家畜 第1話

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 国際絵画美術館に絵が飾られ、スイミングスクールでは銀メダル。一生懸命頑張って一番にはなれなかったが親の機嫌を取る材料としてはこれだけでも十分だろう。

 一人の小学3年生として、いろんなことを頑張る。何故なら子供は将来大人になるからだ。今の僕はまだ子供だけど、今のうちにいろいろ頑張っておかないと、きっと立派な大人になれない。だから頑張る。

 というのは嘘。

 本当は絵描きも水泳もそんなに好きじゃない。そりゃあ出来なかった泳法が出来るようになったり、画家の先生に褒められればそれなりに嬉しいし、やっていてよかったという気持ちにもなれる。でも僕が本当にやりたいことは、“遊び”だったのだ。友達と探検をして遊ぶこと、ボールを使って遊ぶこと、ファミコンやゲームボーイで遊ぶこと、とにかく遊ぶこと。でも大人たちに言わせると、遊びすぎた人間のまつろはろくなことにならない。というかウチの親は全てそういった遊びを良いものとしてとらえない。実際遊びすぎて帰るのが遅くなったとき、外に締め出されたこともある。例えばそうなったとき、僕は非常に後悔した。いい子でいなければいけないのに、こんな悪ガキに対するようなバツを受けなければならないなんて。この後悔は屈辱的な思いより親にどう思われているかと感じることから来るものだった。

 そしてそういう時は、たいてい弟も巻き添えだった。弟は同年代の友達が幼稚園や近所にほとんどおらず、いつも僕や僕の同級生達と一緒になって遊んでいる。母親の話によると、一人で遊ぶのが好きで、公園で誰か他の同じ歳くらいの子供が遊んでいると、すぐに帰ってしまうほど人見知りが激しいのだ。でももともと知っている人やその友達とだったら、話せることは話せるし、交流をもつこともできるのだ。だから僕が遊ぶ時、弟がついてくることもあるし、僕が夜になるまで外で遊びすぎて家の中に入れてもらえないときもいちれんたくしょうなのだ。

 でもそういうとき弟に悪いことをしたとは思わない。何故なら弟は文句一つ言わない。こっちから積極的にいじめたりはしないけど、時に僕と同じクラスの友人が弟にちょっかいをかけても、泣きそうな顔になるだけで、嫌だともやめてとも言わない。僕もあまりそういうとき止めたりはしない。反抗しない弟が悪いのだから。嫌なことならやめてほしいって言わないんだったら、もっとちょっかいかけてもいいよって意味と同じじゃんか。

 けれど、それを聞いた母親は、何だかすごく不安そうな顔をした。何故弟は言いたいことも言えず、やりたいことも言えず、つまり自分の意思をしっかり伝えられないのだろうか、と。最初はそのことで弟が「オドオドしている」と判断し、弟に対しヒステリーを起こしたことがある。何故あんたはいつもウジウジしているのか、とか、口があるならちゃんと言いたいことははっきり言いなさい、とか。それでも弟は文字通りウジウジしたりまごまごしたりする。どうやらヒスを起こしてきつく叱るという対応では弟がはっきりモノを言う性格に転向したりはしないようだ。

 そこで母親は、弟を市役所のこども課に連れて行った。週に一日、僕らの住んでいる東京都M市の市役所で、弟を補習教育させようとしたのだ。そこでどんな教育が行われているのか僕は知らないし知りたくもなかったけれど、弟自身は必ず、市役所のこども課に行く前日になると、いつもよりわくわくした表情になる。つまり週に5日間通っている幼稚園よりは楽しい所であるみたいだ。そこで大人たちと遊んだり、はたまた勉強やテストみたいなこともやらされているのかいないのか、とにかく弟は市役所のこども課に通うことが好きらしい。そして、父親と母親が話していた内容から聞いたところ、どうやら母親自身もそこで育児に関する相談などをしているとのこと。つまり双方にとって必要な場所であることがわかった。

