谷川俊太郎の死を受けての散文
谷川俊太郎さんが亡くなった
紛れもなく現代詩人の代表的存在であるし
詩人を生業に出来た稀有な人
彼の仕事には常に詩がまとわりついていたように思いを馳せる
自分も詩をちゃんと書き始めた頃
良くも悪くも影響を受けた
良かった点は詩という表現の幅広さを知れたこと
悪かった点はその幅広い表現を自分も出来ると思ったこと
全てではないけれど
その多くが劣化した模倣になってしまった
ただその模索も迷走も
落葉が土になるように糧にはなったと信じる
20年以上前
大学で谷川俊太郎さんの講演があり
講演の後
大学の広場でポエトリーリーディングを披露された
声色 抑揚 リズム 間 立ち姿 言葉
そこは一塊の詩人の場になった
そのときの気温も匂いの記憶もなく
ただ淡く綺麗な思い出にするには
一番はっきり憶えていることが
当時ある種の衝撃を受けた
「なんでもおまんこ」を詠まれたことなので
どうにも締まらない
大勢の学生がほくそ笑んだり苦笑いしたり真顔で観ていたと思うが
その景色こそが淡くなっている
ただ学生の自分も今も
胸を張ってこのアナーキーな詩が好きだと言える
その後自作の詩を一編見てもらえた
どんな詩だったかは覚えていない
あまり評価はされなかったと思うし
彼の指摘に上手く答えられなかったと思う
もっと他の詩だったら褒められたかも、なんて
それはそれで浅ましい考えだな
文庫にサインをしてもらえたけれど
僕が彼の単行本の詩集を集め出すのはその少し後
あんな日焼けした古本よりマシな本にサインをしてもらうべきだったなんて
本人は気にも留めないだろうことを今も気にしている
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最後に谷川俊太郎さんの詩集『夜のミッキー・マウス』より「あのひとが来て」を。
お悔やみ申し上げます。
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あのひとが来て
長くて短い夢のような一日が始まった
あのひとの手に触れて
あのひとの頬に触れて
あのひとの目をのぞきこんで
あのひとの胸に手を置いた
そのあとのことは覚えていない
外は雨で一本の木が濡れそぼって立っていた
あの木は私たちより長生きする
そう思ったら突然いま自分がどんなに幸せか分かった
あのひとはいつかいなくなる
私も私の大切な友人たちもいつかいなくなる
でもあの木はいなくならない
木の下の石ころも土もいなくならない
夜になって雨が上がり星が瞬き始めた
時間は永遠の娘 喜びは悲しみの息子
あのひとのかたわらでいつまでも終わらない音楽を聞いた