家畜 第5話

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 もちろん俺が大人になるまでにある程度の交友関係は保たなければならない。というか単純に寂しいというのもある。

 ここ最近携帯電話を買い、バイトもしているので月々の使用料金を払うことも出来る。俺は1998年に入ってから中学の時の旧友に電話をかけることにした。

 中学の時点では誰も携帯やPHSの類を持っておらず誰のアドレスも知らなかったので、俺は卒業名簿から知っている名前を片っ端から探して、自分の部屋からダイヤルした。

 目にとまった名前は、俺にいろんな音楽を教えてくれた地元の工業高校にいった真城という奴だ。こいつは顔立ちが元ブルーハーツの真島昌利に似ていて名字も一文字違いだから、俺はマーシーと呼んでいた。中学生の時に、自分もブルーハーツのボーカルの甲本ヒロトになりきり、二人でバンド組もうぜと言い寄っていた時期もあった。しかしマーシー自身は音楽を聴くのは好きだが演奏したりすることに興味はもっておらず、もちろんギターなんかも持っていない。俺はそいつに対し音楽やれば絶対売れるってとかアクションを起こさないなんて勿体無いとか勝手なことを言っていたものだった。今はどうしているんだろうか。

 マーシーの家に電話をかけた。もしもしというがらがら声が聞こえてきた。そのダミ声は高校1年生とは思えない。

「マーシー?」

 電話先からは返答は来なかった。

「俺だよ、同中だった長塚一郎。久しぶりだな」

 すると相手先はだるそうに、「ああ」と返事をし

「久しぶり、どうしたんだよ」

 と応対した。

「最近どうかなって思って電話したんだよ。もし暇だったら近い内にあったりも出来ないかなって思ってさ」

 マーシーは続けて「ああ」とやる気なさそうに返事をする。嫌な雰囲気に鳴ったりしないように俺は

「俺あれからいろいろあったんだよ。もし暇なら今度の日曜日会わねえか?」

 すると彼はまるで従順な犬のように

「ああ……別にかまわねえよ」

 と言う。俺は思わず声が上ずり

「本当か。じゃあM駅のサトウのコーヒーで待ち合わせしてそれからどっか行ったりしようぜ」

 サトウという名前の駅前のコーヒー店で俺達は10ヶ月ぶりに出会った。二人ともレギュラーコーヒーを頼みながら、マーシーに合わせて喫煙席に座る。煙草の煙は避けたかったが、まあ仕方ない。

 マーシーは変わっていた。まるでテレビの海外ヒッチハイク企画でタレントをトラックの荷台に乗せる陽気な兄ちゃんみたいな短い無造作ヘアで、整ってはいないものの素行は悪く見えない。以前は染髪こそしてなかったもののガラの悪い目つきと某有名ジャニーズタレントを真似たロン毛で教師に目をつけられていた。俺はよく「せっかく顔も名前もブルハの真島に似てるんだからせめてバンダナでも巻けよ」などと茶化したものだが、結局卒業まで頭の悪そうな髪型を押し通した。

「普通に似合ってるな、短い髪も」

 俺はごまをすった。

 奴の話はこうだ。

「俺の学校クソみてぇにハンパな縦社会でよ、先輩が1年のヘアスタイルとか服装とか髪の長さに煩くてよ。入学してから即切らされたよ、学校でアタマはってる奴のしもべみたいな2年坊に絡まれて。集団で抑え付けられて空き教室で無理やり滅茶苦茶に切られて、帰った後何とか自分で床屋に行って整えてもらってこのザマよ。実力主義なのか年功序列なのかはっきりしねぇチンケな風習の良い見せしめさ。お前のとこはどうだ? やっぱり皆いい大学とか目指してんのか」