 けれど、僕にとってはちっとも面白くない。母親は僕を幼稚園に入れ、小学校に上がってからそして今に至るまで、僕が何を頑張ったか、どれだけ結果を出せたか、ということをしょっちゅう気にしていた。そして僕自身も、本当は遊びまくりたいけれど、親に――親だけでなく周りの大人から――見捨てられるのが怖い、もし一人で生きていかなくちゃならなくなったら、それは死ぬことを意味する。考えただけでも恐ろしい。だから「こんな子供はいらない」と思われないようにいろんなことを頑張った。なのに、弟は特に何も頑張っていない。絵の教室にも通わないし、スポーツクラブにはみじんも興味を示さない。示さないどころか幼稚園と僕らと遊ぶこと、そして市役所のこども課に行って何やら楽しい思いをしてくること以外は、これといったアクションを起こしていない。僕のときより甘やかされている。腹立たしい! 憎たらしい!

 弟がもうすぐ小学校に入るという頃、そして僕が小学4年生になろうとしていたとき、僕は弟にからんだ。相撲しようぜ、と言って砂場に木の屑をかき集めて土俵を作り、嫌がる弟にむりやり稽古をつけた。決まり手も押し出しや突き出しなどは生温い。テレビで貴花田がやっていたように寄りきりで土俵の外へ思いっきり飛ばして転ばせたり、上手投げなどでどんどん弟を痛めつける。もちろん奴は痛いといって泣く。すかさず僕は泣いたから罰ゲームな、と言って倒れている弟に袈裟固めや上四方固で痛くしているのに「痛くないだろこれくらい男なら耐えろ」と言って、泣く弟をわざと痛めつける。弟は痛くないです痛くないです、とわめきながら嘘をつき、僕はそれに腹を立て更に固め技を繰り出し続ける。

 こんなことをされても、弟は誰かにチクったりしない。いつも暗い顔で下を向くだけ。だから僕も安心して弟に気に入らないことがあれば相撲、柔道、プロレスの技をかけてやった。もちろん親のみていない所で。

 けれどこんなふうにただ暴力で鬱憤を晴らすということは意外と長く続かなかった。1991年4月、僕が小学4年生になり、弟が小学校に進学してから、何やら家庭内の様子がおかしくなってきたからだ。そのとき父親が平日なのに家にいることが増えてきたり、持っていた車は何故かなくなってしまったり、あげく母親まで仕事に出たりと、家中の様子がおかしくなってきた。しまいには、僕が通っていた絵画教室やスイミングスクールも辞めさせられてしまって、弟も市役所に行かなくなってしまった。極めつけは、夫婦喧嘩が増えたことも変化の一つとしてあげられよう。まだ十歳になるかならないかの僕にとって、僕が(親に)何も悪いことをしていないのに捨てられてしまうのではないかという気持ちがだんだん現れてきて、言いようのない恐怖感にさいなまれた。そして次第に、まるで弟のように、僕は一人でいる時間が増えてきた。けれど喧嘩ばかり繰り広げられている家にいると親に八つ当たりされるので、図書館や学校の図書室で本を読んだりしていた。読むのは主に児童書や子供向けの名作劇場みたいなものばかり。でも僕は本を読むのはそんなに好きじゃない。ここにいるのはただおかしくなってしまった家が平和になるまでの時間稼ぎでしかなかった。

 弟の方は、何だか状況がよくわかってないらしくて、いつも家にいて引き続きだんまりな態度でぼんやりしていることが多かった。間抜けにも家から避難すればいいものを「外であそびなさい!」「もっとハキハキしなさい!」など腹いせの的になる。弟は何もしていないのに僕以外の人間(母親)に殴られたりして、結局は奴にとって辛い時間を過ごすこととなっていた。

 まあそんなことは僕にとっては知ったことではない。それどころか、何故僕は今までいろんなことを頑張ってきたのに急に全ておじゃんにされ、その代わりに時々猛り狂う母親の機嫌をとらなければならなくなったのか。親の顔色を伺うより、文化やスポーツの習い事を頑張って続けることの方が将来に役立つという意味でもケンセツテキであることくらい僕にもわかるのに。

 理不尽と言う言葉を、この時期にはじめて知った。もちろん言葉の意味としてだけではなく、現実そのものがそうであるということを。 

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