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あなたと、みんなと、いっしょに考えたい

「次世代の教科書」シリーズの単行本企画として、2024年9月30日(月)に新刊を発売します。タイトルは…

『妄想講義 「自分」からはじめる明るい未来の作り方』


22名の多様な著者が、「妄想」を切り口に不透明で混沌とした現代を明るく前向きに生きていく術を考え、文章をよせてくれています。

『妄想講義 「自分」からはじめる明るい未来の作り方』金風舎

 悲観的な未来予測があふれ、唯一の正解を求めて自分を縛る現実から抜け出し、明るい未来へ向かうためには、自分にとっての希望を思い描く瞬間=「妄想」が必要だ。だが、妄想は刺激的で楽しい反面、 社会とのつながりを失くす危険性も帯ている。

そこで、多様な生き方、価値観を持った著者22人それぞれの「妄想」のあつかい方やとらえ方を知ることで、自分を大事にしながらも現実とのつながりを持って生きていくための方法を学ぶ。

『妄想講義』概要


編集部員がそれぞれ、テーマに合っている活動をされているから、とか、この人の思考や文章で「妄想」を開いてみたい、とか、極私的に「ファンだから」「好きだから」という浮かれた理由も一部ありながら、著者の皆様に依頼しました。

そこで今回は、私が担当している哲学者・永井玲衣さんについて触れてみたいと思います。

私は今年5月に金風舎に入社。すでに『妄想講義』の企画は立ち上がっていました。そこから企画の仲間入りをしたのですが、その時から著者候補の中に永井さんの名前がありました。

編集部員は、大学で哲学を専攻していた人が何故か多く、満場一致で永井さんにお願いしたいことが決定。

私はもともと福祉の畑で、大学も福祉学だし前職も福祉の現場。でも、哲学には関心があった。大学中は、福祉の勉強ではなく、哲学書ばかりを読んでいました。(でもやっぱり分からなくて、謎は迷宮入り)

それは、マイノリティーや弱者という構造にすごく違和感があったから。
福祉の現場に出て、多様な人々の生活に触れるようになった中でも「障害」「差別」「罪」「生きること」など、それらの概念や社会での在り方に、なぜ?と問いを抱くことが増えました。

「福祉」の仕事は、ほんとに不思議です。
生活を支えていく仕事なのでめちゃくちゃ地味で同じことの繰り返しで、感情労働なので相手の心と自分の心が混ざり合ってよくわからなくなるし、3K(くさい・きたない・きつい)と揶揄されるのは納得というか。それでも人間臭いので、確かにそこに人間がいるので自分はとても好きでした。

でも、やっぱり納得できなかったり、分からないことが多すぎる。
「障害」「差別」「罪」「生きること」など、これらの得体の知れないものが”当たり前”になっていくと、自分が透明になっていく感覚を覚えました。

私はなんで生きているのだろう、なんのために生きているのだろう。目の前の人の生はどうあるのだろう。私は福祉の仕事をする中で、日々そんなことばかりを考えていました。

「生きることを問う意味はない」との意見もあるように思います。
けれど、今を生きる自分が、なぜ生きているのか、なんのために生きているのか、考えていきたい、考える中で光を見出していきたい、という思いがずっと悶々としていました。

そこで出会ったので、永井玲衣さんの『水中の哲学者たち(晶文社)』でした。

『水中の哲学者たち』(晶文社、2021)

永井玲衣(ながい・れい)
人びとと考えあう場である哲学対話を行っている。エッセイの連載のほか、政治や社会についておずおずとでも語り出してみる場「おずおずダイアログ」、せんそうについて表現を通し対話する、写真家・八木咲とのユニット「せんそうってプロジェクト」、Gotch主催のムーブメントD2021などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)。第17回「わたくし、つまりNobody賞」受賞。詩と植物園と念入りな散歩が好き。

永井さんは、今までの「哲学」のイメージを刷新しました。
過去のヨーロッパのヒゲもじゃの偉人たちが、難解のことば達を並べるのを考察するのにとどまらず、「手のひらサイズの哲学」と称し、カバンの中で爆発した茶碗蒸しや学校で習う道徳などの日常から考える、取り組みをされています。
そして何よりよく見ること、よく聴くことを大事にしている。いまを捉えようとしているように感じる。

従来の哲学書では生活感が無く迷宮入りしていた私に、「福祉」の多様な人々と触れ合あい、自分の価値観が揺らぎ悩んでいた私に、目から鱗でした。笑いながら泣いて夢中に読んだのを昨日のことのように覚えています。


そんな永井さんと今回、『妄想講義』に対談録として掲載する前提として、「妄想」をテーマに哲学対話を編集部と行なっていただきました。

金風舎にて

正直、企画の仲間入りをした時に「妄想」ってよく分からないなと思っていました(今も分かっているかは不明です)。でも、今回の対話で借り物の「正解」で分かった気になるのではなく、自分で考えてみることが大切だと改めて気付かされるものになりました。