「俺? 俺はもう学校辞めたよ」

「は? マジで? じゃあ今何やってんの」

「まあブラブラさんだよ。バイトと筋トレ以外やることも見当たらないけどね」

「……っかあーーー……」

 マーシーは持っていたマルボロを口にくわえて火をつけて、だれるように椅子に大きくもたれた。

「マッジかよ……。一郎、お前は何も変わらず出世街道まっしぐらかと思ってたんだが」

 それを聞いて俺は照れた。だが、奴はどうやらそんなつもりで言ったのではなかったらしい。

「俺今さ、通ってる高校で全然普通の奴としかみられてないらしいんだ。中学の頃は髪肩の下まで伸ばしてヤニ吸って先公相手に喧嘩売って、自分で言うのもなんだけど半端な不良なんかじゃなかったと思ってたんだよ。それが工業高校きたらどうなってっと思うよ。町中から来る札付きの悪共が集結してくるもんだから俺がでしゃばる幕なんか全然ないわけ。しかもドラマや漫画みてえにカッコいい番付みたいなのもなくて、ただ暴れたい奴は暴れるくせに、都合のいい時だけ2年坊や3年坊がセンパイの言うことは絶対だとかほざいてはいきがる。先公の目が届いてないところ見計らって喧嘩してえ所でして、煙草は吸いまくるのが普段の授業の光景だ。俺は、そういうのって何か違う、と最初は思ったよ。まあ俺の場合は入学する前からそれほど期待も注意もしてなかったから大した失望とかもないんだが……。でも一郎、お前の場合は違うみてえだな。何か中学の頃いつも何かしら大きな夢を抱いていたみたいだけど、高校も辞めちまって、もしかしてそういうのに遠ざかっちまってるんじゃないだろうな」

 マーシーはそれだけの言葉を多少早口でいうと、灰皿にまだ火のついている煙草をつまむように持って銜えはじめた。

 俺は確かにマーシーの言うとおり、何を目指していたんだろう? 生徒会長をめざすところから始まって、それに失敗し、今に至るまで。ミュージシャン? 芸能人? 大学進学? モデル? どれもそうなようでいて違う。目標とやっていることが定まっていないような気がしてきた。

「じゃあさ、マーシー。お前に夢とかあんのか?」

 彼は銜えた煙草を口から話してフーッと白い煙を吹きかける。思わず手で鼻を覆いそうになった。

「俺? 俺はとりあえず童貞すてることかな。それからテキトーに女作ってテキトーに卒業してテキトーに就職する。そんな人生でいいと思ってるよ」

 そう言ったマーシーの目は死んでいた。奴は中学を卒業してから、俺以上に変わってしまったのかもしれない。何かをやろうという気持ちはもう奴の中にはなくなっている。まあもともとアンニュイな性格ではあったが。

「どうだ、一郎、おまえからすればつまらない人生だろ」

「いや、そんなこと」

 と否定したが、動きが挙動不審で、多分そう思っていることがばれている。何とか話をそらそうとしたが、ここは自分の生涯を話したりして謙虚さを見せ付けるほうが得策だろう。

「ああ、マーシーよ、俺も確かにいろんなこと目指したよ。でもお前みたいに、たとえちっぽけに見えても目標ある奴の方が今はいい時代なのかもしれねえよ。いや、時代は関係ねえか……。ただ、俺が言いてえのは……もっとビッグになりたいってことだけなんだ、自分がな。今もそれは変わんない。むしろお前のほうこそ俺が情けねえ男に見えるかも知れねえ……上手く言えねえけど、こうして何かを探しながら生きていくってのも乙なもんだぜ」

 本当に、自分でも何が言いたいのかよくわからない内容の台詞になってしまった。こんなふうに話がまとまってないのは、今の自分がちゃんとした目標を定めていないからかもしれない

 かくなるうえは、この妙な雰囲気から脱出するしか。

「……まあ人には人の事情ってもんがあるよな、マーシー」

「だな」

 

