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あのころ、下北沢で

10歳の夏だった。私は「大好きな横浜のおじちゃんのところへ子供だけで電車に乗って遊びに行く」というミッションをクリアし、よその家のご飯を食べ、よその家の風呂に入り、素敵なお客さまライフを満喫していた。

横浜のおじちゃん とは ↓

次の朝ごはんを食べていると、おじちゃんの妻・Rおばちゃんが「下北沢に行こう」と誘ってきた。おばちゃんは下北沢でヨガを習っていて、今日がそのレッスン日だという。レッスン自体は2時間程度なので、その間は街をぶらぶらしているといい。終わったら合流してランチしましょう。シモキタは面白い街よ〜という。もちろん子供の我々には異論があるはずもなく、名前だけは聞いたことなるような無いような「下北沢」へと向かったのである。

ヨガ教室は今でいうマジスパのあたりにあった。私たちは今でいう古書ビビビのとこまで一緒に出向き、今でいう北沢タウンホールのあたりで2時間後に再会することを約束しておばちゃんと別れた。さあ、いよいよ自由だ。10歳の小娘が7歳の妹を守りながら東京の知らない町を探索するクエストの始まりだ。冒険者である私はさっそくルイーダの酒場ならぬ、本屋を探した。

ネットもスマホもない時代、情報を得るには本屋しかない。それに気づいた10歳の私を抱きしめたい。街を歩く前にタウンガイドを読んでおこうとなぜ思いついたのか。自分でも不思議でしょうがないが、それが私の初期設定だったんだろう。ともかく私は駅前の白百合書店を見つけ、いくつかの本から下北沢の地図、気になるお店、目印になりそうな場所などを確認し、本を買うお金は持っていなかったので頭に叩き込んだ。幸いにして「地図を覚えるスキル」や「美味しそうな店がわかる能力」なども基本技にあったため、苦ではなかったと思う。そうして我々は駅前食品市場の喧騒を通り抜け、シモキタのまちへと繰り出したのである。

最初に南口の方をうろうろして、庚申塚から引き返すかたちであずま通りの方へ抜け、そこから踏切を越えて一番街へと入っていった記憶がある。これから下北沢の思い出話はいくつも書く予定なので、おそらく毎回「当時の下北沢は狭かった」と言うことになると思うが、いや、あれはほんとに狭かった。80年代でも相当に狭かったが、70年代なんてもう駅周辺にちょろちょろ店がある程度で、ちょっと歩けばすぐ住宅地みたいなものだった。庚申塚といえば今では餃子の王将のおかげもあり「シモキタど真ん中」みたいな顔をしているが、あのころは「シモキタのはずれ」と言っても過言ではなかった。まして一番街ときたらそりゃあもうすごかったのである。

きっと大人の目には見える店があっただろう。夜しかやってないバーとかはあったかもしれない。酒屋や葬儀屋など実用的な店は当時からあったに違いない。だが思春期に入ろうとしている小学生の乙女の目に、葬儀屋は映らないのだ。私は今でいう「麺と未来」あたりで早々に見切りをつけ、今でいう「いーはとーぼ」の角を曲がり、駅方面へと向かい始めた。

いくつか角を折れると「ジロー」というイタリアンレストランに気づいた。

それは最近取り壊されたばかりの、最近までセガフレードとか靴のリーガルショップが入っていたビルだと記憶している。ただ以前、下北沢に長年住んでる方に尋ねたら「そんなとこにイタリアンなんてあったかな」という答えだったので、もしかすると2本くらい筋が違うかもしれない。ともかくビルの2階にレストランがあり、階段の下にはメニューが出されていた。

飲食店のメニューがあったならそれは必ず見なくてはならない。それは物心ついた時からの私のルールである。「餃子のおんがえし」を読んでくれた方はわかるだろう。夢の中でも私は街角のメニューに気を取られ、強盗に襲われているオットを助けにいけないのである。1人で飲んでる時もメニューさえ眺めていれば楽しいのである。そんなわけで私は颯爽とジローのメニューを見にいき......気づくと店内に座ってた。口開けの客となった。

