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本場ドイツの中2病ジャーマンポテト

物心ついた時から私には「おじちゃん」と呼ぶ、血のつながりのない大人がいた。

おじちゃんは、父の学生時代の友人だ。長崎は眼鏡橋のすぐ横に住んでいて、私はその家がとてもお気に入りだった。ほんの幼児だったころからその家に上がり込み、迎えにきた親を帰らせ、1人ずうずうしく泊まっていったことも何度かある。招かれざる客のくせに、ふとんをしかせ、ご飯を作らせ、朝のスクランブルエッグに文句すらつけた。何も考えてない無謀な幼児を、よくもまあ世話してくれたものだ。思い出すたびにイヤな汗が出る。

私の実家が千葉に移住してしばらくすると、おじちゃん夫婦も横浜に転勤になった。千葉といっても房総半島の先端から横浜へ行くにはかなりの距離があり、そう頻繁に会うわけではなかったが、それでも「父が学生時代の友人と遊ぶ」というレアな光景は、イイモノとして心に刻まれたものだ。そして舞台が長崎から横浜へ移っても、私は相変わらずおじちゃんの家に上がり込みたい欲望にまみれ、必死でいろいろ画策していた。

例えば元町の輸入菓子店だ。外国のミントチョコを手に「今これにハマってる」というおじちゃんのセリフを私は聞き逃さなかった。どういう味がするの、どんな時に食べるの、どんな飲み物が合うの、矢継ぎ早に質問攻めにした。そうすればそのうちおじちゃんの方から「うちにきて一緒にコーヒーとチョコをいただこうか」と誘ってくれるんじゃないかと思ったのだ。なんてアサハカなんだ。思い出すたびにイヤな汗が出る。

アフターエイト

東京で一緒にご飯を食べている時もそんなことがあった。そのまま房州街道を通って帰れば実家までスムーズなのに、私は唐突に「横浜から帰ろう」と提案した。横浜の先には久里浜があり、そこから東京湾を渡るフェリーがある。それに乗れば近い、とさも冴えた思いつきのように提案した。もちろん嘘だ。横浜を通る際に「おじちゃんちはここから近い?」などとさりげなく誘導するつもりなのだ。そうすればおじちゃんの方から「近いからうちに寄っていけば」と誘ってくれるに違いないと思ったのだ。またもやアサハカなのだ。もうイヤな汗が出過ぎて汗だくだ。

しかしドリームはカムトゥルーするもので、ある日とうとう正式におよばれする日がやってきた。10歳の私が7歳の妹を連れ、子供だけで電車に乗って横浜までの大冒険をすることになった。電車賃と、何かあった時用の少々余分なお小遣いを握りしめ、私は車上の人となった。横浜駅の地下街でその「少々余分なお小遣い」をさっそく散財し、お金はないわ、予定時刻には大幅に遅れるわで大人たちから盛大に叱られるハメになるのだが、それはまた別のおはなし。

その夜、おじちゃんの家で子供向けの料理を食べながら、私はいっぱしに料理談義をしていた。いかにうちの学校の給食が美味しくて(これは今でもそう思う。あの学校の給食は素晴らしかった)毎日楽しみで仕方ないか。パリッと冷えたサラダに美味しいドレッシング。熱々のご飯に美味しいカレー。パンは3つの業者から仕入れていること。デザートも日替わりで最高なこと。だけどポテトサラダだけはイマイチなこと。だからポテトサラダが嫌いなこと。そんなことを暑苦しく語っていた。

ポテサラ

するとおじちゃんが「なんでポテトサラダが嫌いなの」と尋ねてきた。私はさらに暑苦しく語った。だってマヨネーズべったりで、なんか変に甘くて、リンゴとかみかんとか入ってるし、まずい!嫌い!