 そして、一日が終わった。

 俺らはその一日、コーヒー店を出てカラオケで二人で歌った後、服屋に行って何を買おうかとか話し合ったりした。それから出来たばかりの携帯ショップに行って――奴はまだ通話料だけのクソ安いPHSだった――おすすめの携帯あるからそれに乗り換えちまえよ、と言ってみたりして、二人でM市の商店街を巡り巡った。うん、大したことはない。言葉にすると本当に「そして、一日が終わった」の一言で済む。

 俺とマーシーが別れた後、早速俺の中で考えなければならないことがブワっとおおなみのように出てきた。家に帰って部屋の中で考えた内容はこうだ。

(俺は結局学校を辞めて何をしたかったんだろうか。ズウーのことを太らせて自分はバイト行って筋トレして見た目を良くしたつもりだったが、今の自分が果たして、単純に他人から羨ましがられたり尊敬される立場だろうか。いや、それは違う。確かに俺は家族を憎んでいるし駄目人間揃いだとも思っている。だが自分が何をすべきか、何を辞めずに頑張るべきか。こんなことを教えてくれなかった親がいる一方で、まるで宙ぶらりんな自分というものがいるのもまた事実だ。第一今のような生活を続けて、俺は何をやるつもりなんだ。ミュージシャンか、芸能人か。いずれにしても今のままでは到底不可能だろう。才覚や努力は別にしてもきっかけがない。もっと具体的な方法で、自らをその環境におかなければならない。

 別の高校に行こう。親は何ていうか知らないが、自分が今までのようにバイトをしながらでも行ける高校にしよう。マーシーには悪いが、あんなふうに将来も今やりたいことも捨てたような思春期を送りながら大人になりたくねぇ。そうだ、できるなら都内の定時制高校なんかはどうだ。勉強のレベルも俺にとっては楽勝だろうし、いろんな人間がくるから様々な分野での交流や活動のきっかけがつかめる。更に芸能人が入学してたりなんかしたらそのコネクションも出来る可能性がある。まさに俺に合った方法ではないか。今はまだ1月。願書の提出には間に合うはずだ)

 早速そのことを母親に話したら、最初は訝っていたものの、今度こそ高校の卒業の資格を取ってやりたいことを見つけるんだ、ということを強調したら、わりとすぐにOKしてくれた。入院前でヒステリーばかり起こしていた母親であれば、もしかしたらこううまくはいかなかったかもしれない。

 世の中に希望が見えてきた。確かに何度か挫折してきた俺だが、今度はちゃんと身の丈に合った、そして自分の目指す方向が見つかりそうなところへ行くのだから、きっと俺の未来は明るいはずだ。だが、今まで俺に対してしてきた奴らへの復讐心や害心は忘れない。ズウーに対しては今後は俺の新たな同級生から見た、格好良い男の格好悪い弟としていてもらう。そのためには今後も給餌活動を進めていかなければならない。奴の体重は今80キロ弱。このままでも良いが、更に俺が筋肉などをつけていくことによってどんどん引き立て役としていてもらうことが出来る。そのためには何でもいい。因縁をつけるでもよし、暴力を振るうでもよし。しかし最近母親が温厚になってきているから、ある程度はバランスをとらなければならなくなるだろう。優しい兄貴の一面もある、という印象を与え、もっともっと太ってもらわないと困るのだ。俺の思春期を弟というみじめな雑兵で映えさせなければならない。奴は掃き溜めとなり、俺が鶴のように美しく舞うのだ。

 そしてマーシーには悪いが、奴、いや中学の頃の同級生全員ともこれで見納めだ。俺は新しい場所で新しく生まれ変わるのだ。その為には馬鹿ばかりの中学の頃の旧友はもう必要ない。更に言ってみれば15、6の若さで自分の人生を簡単に半ば諦めて敷かれたレールで無心にただ前進しているだけの奴には、もう自分の人生のそばにはいなくていいのだ。これからは個性溢れる仲間とともに新たなる人生を築く。それが一番大事。 

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