カナサゴのタナカヒロシで手紙が届く話
水戸の居酒屋で次の酒を頼もうとしてメニューを開いた私はそこにあった文字を見つけ「カナサゴ!?」と少し大きな声を出した。
カナサゴは地名である。昭和と平成にそれぞれ近隣と合併し、今は常陸太田市の一部となっている土地である。私が初めてその名前を聞いた時はまだ金砂郷村であり、そこの出身だというヒロシくんの発音は何度聞いても「カナサゴウ」ではなく「カナサゴ」だった。だから私はカナサゴとして覚えていた。そのカナサゴの名前の酒がメニューにあったのだ。
誰しも「一時期はよく遊んだのに、なぜかぷつんと交流が途絶えてしまった人」がいるだろう。のっぴきならない理由があった訳じゃない。なぜか。なんとなく。次に何かあったら誘おう。次に連絡がきたら会おう。そのうち…そのうち…とお互いがぼんやり思っているうちに連絡先がわからなくなり、もう一生会えないであろう人のことだ。私の人生にも何人もいる。
タナカヒロシ(仮名)くんもその1人だ。
19歳の夏、よく一緒に遊んでいた7人の子がいた。どういうきっかけで仲良くなったのか今はまったく覚えていないが、誰かの狭いワンルームに全員で押しかけ朝まで騒いだり、終電を逃して映画館でオールナイトしたり、三角ベースしたりバドミントンしたり、お酒飲んだりタバコ吸ったり、ただひたすら歩いたり、ただひたすら話したりしていた。いかにも19の夏だった。
ヒロシくんとは途中まで一緒に帰ることが何度かあったから、きっと家が近かったのだろう。それが夜であれば家の前まで送ってくれたし、明るいうちは近所の公園でもうひとしゃべりしていくこともあった。青春とはしゃべり足りないことであり、私は無言状態に耐えられない女だったから、まあよくしゃべった。しゃべりまくった。公園のベンチで、ブランコで、蚊に刺されまくりながら本当にたくさんしゃべった。
カナサゴの話を聞いたのはその公園だ。
千葉県で育ったくせに隣の茨城のことは何も知らない私に「カナサゴってのは」と、そこらに落ちてた棒で地面に「金砂郷」と書き、何もない村だと言った。実家は蕎麦を作ってる、寒い、東京に出てくるのは結構大変、寒い、本当に何もない、そして寒い。とにかく寒いのだと強調する。
さらに「何もない証拠に、郵便物は名前書いただけで届く」という。いやいやいやいや、そんなことはないでしょう。うちの実家だって相当田舎だけど、さすがに住所番地は書かないと届かないよ。同じ苗字が集まってる地域だってあるんだしさーと反論したが、ヒロシくんは譲らない。金砂郷村は人が少ないから、郵便局の人は全員の名前がわかると言って譲らない。
ヒロ「まあ一度郵便出してみてよ。絶対着くから」
私「よしわかった。金砂郷村・タナカヒロシ(仮名)様あてに暑中見舞い出してやる」
ヒ「届いたら親に転送してもらうわ」
私「あてどころ不明で戻ってくるの期待してるわ」
それから1週間くらいして、ハガキを片手に意気揚々とヒロシくんが現れた。私は負けたのだ。
私「ぐやじい。もう一度戦え」
ヒ「じゃあ幼なじみに話を通しておくから、年賀状でも出してみるか」
私「わがっだ。金砂郷村・サトウカツヤ(仮名)様あてに年賀状出す。今度こそ勝つ」
ところが夏には毎日のように会っていた7人は、その冬にはもうまったく遊ばなくなり、家が近いはずのヒロシくんもすっかりご無沙汰になってしまった。私は年賀状を書くときに少し迷ったものの、サトウカツヤあてに書くことはやめた。だからカナサゴの謎は謎のままなのである。
水戸の居酒屋で飲んだ蕎麦焼酎「金砂郷」はするすると喉越しがよくとても気に入ったので、翌日のランチも金砂郷焼酎で金砂郷蕎麦をやっつけてみた。どうやら金砂郷は今や蕎麦の有名産地らしく、あちこちの蕎麦屋に「金砂郷」や「赤土(金砂郷村の地名)」の名のついた蕎麦がスペシャル扱いで置かれている。これが追加料金を払う意味がある、実にうまい蕎麦だったので、みんなも茨城にいくことがあったら真似するといいよ。