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仏のいえ #21 (2024年12月)

今年は12月7日に大雪が降り、それからは例年通りの冬となりました。11月まで暖かかったので身体がなかなか追いついていきません。それでも、冬の北アルプスを眺め、お正月の支度をする、一年に一度の厳しさはやはりなくてはならないもののように感じます。

12月9日朝7時頃

11月は「干柿やった?」12月は「お菜漬けた?」というのが、ここでの挨拶代わり。12月の霜が降りた朝の数日後に、野沢菜を収穫して漬物を作ります。霜に当たると、野沢菜がやわらかくなり、甘みも増してきます。 また、独特の「ぬめり」も出てくるので、より美味しくなると言われています。お寺の畑では作っていませんが、お茶の生徒さんの畑で収穫された「おかあちゃん」という品種の野沢菜を15キロをいただき、今年も漬けることができました。

野沢菜

ぬるま湯で洗い、泥と痛んだ葉を落とします。信州の北に位置する野沢温泉村では、温泉のお湯で洗う「お菜洗い」が有名ですが、ここでは沸かしたお湯で丁寧に洗います。お湯を使うことで味が染み込みやすくなるのだそう。水気を切ってから4%の塩と昆布、生姜を交互に入れて、最後に少しのお湯と料理酒を回してかけます。塩水が上がってくるまで重石を乗せ、屋外で保管。12月の朝は零下になるので、その寒さが美味しい漬物を作ってくれます。県を跨ぐと美味しくなくなると言われるので、他県へのお土産にはなかなか出来ません。食べる直前に桶から出すことも美味しさには欠かせません。お寺に来て間もない頃、総代さんの新年会の準備の際、早めに出して切っていたら住職から厳しく怒られたことを、今も忘れることが出来ません。寒いのは苦手ですが、この寒さは「野沢菜のため」と言い聞かせています。

12月8日 1日接心

曹洞宗の修行道場では、12月1日から8日未明まで七日間の臘八接心が行われています。ここでは一週間坐ることが難しいため、その間の日曜日に1日合計6時間だけ行っています。今年は9名で坐らせて頂きました。
内山興正老師の安泰寺スタイルの接心は、朝4時から夜9時まで、食事の時間を除いて一日14時間、三日間乃至五日間坐り続けます。ご提唱もなく「話さない、聞かない、読まない」と出来るだけ外からの情報を遮断し、心を静かにするのです。それでも脳は忙しく働きます。内山老師は「思いはあたまの分泌物」と仰って、呼吸と同じで止めることは出来ません。その思いを追いかけずに手放していくことを繰り返すのです。
お寺にいながら苦手な人がいることを先日師匠に相談をすると、「もろもろの愚痴や不満の感情は、坐禅中に起こる様々な想いと同じで、手放しにしていればいいと思います。これじゃいけないと思ったり、なくそうと思う必要はありません。」とお返事を頂きました。よく顔を合わせなければいけないけれど苦手という人は誰にでもいるのでしょう。お互いの性格も習慣も変わるものではない、けれど合わなければいけなければストレスになる、それは第三者からみるとどちらかが悪いわけではなく、その時の体調や機嫌にも左右されます。でも、その方への印象を手放せばいいのだ、と思ったら少し気持ちが楽になりました。坐禅の時は坐禅をしているつもりでしたが、坐禅以外の時間も「手放し手放し」なのです。2025年からは坐禅会を始めたいと思っていますので、坐ってみたいという方がいたら、是非コメントをください。


12月12日 畑でのお焚き上げ

12月の晴れて風のない日には、畑の支柱など全て片付けながら、過去一年の塔婆や白木のお位牌などのお焚き上げをします。畑の中央に、豆などの枯れ茎や境内の枯れ葉などと共に法要や葬儀で不要になったものを重ならないように置き、塩と線香とバケツの水を用意し、般若心経をお唱えしながら燃やし始めます。寒い冬は化繊の作務衣を常に着ているのですが、この時だけは、必ず木綿の作務衣を着るように指導されます。万が一、火の粉が移れば火傷を負うか、最悪の場合、命の危険なまでに至るのです。小さな注意ですが大切なこと。桜や銀杏など燃えにくい落ち葉を置かないようにもします。早く燃え終わるように何箇所にも火種を作りたい気持ちになりますが、火種も一二箇所だけ。出来るだけ空気が中を通るように、枯れ草を丁寧に動かしていきます。こういう作業は住職に敵わず、只々横で眺めるのです。

お焚き上げをする塔婆


このお寺でお正月を迎えるのも今年で六年目。飛騨高山で暮らしていた時は大晦日に「年取り」行事を行っていました。おせち料理は元旦に頂くものだと思っていましたが、高山の「年取り」行事におせちとブリが並び、一年が無事過ごせたことに感謝するとともに、迎える年もよい年になることを願って、家族揃って新しい年を迎えるのです。お寺では行っていませんが、同じ習慣はここ信州にもありました。「松本や伊那はブリ。長野はサケ。」と、年取りに使うお魚も地域によって異なりますが、塩尻のスーパーマーケットには、年末、高価なブリが並びます。昔から、ブリは日本海側・富山県の氷見から飛騨高山を経由して野麦街道を通って松本に入ってきていたそうで、スーパーのブリを眺めながら飛騨高山を懐かしく思います。
2020年の4月から信州に寄せて頂いてから、2021年元旦は住職が脳梗塞後のリハビリで入院中、2022年元旦は1月2日に副住職が低ナトリウム血症(痛み止めの副作用)で緊急入院、2023年元旦は副住職が股関節手術のため入院中、2024年元旦は東堂が股関節骨折のため入院中、と4年連続山内全員が揃うことがありませんでしたが、今年は四人一応元気で新年を迎えられそうです。健康で過ごせることが当たり前のようでとても奇跡的なことなのだと痛感しています。脳梗塞で言葉を失っても、年齢故に腰が痛くても「生きている」、それはまだまだやれることがあるからだと住職は言います。愚痴があっても逃げたくても、只、いまできることをする、そのお役目をなんとか行じていきたいと思います。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

12月25日の夕日


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慈正
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