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モナドロジーV ハッサンの最後の7つの言葉 解題

Bernhard Lang : Monadologie V 'Seven Last Words of Hasan’
 Introduzione
 Sonata I: … quia nesciunt quid faciunt
 Sonata II: Hodie mecum eris in Paradiso
 Sonata III: Ecce Mulier filius tuus
 Sonata IV: Ut qui reliquisti me
 Sonata V: Sitio

ベルンハルト・ラングは、2007年以来、題名に「モナドロジー」(注1)と冠した楽曲を、実に30作以上作曲している。それらは、クラシックを中心とした伝統音楽の書き換えを基本コンセプトとしており、たとえば、≪モナドロジーXXXII コールド・トリップ≫は、シューベルトの≪冬の旅≫全24曲を、≪モナドロジーXXXIX≫は、バッハからリゲティに至るヴァイオリンのための協奏的作品を素材とする。当作品での素材は、ハイドンの≪十字架上のキリストの最後の7つの言葉≫で、1786年に作曲されたオリジナルの管弦楽版ではなく、翌87年に発表されたピアノフォルテへの編曲版によっている(注2)。

ハイドンは、イエス・キリストが磔刑に処された際、十字架上で語ったとされる七つの言葉それぞれにソナタを作曲し(その題材ゆえに七曲全てが緩徐楽章である)、これらを荘厳な序奏と、イエスが死したあとにおこった地震を描写する後奏で挟み込む形で≪十字架上~≫を構成した。演奏時間は実に1時間近くに及ぶ。以下に、その七つの言葉を楽章順(これは一般的にキリストが発したとされる順番とも一致する)挙げる。

Pater, dimitte illis, quia nesciunt, quid faciunt
父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです(ルカの福音書23章34節)

Amen dico tibi: Hodie mecum eris in paradiso
よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる(ルカの福音書23章43節)

Mulier, ecce filius tuus, et tu, ecce mater tua!
女よ、見なさい。あなたの子です。見なさい。あなたの母です(ヨハネの福音書19章26節-27節)

Deus meus, Deus meus, ut quid dereliquisti me?
わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか(マルコの福音書15章34節)

Sitio
渇く(ヨハネの福音書19章28節)

Consummatum est!
成し遂げられた(ヨハネの福音書19章30節)

In manus tuas, Domine, commendo spiritum meum
父よ、私の霊を御手に委ねます(ルカの福音書23章46節)

*****

ラングの≪モナドロジーV ハッサンの最後の7つの言葉≫もまた、演奏時間30分に及ぶ大曲である。序奏に続いて5つのソナタが続き、これらのソナタにも、ラテン語の詩句が対応している。それらは、一見、上記のハイドン作品に準拠し、キリストの言葉を丸ごと、あるいは一部を引用したものであるが、一つだけ詩句が大きく改変されたものがある。「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」というヘブライ語の表記で知られる、第4ソナタの詩句がそれだ。ラング作品での詩文:Ut qui reliquisti meは、私より去ったものたちへ、とでも訳せようか。そして、第6、第7のソナタと後奏に対応する部分はない。

このことは、曲名に登場する「ハッサン」との兼ね合いに違いない。アラブ系であることが一目瞭然なハサンという名前と、ラテン語の詩句との間に生じる摩擦もまた大きい。では、ハッサンとは何者なのか。ラング自身は、この作品のスコアその他において、これに関する情報を一切明かしていない。しかしながら、Christine DysersによるCD解説によれば、1960年にアメリカの作家ウィリアム・S・バロウズ(言うまでもなく、『裸のランチ』の作者である)が発表した『ハッサン・サバーの最後の言葉』がカギとなるという。ハッサン・サバーとは、12世紀のイスラム教ニザール派の開祖ハサン・サッバーフに他ならず、ニザール派は、対立するスンニ派や十字軍の要人を狂信的に暗殺したという理由から、中世のヨーロッパでは「暗殺教団」という、伝説的な悪名とともに語られてきた。

「暗殺教団」のイメージを確固とした人々の中には、かのマルコ・ポーロもいた。彼ら、西洋の旅行者は、大麻での享楽的な快楽と引き換えに若者を暗殺者へと仕立て上げる「山の老人」のイメージを流布し、ハサン・サッバーフとは、そのイメージとともに語られた人物でもあった(大麻を意味するアラビア語ハシーシュが、しまいには暗殺者を意味するアサシンへと転化していった、とは良くいわれる話である。ただし、20世紀以降のイスラム学の発展により、暗殺教団や山の老人のイメージは、ニザール派の実状とはかけ離れていたことも明らかになりつつある)。

いずれにせよ、ラングは、ハイドンとバロウズの作品を衝突させることで、キリスト最後の言葉を「暗殺教団の開祖」のイメージを纏うハサン・サッバーフの言葉として読み替えているようにも解釈できる。ミクスチャーによる価値の擾乱こそがDJの本分なのだとしたら、これより過激なものはそうありはしないだろう(とはいえ、どうしたって「ハサン」の言葉とすることが許されないものが在ることを、ラングは理解してもいる)。

作品は、ハイドンの音楽を細かく分割し、それらをコンピューターによるアルゴリズムで処理することで、徹底的に変形=伸縮され、殆ど原型を留めない。このアルゴリズムは、ラング自身の極めて簡素な解説を読むところ、セル・オートマトンに似たものと推察される。その前提となる離散化のプロセスを、モナドという概念を関連づけているのだろう。なお、ハイドンのオリジナルが緩徐楽章のみで構成されているように、ラング作品においても、各ソナタのテンポ指示はどれも遅い。しかし、ラングのアルゴリズムは、その隙間を厖大な音で埋めていき、クラスターとポリリズムが多用された重厚至難な作品へと変容している。

注1
モナドロジーは、単子論ともいう。17~18世紀の哲学・数学者、ゴットフリート・ライプニッツ(微分積分学の確立者の一人でもある)は、現実に存在するものの構成要素を分析していくと、拡がりも形も可分性も持たない実体=モナドに到達すると考えた。ただし、モナドとは、素粒子のように科学的な裏付けをもって存在するものではなく、ライプニッツの哲学を説明するための極めて形而上的な概念である。

注2
この編曲はハイドン自身のものではないが、ハイドンによる監修が行われているという。なお、同年発表の弦楽四重奏への編曲は真正のハイドンによる編曲作であり、ラングはこちらを素材に《Monadologie IX: The Anatomy of Disaster》(2010)を作曲してもいる。また、ハイドンは1796年、本作をさらにオラトリオに改作しており、このように単一の楽曲が多面的に展開していった様も、ラングが当作に注目した理由の一つといえよう。

川村恵里佳ピアノ・リサイタル ~反復のOrient-Occident~
2021年9月30日 於:杉並公会堂
プログラム解説


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