![オムレツ表紙](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/8634852/rectangle_large_type_2_abefdd3bb8a5a1db5537282b090156a0.jpg?width=1200)
みどりちゃんと緑のオムレツ
「あれ? みどりちゃん?」
大学生の時、アルバイトをしようと私は六本木のカフェへ面接に行った。面接は合格。そして時給やシフトの話が一通り終わると、店長が「君、どうしてもこの店でなきゃダメ?」と尋ねてきた。
「うちの系列店が近くにあるんだけど、君はそっちの店の方が向いてると思うんだよ」
なんら異存はなかった。働ければどこでもよかった。
「じゃあ今からその店に行って説明しよう。お客様との距離が近い分、時給もぐっと上がるし稼げるよ」
私は田舎から東京に出てきた、何も知らない子だった。いやちょっと違う。何も知らないくせに、何もかも知った気になっていたバカな子だった。若さゆえの根拠のない万能感と、これまた訳も無い絶望感に満ちあふれていた。こんな子供を「君には向いている」「稼げるよ」などという甘言でたらし込むのは、たやすいことだったろう。
その系列店とやらが、ヤバかった。そもそも店ではなく、マンションの一室である。六本木の路地裏の知らんマンションに、知らん男に連れ込まれる私、相当ヤバい。さらにマンションのオートロックでは、「やま」「かわ」みたいな合言葉を告げないと絶対開けてもらえないと説明される。なんだそれ。かなりヤバい。
マンションのドアを開けると、もっとヤバかった。女の子がいっぱいいたのだが、全員バスローブ着用なのである。店長に向かって女の子が「ボス、おかえり〜」とシナを作って走り寄ってくるのである。その動作で「バスローブの下は裸」なのがわかっちゃったのである。もう、ヤバいヤバいヤバい。この時点でやっとボンクラ女子大生の私にも「ここはヤバい」ことが理解できた。
逃げないと。
女の子の待機所である部屋に私を誘うと「ちょっとここで待ってて。30分くらいしたら社長が来るから」と言い残し、店長はいなくなった。逃げるなら今だ。トイレに行くふりをして逃げよう。「あのう、トイレどこですか?」とバスローブ女子の1人に話しかけた。すると驚く答えが返ってきた。
「あれ? みどりちゃん? みどりちゃんだよね、私、ほら、ミズキ。歌舞伎町の店で一緒だった」
残念ながら私は歌舞伎町の店にいたこともなければ、みどりちゃんを名乗ったこともない。ミズキちゃんなんて知り合いもいない。私は「違います」とつっけんどんに答え、脱兎の勢いで逃げた。追っ手をまくため六本木駅を通り過ぎ、乃木坂駅まで走りに走った。ただミズキちゃんの顔だけは、どこかで見たような気がするのが謎だった。
それから数年後。私が働いている職場に、もとはどこかのお偉いさんが嘱託として配属されてきた。まあ、いわゆる天下りである。給料は高い割にやることがないものだから、やたら女性にちょっかい出しては1日をやり過ごす。その人が、私に会うなり「みどりちゃん」と呼び始めたのだ。
今度のみどりちゃんは、大阪は新地の店にいたらしい。もちろん私は新地で働いたこともなければ、みどりを名乗ったこともない。だが嘱託さんはその後も何度も呼び間違え、そのたびに「だって声も所作もとてもよく似ているんだよ」と言い訳をしていた。
それからさらに数年がたった。私は飲食店をやっていた。そこに常連客の1人が「今日は大阪から妹がやってきた」と連れてきた。感じのいい妹さんだった。よく食べ、よく飲み、話も面白かった。ただ、きちんと紹介してもらったにも関わらずなぜか私のことを「みどりさん」と呼び間違えるのが気になった。
妹さんに「なんで私のことみどりさんと呼ぶの?」と尋ねた時は、もうすっかり妹さんも出来上がっていて「大阪で...よくいく店の...むにゃむにゃ」となり、それ以上のことは聞けなかった。実に悔やまれる。本当のことを知りたかった。でもたぶん、みどりちゃんはいるんだ。若い頃は歌舞伎町で働き、のちに大阪へ移り住んだ、私によく似たみどりちゃんは今でも元気にやっているんだと、なんだかホッとした。
ひとつ気になるのは、最初に話しかけてきたバスローブのミズキちゃんのことだ。私は彼女と会ったことなどないのに、なぜか見覚えがあった。デジャブだったのか。どこにでもいる顔だったのか。それとも精神的ふたごであるみどりちゃんが見ていたから、私も見たように感じてしまうのか。
私は「精神的ふたご説」を取りたい。だってその方が面白いもの。
さて、みどりみどり聞いてたら、すっかりほうれん草が食べたくなったことだろう。よし、今日はほうれん草いっぱいの、緑のオムレツを紹介しよう。フライパンいっぱいに広げるため、かたちを整えるのが楽。きっちり火を通すため持ち運びも楽。お弁当や持ち寄りパーティにもぴったりだ。ぜひ。
【緑のオムレツ】
卵 3個/ゆでたほうれん草(冷凍を使うと楽) 150グラム/タマネギ 1/4個/ニンニク ひとかけ/ベーコンかハム ほんの少し/塩、コショウ、オリーブオイル 適宜/飾り用のトマト
いわゆるスペイン風オムレツである。なのでニンニクとオリーブオイルはマスト。これで底味が決まる。
フライパンにオイルとニンニクを入れじっくり火を通し、香りが出てきたらタマネギを入れよく炒める。さらにほうれん草を入れて軽く炒めたら、フードプロセッサー等でペースト状にする。
野菜類はできるだけ細かい方が、きれいにカットできる。そのためフードプロセッサーやブレンダー、カッターなどをお持ちの方は、フライパンで野菜を炒めたあとマシンにかけて粉砕する。持ってない場合は、包丁で頑張ってみじん切りにしよう。まあ多少粗くても、そんなに気にすることもない。
卵をボウルでよく溶いたら具を入れ、塩で味をつける。フライパンは20センチくらいの小さいものを使う。オリーブオイルを熱したら卵液を流し入れ、ふたをして中火で5~6分ほど焼く。ほぼ固まったくらいでひっくり返して弱火に落とし、裏面を3~4分焼く。
フライパンの大きさとオムレツの厚さで焼く時間は多少変わる。ただ余熱で火が入るしあまり神経質になることもない。最悪カットしたときに中が生だったとしたら、電子レンジにかけてしまうという手がある。心配ないさ。
緑のオムレツなので、赤い色が映える。盛り付けにはぜひトマトを使って欲しい。写真のトマトソースは、生のトマトをみじん切りにし、塩とオイルを混ぜてしばらく置いてトロッとさせたもの。シンプルだが肉でも魚でもなんでも合うので、覚えておくと重宝する。
あれから時は流れ、先週のことだった。私は映画の時間に遅刻しそうで、カーッとなりながら伊勢丹の前のスクランブル交差点を走っていた。するとすれ違い様に誰かが「あれ? みどりちゃん...」とつぶやいたのだ。中年の走りは、すぐには止まれない。だいぶ行きすぎてから振り向いたが、もう声の主が誰だかわからなかった。泣きたくなるような気持ちをグッとこらえ、私は映画へと急いだ。
長編小説「みどりちゃん」はまだ終わっていなかった。次章はまた新宿から始まるのだろうか。何年かしたらまたどこかの街で、声をかけられるのかな。
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