対話の中で、私が印象にも残り、「妄想」の輪郭を少し捉えられた感覚になった永井さんの話しがあります。

思い出したのは高校生のときに授業で何か自分の人生のヴィジョンの図を書こう、みたいなことをやらされたんですね。
すごい嫌だったんですけど、何歳で何々、何歳で何々みたいな。私の隣に座っていた友達が生き生きとそれを書いているわけですよ。それが獣医さんになりたいって事だったんですけど、
獣医の大学に行く。23歳。アフリカに行く。25歳、宝くじを当てる。でそれを開業資金にして病院を開く、30歳で結婚して子供を産む。みたいな事をスラスラ書いてて、先生が「こういうのは色々現実と兼ね合いを考えて書くんだ。これはビジョンだから」って言っても、何かみんな意味わかんなかったんですよね。私は大学入って、大学院行って、図書館で働く、終わりみたいな感じですね笑「もっと夢を持て」とか言われて、「いや別に…」みたいな。それはそれぞれすごく極端な例で、私は妄想を一切しなかった。

一方で、獣医になりたい子はものすごい妄想で書いてたっていう違いがあった。 宝くじで1億当てるっていうのはもう本当に、それビジョンなのか?って笑 忘れられないですよねあの時のあの子って思ったときに、妄想って、他者がいないなと思ったんですね。他なる者がいないというか。妄想がまた危うさに繋がるのは、自分ばっかりになっちゃうのもそうだけど、妄想ってすごく苦しいんだけど、妄想の中での出てくる登場人物とか現実って自由自在なんですよ、基本的に。という気がしてます。

恋愛とか、別に友達でも良いけど、「うーーーん」って悩んでる時、「ここで花を渡したら相手はすごい笑顔。そして、」みたいに勝手に笑顔にしてるんですよ。私もすごい尊敬している人がいて、「あ、この人とお茶したいな」とか思うけど、 そのときにもしかしたらこういう風に言われるかなとか、嫌って言うんじゃないかとかをあれこれ考える。お茶じゃなくてお酒がいいのか悩むって、何かシミュレーションぽいっていうか、「妄想」じゃない気がする。ここで花渡したら絶対喜ぶと思うんだって言ったら、友達は「いや花なんて荷物になるから」とか言うわけですよね。「その後映画見に行くんだから花渡さない方がいいじゃん」って。それで私が「じゃあ無しか」って辞めたときとか、プロジェクトになる感じがして。

妄想からちょっと離れたりとか、その私の中の暴走の相手が、私の妄想自体は手に負えないんだけど、妄想の中の登場人物は勝手に何か自分で自在に扱えちゃうイメージになっちゃう。
例えば授業中に悪党が入ってきて自分が相手を倒してみたいな妄想も、悪党がめっちゃ弱い事になってる笑 勝手に相手をどうにもこうにもできる、人生もどうにもこうも出来る。それが嬉しさでもあるんだけども、危なさでもあるところなのかな。 だから妄想の対置語って他者とか、他なるものって感じなのかなと思っています。

『妄想講義』妄想ってなんだろう(哲学者永井玲衣 × 編集部)

妄想の対義語は「現実」と考えていたので、「他者」と出てきたのは何か自分の中での妄想の捉え方に芯ができた感覚を覚えました。
『妄想講義』では、この対談録を収録します。ここまでに行き着くには、問いだしをしたり、別の対話が繰り広げられていたり、時間の重なりがあります。まずはDCHで記事として公開しますので、ぜひお楽しみに。

そして、永井さんだけでなく、22名の多様な著者が「妄想」を切り口に思考を巡らせています。

一人の思考では、それこそ本当に悪い意味での妄想になってしまう。でも「他者」がいることで、色んな考えが混ざり合って、分かったり分からなかったり、そんなことを繰り返しながら一筋の光が見える。だから、たくさんの人々と、あなたと、みんなと、いっしょに考えたい。

与えられた規範的な「正解」が本当に正しいのだろうか。妄想だと卑下されたら自分のワクワクする気持ちや考えは「不正解」になってしまうのだろうか。こんなことを『妄想講義』では明らかにしていきたいと考えています。

私と同じように、社会の中で当たり前とされていることに違和感を覚える人は、少なくないのではないかと思っています。だから、この世の不条理を、蓋をされていることをみんなで考えたい。そのためにも思考や知見を表現したいと思っている人に出会い一緒に考えて、本という形にしたい。「次世代」にとってほんとうに重要な知見は何か考えたい。「次世代の教科書」では、まだ光のあたっていない素晴らしい知見を本にして、開き続けていきたいと思っています。

「次世代の教科書」編集部では、これからも継続的な出版企画を立ち上げ様々な著者と出会っていきたいと考えています。

あなたの思考が、読者を救います。明るい未来をつくります。悩んでいた私に『水中の哲学者たち』が光を当てたように。言葉が私を救ったように。そんな本を「次世代の教科書」でつくり続けていきたいと思います。

ぜひご一緒ください。

「次世代の教科書」編集部 石田佑典

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