言っておくが、まともなイタリアンレストランである。10歳と7歳の子供が気軽にこれるフードコートとはわけが違うのである。しかも私は大胆な行動に出るタイプの子供ではない。普段は臆病で不甲斐ない、腰抜け街道まっしぐらの生き様だ。石橋は叩いて壊すもので、火中の栗は冷めるまでほっとくタイプだ。だが食べ物がからむと別の人格が表に出てくるのである。食べるためならどんな意地汚い困難にも挑む勇気の持ち主なのである。その時の私を導いたものは「ウインナ・シュニッツェル」の文字だった。

なんという巡り合わせだったことだろう。私はちょうどウインナ・シュニッツェルについての記事を読んだばかりだった。家にあった、海外の写真だらけの、あの心躍らせる雑誌。そこには「ホイリゲ」と「ウインナ・シュニッツェル」を楽しむウイーンの市民の楽しげな写真が載せられ、それがどんなにうまい最高の組み合わせであるかが渾身の筆で書かれていた。あ〜食べたい、と心から思っていた。それが今、目の前に現れた。この店に入れば食べられる。そう感じた時にはもうドアをあけていたということだ。

私は意気揚々とウインナ・シュニッツェルを注文し、そうだ、妹にも何かあてがわないとお店の人に悪いなと思い、なぜかミルクティを注文し、ライスやパンは辞退した。私にはウインナ・シュニッツェルさえあればよかった。ウインナ・シュニッツェルに溺れる覚悟はできていた。初めてのウインナ・シュニッツェルは薄く大きく皿の上に広がり、肉の上はレモンとゆで卵できれいに飾られていた。味はもちろんとてもとても美味しく、ウインナ・シュニッツェルだけを猛スピードでガツガツと平らげた小学生を普通に扱ってくれたこの店に入って、本当によかったと思えた。こうして私の下北沢は、ウインナ・シュニッツェルで始まったのである。

かつちゃんぽん

【ウインナ・シュニッツェル...みたいなもの】

<材料>
・肉
・小麦粉+溶き卵+パン粉の揚げ物セット
・レモン
・ゆで卵(固茹で)
・パセリ
・ジャガイモ
・油もしくはバター

肉は仔牛肉を使うと本場っぽいのだが、日本の近所のスーパーではそうそう仔牛肉など売られていないし、実際に豚肉や鶏肉を使う地域も多いので、ここは好きな肉で良いとしよう。

肉叩きとか麺棒とかコン棒とかの武器で肉を薄く薄く薄〜く叩き伸ばしておく。ラップにはさむと簡単。お手持ちのフライパンと同じくらい大きくするとかっこいい。塩をいい感じに振っておく。

パン粉はできるだけ細かい方が本場っぽい。フードプロセッサで粉砕してもいいし、面倒ならビニール袋に入れて手でぎゅっぎゅっともむだけでもOK。

小麦粉、溶き卵、パン粉の順につける。油の海にぼちゃんと鎮めるのではなくフライパンで揚げ焼きにするため、はねる心配が少ないのがいいところ。したがって衣もあまり神経質につけなくても大丈夫。

付け合わせはジャガイモ。とにかくジャガイモ。茹でても、蒸しても、焼いても、揚げても、丸ごとでも、潰しても、ポテサラにしてもなんでもいいけど、とにかくジャガイモ。先に用意しておく。

フライパンいっぱいに油を1センチくらい入れたら、衣をつけた肉を入れて揚げ焼きにしていく。肉が薄いのですぐ火が通るのもいいところ。衣の両面にいい色がついたら出来上がり。

ゆで卵の黄身と白身を完全にわけ、それぞれポロポロに細かくしておく。レモンの薄切りとパセリ、ゆで卵でシュニッツェルの上を飾る。当時の記憶を思い出すとこんな感じである。

あとで画像入ります

ヨガ終わりのおばちゃんと合流し、私は何食わぬ顔で2度目のランチをいただいた。お腹いっぱい、腹パンパンだったことだろう。だがそちらの方はもうまったく記憶に残っていない。


めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。