や軍事の生命線である。ここを中国企業に支配されれば、世界の覇権を中国に奪われかねない。ファーウェイの背後に中国政府がいる——。ワシントンの国防関係者はそう考えた。

出所:本書(P66-67)

 米中対立が単なる経済問題にとどまらず、国際的な技術覇権争いの一端を担っていることを示唆しています。

 安全保障上の戦略的な価値という意味では、半導体には鉄鋼やアルミニウム以上の重みがある。これまで見てきたように、半導体はあらゆる産業に欠かせず、インフラや自動車産業まで左右する力があるからだ。
半導体の供給が滞れば、産業が止まるだけでなく、人々の生活にも支障が出る。そう考えれば、まさに安全保障問題そのものだ。

出所:本書(P79)

 これからの10年、世界の国々は一段とデータ駆動型の社会になっていくだろう。鉄が国家である以上に、半導体が国家となる。各国の政府は安全保障の観点から、半導体のサプライチェーンに目を光らせるようになる。

出所:本書(P79)

5.さまよう台風の目——台湾争奪戦
 台湾は、世界最大のファウンドリー企業であり、世界の半導体供給網の中心に位置しているTSMCの本拠地です。

 台湾の台湾積体電路製造 (TSMC)は、いま最も地政学的に重要な企業である。これまで世間には同社の名前はあまり知られていなかったが、米中の対立が深刻化するにつれて存在感が高まり、国際政治のカギを握るプレーヤーとして表舞台に躍り出た。

出所:本書(P96-97)

 本章では、TSMCが「国際政治のカギを握るプレーヤーとして表舞台に躍り出た」という視点から、台湾がいかに地政学的リスクを抱えた重要地域であるかを説明しています。
 さらに、米中がTSMCを巡って対立する中、台湾が地政学の「台風の目」になりつつあることが指摘されます。半導体という戦略物資がいかにして、台湾の安全保障と密接に結びついているかが詳細に描かれています。

6.習近平の百年戦争
 中国が「百年戦争」として取り組んでいる技術開発の一環として、AIや半導体技術に関する競争がいかに国家戦略に組み込まれているかを詳述しています。ファーウェイの半導体子会社ハイシリコンに対する米国の制裁や、中国の半導体開発に対する政府の保護政策についても詳述されています。
 習近平政権が中国の技術自立を進め、半導体産業を国家の柱として捉えている現状から、米国との長期的な対立が激化する可能性も示唆します。

7.デジタル三国志が始まる
 第Ⅴ章では、米国、中国、EUの3大経済圏が半導体を巡って争いを繰り広げる「デジタル三国志」が描かれます。

 生産拠点を置く場所として、沿岸部の長所と短所は何だろう。たしかに貿易には都合がいいが、地政学的には海洋から侵攻されやすいというリスクがある。 半導体をめぐる米中の対立を考えると、いまは海に面した拠点が多いことが緊張を高める方向に働いている。
 とりわけ中国と台湾が近接する台湾海峡の周辺は、いま世界で最も熱い水域だ。 ウクライナに続きイスラエルのガザ地区でも激しい武力衝突が起きた。戦争の閾値が下っている。さらに台湾海峡の情勢が不安定になると、世界の平和は崩れ去る。

出所:本書(P177)

 地理的な要因も加わり、半導体供給網の安全保障リスクが浮き彫りにされています。著者は、各国が半導体産業に巨額の補助金を投じる理由についても触れ、仮想空間での覇権を巡る戦いが現実の半導体製造拠点にどのように影響を及ぼしているかを解説します。

8.日本再起動
 第Ⅵ章では、日本がどのようにして半導体産業を再び復活させようとしているかが詳細に描かれます。ラピダスの設立と、それに伴う北海道千歳での半導体製造施設の建設は、日本が2030年に向けて最先端の半導体技術を再構築するための大きな一歩と位置付けています。
さらに、トヨタや他の日本企業が取り組む「MaaS」(Mobility as a Service)など、新たなビジネスモデルと半導体技術の結びつきも描かれ、半導体が未来の社会インフラとなることが述べられています。

9.見えない防衛線
 半導体が安全保障にどれほど重要な役割を果たしているかを第Ⅶ章で分析しています。
 特に日本と米国の軍事協力において。米国が日本の半導体技術に注目し、これを安全保障の一環として取り込もうとしている現状が描かれています。一方、日本はどのような戦略をとっていくべきについて、筆者は見解を述べています。

 ペンタゴンは安全な半導体サプライチェーンの確保を急いでいる。そのチェーンに日本のチップが組み込まれるかどうか……。
日本企業に他国に真似できない独自技術があれば、同盟国である米国との力関係も変質するだろう。米国の軍事力に頼る大きな構図は変わらないとしても、安全保障をめぐるさまざまな局面で、日本の米国に対する発言力が高まる可能性もある。サプライチェーンの要所をできるだけ多く押さえておくのが、日本がとるべき戦略ではないだろうか。

出所:本書(P308)

 さらに、データセンターが戦略資産としていかに重要かが述べれています。シンガポールの安全保障に関する戦略としてのグーグルの誘致に動く動機が描かれています。

 データという貴重な資源を手にしていれば、対外的に強い立場となり、通商、外交など外国との交渉を優位に進めることができるかもしれない。万が一、有事となれば、米軍はデータセンターを守ろうとすると考えてもいいだろう。グーグルを誘致することが、シンガポールの安全保障政策なのだ。

出所:本書(P311)

10.2030年への日本の戦略
 本書の終章では、半導体が未来の世界をどのように変えるかを総括しています。
 2030年には半導体が国際競争の中核にあり続けるという結論は、著者が提示する本書全体を貫くテーマです。その中で日本が半導体産業を再び立て直すために必要な戦略的思考、国際的な協力のあり方が具体的に述べられています。
 国際的な協調のあり方として地球環境との共生にも目を向け、問題提起をされています。

 こうしてサプライチェーンのあちこちでボトルネックが現れては消える。半導体メーカーは、自分の工場であるにもかかわらず、生産の量を滑らかにコントロールすることができない。半導体が多くの産業分野で必要とされ、しかも複雑なサプライチェーンで成り立っているがゆえに、半導体メーカーの悩みは尽きることがない。
 これを巨視的に見れば、地球規模で壮大な無駄が生じている、ということだ。人類が力を合わせてグリーン化に取り組まなければならないというときに、半導体産業はエネルギーを浪費する構造を残したまま、シリコンサイクルに振り回されている。
 社会のデジタル化が進み、このまま半導体の需要が増え続ければ、サイクルが生じていることで起きるエネルギーの無駄は、とてつもなく大きくなるだろう。大げさな言い方をすれば、半導体が地球を殺しかねないのだ。

出所:(P344-345)

11.さいごに
 
本書は、半導体が国際政治・経済に与える影響を多角的に描き出しています。特に米中対立や台湾の地政学的リスク、日本の産業再起動といった重要なトピックも網羅しています。半導体が今後の世界を形作る鍵となります。2030年に向けて、半導体を巡る複雑な競争や協力が、国際情勢や経済、安全保障にどのような影響を与えるかは継続的に把握しておきたい事項です。複雑な事項を切り口明快に解説しており、示唆に富む内容ですので、お手にとられてみることをお勧めします。


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