五十嵐川の由来~歴史に思いを馳せて低山トレッキング~
縄文時代、地球の気象変動により、日本も寒冷化に見舞われました。それに伴い、北海道に先住していたアイヌ人も北海道を離れ南下をした訳ですが、どこまで南下したのかは現在の私たちのルーツを知る上でとても重要な話です。
この新潟の地名はアイヌ語に由来していると思われる場所が数多くあり、新潟の地まで、アイヌ人が南下しであろうことはほぼ確実と言われています。では、どこまで南下してきたのかという話ですが、三条というのが有力視されています。
というのも、狩猟民族であったアイヌ人にとって、見晴らしの良いところは動物の群れを捉えたり、敵の侵攻を未然に防いだりするために、非常に重要な場所であり、北海道を離れたとしても、彼らが移住するとしたら、見晴らしの良い場所を選ぶことでしょう。その見晴らしの良い場所のことをアイヌ語で「インガルシ」などと言うそうです。移住先に選んだ場所を彼らは「インガルシ」と呼んだことでしょうし、そのに流れる川は「インガルシ川」と呼ばれたに違いありません。
そう。三条には五十嵐川が流れており、三条発祥と言われる姓である「五十嵐」はこの「インガルシ」に由来しているのではないかという説が有力視されていたのです。
アイヌ人がどこまで南下していたかという研究をしていた北海道の大学の先生が、この仮説を立て、では、三条のどの場所が「インガルシ」であったかを考え、辿り着いたのが、三条平野を一望に収められる独立丘であるこの「要害山」でした。
四年前にこの話を聞かせてもらって以来、いつか登ろうと思っていたのが、この要害山でした。地図も読めるようになったのでと、チャレンジして来ましたが、地図を忘れるという大失態。
まあ、何とかなるかと浄水場のフェインス沿いに急登すると、踏み跡らしきものがあり、そこをしばらく歩くと山中に突如と朽ち果てつつある鳥居が現れました。そこから先は踏み跡がなかったのですが、Googleマップと照らし合わせながら、一番標高の高そうな場所を山頂とし、これで要害山を制覇したことにしました。展望は「インガルシ」どころか、展望はまるでありませんでした。
すぐに下山しましたが、別のルートで踏み跡を見つけたので、そこから下りると登り口らしきところにも鳥居がありました。
標高わずか141mなので、正味30分ほどの登山でしたが、念願は叶いました。
実はこの話にはエピソードがあって、そのアイヌ人の南下を研究している先生が、三条の要害山に来たのかどうかは分かりませんが、この話は私が公私ともにお世話になっている三条地名研究会会長のS先輩という方からお聞きしました。
S先輩によると「要害山はそもそも展望はそんなに良くないし、そういう話なら八木ヶ鼻なんじゃないの?」とその先生に進言したそうです。展望の良い場所を意味する「インガルシ」は、北海道の遠軽町などの地名として現在も残っており、遠軽町には「瞰望岩」という断崖絶壁の大変見晴らしの良い岩があります。その岩が八木ヶ鼻にそっくりなことからS先輩はそう話したと言っていましたが、今ではこの説が有力になっているそうです。(瞰望岩、画像検索してみて下さい。八木ヶ鼻ソックリ!!)
今日、実際に要害山を登ってみて展望がないのは良く分かりましたので、おそらく八木ヶ鼻が彼らの「インガルシ」だったのでしょう。それなら五十嵐川の由来も納得がいきます。
このように歴史に思いを馳せて近所にある低山を登るのも楽しいものでした。
(2016年5月18日)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?