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これが最後かもしれない

今日、表参道のフライングタイガーへ入った。所狭しと並ぶ商品に一つひとつ目を移していると、やけにヘビがたくさん並んだコーナーを見つけた。ヘビ...?と思ったけど、すぐに分かった。ああ、来年はヘビ年なんだ、と。干支は平等に順番に変わっていくのに、巳年だったことがあるという記憶は自分の中にない。今年は巳年だって意識して過ごすのは初めてだよね〜と、同じ卯年の友達と意気投合した。その瞬間今年が終わる、と急に思った。

今年が終わる。今年はどんな一年だっただろう。
仕事のことや、人生の目的や目標のこと、その振り返りを書くとキリがないような気がするので、今日はあえて全くそことは関係がないことを書いてみる。

ある角度から見たら、今年はいろんなことが「終わった」一年だった。
もっと言えば、もしかしたら去年も一昨年もいろんなことが終わっていったのかもしれないけれど、「終わり」を自覚させられる出来事が多い一年だったと思う。

6年友達と続けてきたインスタグラムの活動を、辞めようと思うと告げられた。

一年半くらい対話を重ねて、一緒に会社を作って事業をしようとしていた人から、もう一緒にやれないと言われた。

人と会って、「あ、この人と会うのはこれが最後かもしれない」と思った瞬間があった。

週3で通っていた近所のコメダ珈琲が閉店した。

大好きだったアーティストが、何の前触れもなく活動を休止した。

なんだか、終わりというものが妙に自分の心に作用した。

25歳になって、人並みにある程度の経験をして、ちょっとやそっとのことでは動じなくなった。社会人になりたての時に「人に期待をしない」という言葉の意味を身をもって理解して、自分の戒め文句の一つになった。気づけばそれが染み付いて、一つのスタンスへと変化した。

でも、こんなスタンスを持つ前から関係が続いている人や特別信頼を置いている人に対してはきっと、今ある関係性に安住していたのだと思う。「ここまでやってきたんだし、相手も同じ気持ちだろう」「大丈夫だろう」そんなふうに、無自覚に相手にもたれかかり、自分の大事な支柱となってくれていたことを忘れてしまっていた。

当たり前に何かをともにしてきた人と、もう一緒にできない、というのは寂しい。だけど、自分でも面白かったのは、「最後」を自覚しながら最後のその時をともにできたのが嬉しかったということ。

あなたは私にとってこんな存在だったよ、とか、
あの時本当はこう思ってたよ、とか、
これからはこんな関係でいようね、とか。
そんなことを話して、その人との関係に一つ区切りをつけることができた。

活動休止を発表したアーティストは、今日のライブでアンコールの如く出てきて、突然活動休止を告げたらしい。その人は、最後にこう言っていた。
「最後のライブ観たかったのに、って人がいたら伝えてほしい。これが最後でも構わないという気持ちでライブをやってきた自負があります。あなたが観たのは最後に相応しいライブでした」

いつだって、当たり前を当たり前にしない。これが最後かもしれないと思いながら、大切にその時その時を過ごして、最後を迎えた時、悲しさはあっても後悔だけはないようにしたい。そんなふうに思った。

今日は冬至。また新しいエネルギーが差し込む。
いつが最後でもいいように。今年も、来年も過ごせたらなぁ、と思う。

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