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今日の本 記号と事件3

 では、要素でも集合でもない、この「と」というのは、いったい何なのでしょうか。ゴダールの強みは、「と」をきわめて斬新なかたちで生き、思考し、提示するだけでなく、「と」自体が強い能動性をもってはたらくようしむけているところにあると思います。「と」というのは、ふたつのもののうちのどちらかひとつを指すのではなく、ふたつのものの「あいだ」にある境界を指しているのです。どんな場合にもかならず境界があり、逃走の線や流れの線があるわけですが、ただいかんせん、これがもっとも知覚しにくい部類のものであるため、実際にはなかなか見えてこない。しかし、事物が生起し、生成変化がおこり、革命が素描される場は、この逃走線にあるのです。
(中略)
知覚できない境界がふたつのものを分かちながらも、その境界自体はふたつのうちのいずれでもないということ。この境界はまた、ふたつのものを非=並行的進化に巻き込み、どちらが相手を追っているのかも、どのような結末が待ち受けているかもわからないような、逃走や流れにすべてを引きずりこむ。

『記号と事件』Ⅱ 映画 ドゥルーズ


「と」のうちに、
逃走と流れ、
時間と空間のズレ、
差異、生起、生成変化、
革命、反復、
感情、関係、
能動的な運動が入り込んでくる。

あいだに「と」を挟む、複数の個体または集合、
それらは閉じた系であることに違いないが、
「と」に発生する運動が、
それらの関係性に常に変化をもたらし、
開放系として全体を変形させていく。

『我と汝』(ブーバー)
『戦争と平和』(トルストイ)
『ハチミツとクローバー』(羽海野チカ)
並列であるが故のダイナミックな運動。

「と」のなかに何が展開しているのか。

そこには「ある」はなく、
「なる」が渦巻いている。
そこに物語はなく、
ただ予想もつかない運動だけが待ち受けている。

「と」がつなぐ両者が重なり合うところ、
それは影(加法)となり光(減法)となり、
「または」となり「かつ」となる。

水壁、
なにかを区切っているようでなにも区切っていない、
点のようでいて、線のようでもある、
水鏡、
映しているようで映していない、
見えない何か、
語り尽くせない何か、
それが「と」そのものである。


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