![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/156399818/rectangle_large_type_2_ac021a06f7c51f1308c55ef60cc093c5.jpeg?width=1200)
今日の本 人間不平等起源論
時と海と嵐とがすっかり歪めてしまったために、神様によりもむしろ猛獣に似るようになったグラウコスの像と同じように、人間の魂は、社会のうちで、後から後からと生まれてくる無数の原因により、多数の知識と誤謬とをえたことにより、身体の構成がさまざまな変化をこうむったことにより、また感情の絶え間ない激動によって、いわばその外観がほとんど見わけられないほどに変わってしまっている。
透明を失い、透視もできない
「被る」以前の姿、
それが見えなくなってしまうこと。
感情により被る外皮。
知識と誤謬は、卑屈と傲慢という
燻んだ鱗を授ける、BlueBlu。
内は福、外は鬼。
身と皮、魂と社会、たまねぎのように
「むいてもむいてもでてこない」なんてことはない。
あとからあとからわいてくる原因と
腐敗という観念のせいで、
ぬけられない巣穴。
「山のあなた」はいつしかあらわれてくる
海のそこ、ほんとうのグラウコス。
時と海と嵐、
身じゃなく関係性から出たサビの堆積。
悪は外在的なものであり、外側の情熱である。(中略)悪はヴェールであり、ヴェールを被せることであり、仮面であり、人工物の密接な部分なのである。そして、もし人間が人為の手段によって自然の所与を否定する危険な事由をもたないならば、悪は存在しないはずである。すべてのものが堕落するのは人間の手のなかなのであって、心のなかではないのだ。人間の手は労働し、自然を変化し、歴史をつくり、外界を改良し、そして長い間に時代と時代の相違、人間と人間との闘争、「個人と個人」のあいだの不平等を生みだすのである。
「ぢつと手を見る」
啄木に見えていたものは、罪と差異。
同じ時代の同じ手が、どんどん積み上げていくもの。
碁、すごろく、物語。
その手で拭おうとしても、
汚れと厚みを増す仮面。
罪は手の拡張から生まれる。
自然の加工から生まれる。
道具なしには罪は生まれない。
ヘビは人類にとって最初の道具であり、
外在的な「モノ」であった。
そしてイブにとって、
アダムさえ「モノ」となった。
お釈迦さまの手のなかで
バツを描いた孫悟空。
いわずもがな歴史とは人工物。
便所の落書きですら欲望する永遠
情熱と不平等、差異により刻まれる歴史
人間は動くものに弱い
「ぢつと見る」、
その手だけが
自然の、あるがままの人間。
その手だけが、
束の間の、在りし日の、永遠のグラウコス。