おじちゃんは「わかる。自分もマヨネーズたっぷりポテトサラダって嫌いなんだよ」と賛同してくれた。続けて「マヨネーズをほんの少しにするか、思い切って抜いてみて。その代わり塩と酢でしっかり下味をつけるんだ。本場ドイツではこうするんだよ」とも教えてくれた。そしてなんとその場でサクサクとポテサラを作り始め、実際に味見させてくれたのだ。

そう、拙著「餃子のおんがえし」P66に書かれている、ポテトサラダのレシピを教えてくれた「大好きだった父の友人」とはおじちゃんのことである。本当にドイツがポテサラの本場なのか、ドイツ全土でマヨ抜きレシピがトップシェアなのかはいまだにわからぬが「本場ドイツ」という響きに、私の中2病が大いにざわついたのは間違いない。彼は海外出張などもよくしてたというし、少なくとも現地でそういうポテサラと出会っていたのだろう。ともかくマヨネーズ抜きのそのポテサラは、私の人生においては非常にエポックメイキングであり「レシピはどんどん変えていけばいい」という持論のもとにもなっている。

中学生の夏休みに、私はおじちゃんの家に一週間ほど泊まることになった。その家には本がたくさんあり、おばちゃんはピアニストだったから、昼間は本を読むか、ピアノを弾いて過ごす。夕方になると買い物へ行き、一緒に料理をする。夜は3人でご飯。そういう生活だった。どういう経緯でそんな長い間泊まることになったかはまったく覚えてないのに、その時に食べたものなどは異常に良く覚えている。

完成3

ある日のハイライトは「ジャーマンポテト」だった。いつかのポテサラ同様、私はジャーマンポテトが嫌いだった。人生の初期に玉ねぎがほとんど生で、辛くて食べられないモノを食べてしまい、以来トラウマとなっていたからだ。そこでまた食卓での料理談義の際に「私は嫌い」だと訴えていた。

するとおじちゃんがまた「本場ドイツでは」と話し始めた。さらにいつかのポテサラ同様「ちょっと実際に作って見せるから」と台所に立った。その時に教えてもらったいくつかのコツが、今でも私のジャーマンポテトレシピに反映されている。ポテサラと違って、このレシピは浮気していない。では今日はそれを紹介しよう。

完成2

【本場ドイツの?ジャーマンポテト】

・好きなビール
・ジャガイモ 中位の大きさ2〜3個
・ベーコン 薄切りなら4枚くらい
・玉ねぎ 1/4個
・ニンニク ひとかけ
・塩、こしょう
・オイル

材料

最初にビールがよく冷えているか、確認する。

ジャガイモは茹でて、ひとくち大に切っておく。玉ねぎは薄切り、ベーコンは食べやすい大きさに切る。写真は薄切りベーコンだが、ブロックから厚く切り出してもそれはそれで美味しい。

ニンニクをつぶし、あらみじんにしたらオイルと一緒に冷たいフライパンに入れ、中火にかけてゆっくり火を入れる。香りが立ってほんのり色がついてきたらOK。

薄切り玉ねぎを入れ、中強火にして一緒に炒める。

玉ねぎ

☆重要! 玉ねぎはしっかり焦げ目をつける

最低でもこの画像くらいまで茶色くすること。そうしたら次にベーコンを入れて一緒に炒める。

ベーコン

☆重要! ベーコンもしっかり焦げ目をつける

ベーコンから脂を絞り出す感じで、しっかり火を入れる。こんがり焦げ目がついたら、ジャガイモを入れ全部を一緒に炒め合わせる。そしてここからがこのレシピ最大のポイント。

完成

☆最重要! ジャガイモにもしっかり焦げ目をつける

おじちゃんレシピのキモは、ここである。玉ねぎ、ベーコン、ジャガイモのそれぞれを、しっかり茶色くなるまでこんがりと炒めること。真っ黒焦げはダメだが、きちんと、茶色の焦げ目をつけること。正直この画像程度では、おじちゃんに「足りない」と言われそうだが、お腹が空いて早く食べたかったのだ。許して欲しい。

塩とこしょうで味を整えて出来上がり。さあ、ビールと共にいただこう!

ビール2


父の葬儀からしばらくして、私はおじちゃんの訃報を知った。父のことを知らせようと連絡したところ、偶然にも同じ日に亡くなっていたと教えてもらったのだ。父は友達の少ない男だった。最後に大好きな友達と道中で出くわして、楽しく逝けたのではないかと思う。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。