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比較した分だけ、自分の人生が遠のく。
水曜日は、『持論カフェの持論解説』です。
過去の持論カフェの放送回の中から、持論を一つ取り上げて、詳しく解説していきたいと思います。
今回は、『比較の捉え方論』から、相談やアドバイスに関する持論が登場します。
その名も、新・相対性理論
ちょっとこれだけでは分かりづらいので、少し詳しく解説します。
この持論は、“能力”で比較するのではなく、“自分にとって幸せかどうか”を基準にして、物事を考えるという持論です。
基本的に、人は自分と誰かと比較してしまいますが、それはフォーカスを当てる視点が明確ではないからなのです。
ほとんどの人は、誰かに勝つために生きているわけではありません。
最も大事なのは、自分が幸せであることです。
なので、誰かと比較する前に一度立ち止まって、自分にとってそれが幸せなことなのかを考えていけばいいのです。
例えば、学校で自分よりも成績が良い人がいたら、悔しがる前に、その人に勝つことが自分にとって幸せなのかを考えましょう。
大体の場合、自分の志望校に合格するために勉強していたり、評価の高い内申点をもらいたいから勉強を頑張るはずです。
そいつに勝つかどうかは、実は、全く関係ないのです。
だからこそ、追求するべき問題は、足りていない幸せを自分の行動によって、埋めていくことです。
志望校に合格することが幸せなら、志望校に合格する程度の知識を入れていけばいいだけの話なんです。
その考え方を、仕事、恋愛、部活、人間関係などにも持ち込んで、きっちりと幸せの定義を確認すれば、比較で悩まされることはないでしょう。
逆に言えば、その定義があいまいなままだと、永遠と比較の苦しみが襲ってきます。
自分よりも仕事ができる人、自分よりもモテる人、自分よりもスポーツができる人、自分よりも頭が良い人、自分よりもお金持ちな人、探せばいくらでもいるでしょう。
しかし、他人を基準にして生きるというのは、自分を前に進ませてくれませんし、そんな人が消えたからと言って、自分が幸せになる確証なんてありません。
周りに比較されて脅されても、自分の幸せを追求することより、考えるべきことではありませんよね。
自分が幸せを追求するために、比較なんて邪魔でしかありません。
自分の幸せは、他人の力ではどうにもならないんです。