ポジティブ、ネガティブ。そしてオルタナティブ・フィードバック。
来る11月5日のアメリカ大統領選挙において、ドナルド・トランプが再選を果たしたとして。
「オルタナ右翼(alt-right)」と呼ばれる人々──彼の絶大な支持層だ──は狂喜するだろう。週末はBBQだ。いつも以上にデカい肉を焼く。あるいはハンティングに出かける。鹿にライフルをぶっ放し、銃と自由の国を讃える。Make America Great Again! Welcome back Trump!! トランプは「ディープステート」、すなわち世界を陰で支配する恐るべき陰謀中枢と戦う唯一にして最大の味方であり、彼こそ自由と民主主義の象徴たる星条旗を纏った救国の英雄だからだ。
……とはいえ、一般的にはこのような見解を「陰謀論」と呼ぶ。血液から抽出されるセレブ御用達の若返りドラッグ!オンラインショップで売られる超高額の洋服箪笥には子供が入っている!……そうした荒唐無稽なストーリー、私たちが当たり前に正しいと考える世界とは乖離した「真実」を信じる陰謀論者たちは、一見無関係に見える点Aと点 Bを接続し、本来存在しない新たな現実を形作ってゆく。そうして出来た歪な星座を、私たちは「陰謀論」あるいは「妄想」と呼ぶ。
オルタナ右翼の陰謀論者たちが語る妄想。私たちの多くは、彼らのように不合理で無根拠な主張を忌避する。そんなものを信じるのは愚かだと思う。しかし同時に「私たちは、目の前にある現実的で当たり前な「正解」に固執しすぎているのかもしれない」と少しだけ思う。「正解」とは異なる可能性を、たとえ不合理で無根拠だろうと信じてみる力。私たちには、それがあまりに欠如しているのではないか。
別の話をしようと思う。編集部員としての仕事に「上がってきた著者の原稿にコメントを返す」というものがある。その内容は大まかに、肯定的な「ポジティブ・フィードバック」と、否定的な「ネガティブ・フィードバック」に分けられる。しかし時々、そのどちらでもないコメントをしたくなるときがある。それは一見、原稿とはあまり関係ないようにも見える内容だ。たとえば「この原稿を読んで、なぜこんなことを考えたんだ……?」と思われるような、的外れに見える提案。
それは確かに、本筋から距離があるかもしれない。もしかすると、原稿のテーマをひっくり返してしまうかもしれない。けれど、それが原稿に反映されれば、良い原稿になる予感がするのだ。確かに根拠はない。だからやはり、少し躊躇ってしまう。こんなコメントを返せば、相手も困惑するだろう。当たり前だ。自分の書いた原稿を読んだ編集者が、肯定(positive)でも否定(negative)でもなく、突拍子もない謎の妄想(alternative)をコメントしてきたのだから。だが、膨らんでしまった「妄想」の可能性を捨てきれない。
だから思い切って、無根拠で不合理な「妄想」をコメントとして返してみる。もしかすると、やはり著者を困惑させてしまうかもしれない。その困惑は、陰謀論を信じるオルタナ右翼(alt-right)の荒唐無稽な言説に接したときとも近いかもしれない。しかし「それ面白いですね!書きましょう」となる可能性もある。そして実際に、より良い原稿ができあがることもあり得るだろう。それを初めから「現実的ではないし、くだらない」と心にしまってしまうのは勿体無いのではないだろうか。
誰かが聞いたら「ありえない」と笑うような「妄想」を、私たちは切り捨てすぎているのではないだろうか。それを一度深掘りし、形にし、なんとか現実と結びつけ、すり合わせるべく思考をめぐらせてみてはどうだろう。それはいつの間にか「ありえない妄想」ではなくなっているはずだ。しかし、そのクリエイティブで突飛で飛躍的な思考は、ともすれば単なる陰謀論者に陥ってしまう。そもそも私たちは、そんな頑なな思考から抜け出すしなやかさを手に入れたかったはずなのに。
だからこそ、「妄想」をうまく扱う柔軟な思考法を知りたい。それを学ぶために、私たちは新企画『妄想講義』をスタートさせた。20人の知性に「妄想」の活かし方や捉え方を教わり、より自由で自分らしい生き方をできるようなヒントが手に入るような本を作るのだ。そしてその先には、明るい未来が待っていることを確信している。
「次世代の教科書」編集部 小阿瀬