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今日の本 解けない問いを生きる

<かたち>を突き動かして生みだしていく、
しかしそれ自身は <かたち> になりえない力。
現在という決定された瞬間を逃れさる、
未決定的なものである流れ。
こうしたあり方を、ドゥルーズは、
「現実的」
(=現在という断片にかかわる、 <かたち> あるもの)
ということと対比させながら、
流れそのものを示す
「実在的」なもの
(=生成にかかわる、 <かたち> 以前のもの)
と記述する。
そして、ドゥルーズが
「理念的」
という言葉で表現したかったことは、
こうした、 <かたち> にならず新しさを生みだしていく、
リアルな力の働きの場面のこと
(潜在的に実在的であるもののこと)
なのである。

『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』 檜垣立哉



「古池や」

<かたち> という言葉から、どうしたことか、
<かたち> に成り下がった名句の断片が思い浮かぶ。

とりいそぎ、言葉という<かたち>を放り出す。
「や」という切れ字は、
その場面に発生している(発生しうる)流れを
文字通り、ブツと切る。
とりいそぎ、断面を差し出す。

力の余韻、「リアルな力の働き」、
その断面から、何か蠢くものが
あらわれることを期待して。

言葉に内在する、
ただのスカラにそそのかされて。
「黒い遮蔽幕」を準備して、
罠を仕掛けて待つ心のはたらき。
ほとぼりを断ち切ることで、
感じる流れの頂き、触手の触れたがり。



生成や流れとは、
見えるものであるこの世界を作りあげる、
見えないものである。
それは <かたち> として感性化されることはない。
生成とは、
新しいものの出現である以上、
それが何であるかを理解すること
(=悟性によって把握すること)
をも超えてしまう。
だけれども流れや生成は、
この世界の成立を考えるときには、
どうしようもなく考えなければならないものである。
この意味で、生成や流れとは、
「理念」的なものである。
「理念」的であるということによって、
ドゥルーズは、感覚的な把握によっても
理解によってもつかまえられない、
卵の未分化なあり方に言葉を与えようとしている。


「蛙飛びこむ」

見えるものである蛙が見えないものである。
悟性とは慣性に似ている。
理解することと一定の速度を保つこと、
いずれも「変化」という概念とは無縁である。

「どうしようもなく考えなければならないもの」、
それは飛びこむ(飛びこませた)ということ、
蛙、芭蕉、そんなちっぽけな主語ではなく、
飛びこむ、述語の問題。
「飛びこむ述語」、の問題。

蛙の卵であっても構わない。
金作の堕胎であっても構わない。
「飛びこむ」というスカラを内包した
「理念」というどうにもしがたい
世界の潜在性とその開放。

ひらいている、ひらきだしてる。
さけている、さけだしている。

おのづと、おのづからのはざま
歓喜する痛みと疼き。


だからドゥルーズの論じる「内在」とは、
むしろ主観の枠組みの外へと、
自己の身を投げだす働きであるともいえる。
想定された根拠を捨て去って
(そうした視界に立つことを放棄して)、
いずこへとも知れず流れていく生成に、
内側に入り込みながら言葉を紡いでいくこと。
流れの外部に立つことはありえないことを前提に、
自らもそれであるような流れを、
あくまでも内から記述する議論であること。

(中略)

これらの表現はむしろ、
流れを中断することなく
生成そのものへと飛び込み、
そこで見いだされる流れを語る方法論に
直結するのである。
それは、 <かたち> ある
この世界のなりたちを探るために、
<かたち> を生みだす見えない力へと、
われわれの視線の向きをかえる指標なのである。


<かたち> の果て、ではなく
力の流れ。
「利己的な遺伝子」のような考え。
わたしたちは力に乗りこなされている。
そのような視界に立つこと。

「不安」は <かたち> になりたがる。
それは特定の人間の姿をとる。
妖怪となる。悪魔となる。魔女となる。
民族となる。肌の色となる。やまいとなる。
<かたち>にすれば、
それを滅することで解消される、
と解釈をする。
「解釈」もまた、<かたち> のひとつである。



「水の音」

ひろがりゆく波紋、それが行きあたるところ、
その波紋をぐるりと囲い込む「黒い遮蔽幕」により
正反対の側に回析し、
複雑に干渉させながら収束していく。
そしてその中心から
原始の地球が水玉のように飛び出すことも
統計学的にはありえないことではない。

芭蕉と蛙の関係性は
カフカと甲虫のそれに似ているような気がする。

「<かたち> あるこの世界のなりたちを探るために、
 <かたち> を生みだす見えない力へと、
 われわれの視線の向きをかえる指標」、
つまり「内在」のありかたは、
それがほんとうに必要とされる場面となれば、
みんなおなじ性質のものなのかもしれない。


「水の音」、「水の音」、「水の……


滴りつづける、解けない問いを生きる、
ためのTOYガチャ

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