「顔自認」という提案。
北林です。
突然だが、僕は自分の顔を「イケメン」だと思っている。こう言うとやべえ奴と思われるかもしれないけど、最後まで話を聞いてほしい。
イケメンってそもそも何?
僕が言いたいのはそこなのだ。
例えば、僕に向かって「イモ顔」「目小さすぎ」「顔デカイ」と言ってくる奴がいたとする。こう言われても、僕は怒らない。なぜなら、言われた瞬間に僕の頭の中には「切り抜きのあの人」が登場するからだ。サムネドーン!!からの字幕バーン!!からの例のよく見る画角のやつ!!である。はい、それではご本人に登場して頂きましょう、どうぞ!
ジロゆき「それってあなたの感想ですよね?」
・・これである。
実は、「イケメンかブサイクか」というのは「あなたの感想」でしかない。僕の顔を「キモい」と思う人もいるかもしれないが、「普通」だと思う人もいるかもしれない。僕自身は「イケメン」だと思っている。どれも正しいとも言えるし、どれも間違っているとも言える。客観的な答えは存在しないのだ。
「定量評価」と「定性評価」という言葉を聞いたことがあるだろうか。優秀なビジネスパーソンなら多くの人が知っていると思うけど、定量評価をするためには客観的なデータが取れなければいけない。「イケメンかどうか」はデータが取れないので、データで証明しようとしても出来ないのだ。
例えば僕が、可愛い子に飲み会で会ったとする。その子が僕に向かって「イモ顔」「髪キモい」「シンプルにブサイク」と言ってきたとしよう。もちろん僕は怒らないし怒鳴ることもない。なぜなら、僕の頭の中はもうすでにフランスと中継が繋がっているからだ。
ジロゆき「そういうデータでもあるんですか?」
・・はい論破。
君は僕をブサイクだと言う。僕は自分をイケメンだと言う。どっちも「ただの感想」でしかないから、「ただの感想ですよね」で終わり。そもそも一対一で引き分けだし、なんなら僕が二人いれば僕が勝つからな。でもって君が可愛くて僕もイケメンなら、そりゃそれでWin-Winじゃん? そもそもそれって君次第だし、その後なんか僕興味ないわけ。
「性自認」という言葉を聞いたことがあるだろうか。これは「自分自身の性」を自分でどう認識しているかを現す概念である。生物学的な性と性自認が一致しないこともあるが、そういう時は性自認を尊重して適合手術を受けられることもある。それぐらい性自認は現代の大きなテーマになっている。
僕が提案したいのは「顔自認」という概念である。「自分の顔面偏差値がどれくらいなのか」を「自分で決められる」というシステムだ。僕が僕の顔をイケメンだと思えば僕はイケメンということになる。君がイケメンだと思えば君もイケメンだ。そもそもイケメンの定義なんて誰にも出来ないのだから、「自認」が絶対的な正義になるのは明らかだろう。
想像してみて。世の中の誰もが自分の顔を好きになって、「顔自認」がイケメンになれば、世の中はイケメンだらけになる。それってめっちゃハッピーでピースフルなことだと思わない?
僕はよくメンタル強いと言われるけど、こういうマインドを持っているからポジティブでいられる。今日本でポジティブと言えば「手越祐也」か「春木開」か「北林治朗」かと言われてるらしいが、当然だろう。僕の顔面ドアップを日本国民全員のスマホ画面にしたいくらいである。
僕の心には「ジロゆき」がいる。読者の皆さんの心には誰ゆきがいるだろうか?
僕の提案する「顔自認」と言う概念で、顔で悩んでいる人を少しでも「エンパワーメント」出来れば僕としては望外の喜びである。