南の島の思い出
2015.9.6.回想
1972年2月、鹿児島から船で4日かかる与論島にいた。船の苦手な自分がよく、4日間も頭痛、吐き気に耐えながら辿り着けたものだ。やはり、あの時の自分は狂っていたのだ。
与論島の茶花港に着いたのは夜だった。船の灯りで海の底が見えた。それほど綺麗な海だった。日本にこんな綺麗な世界があったんだ!と感動した。
その頃の東京ときたら、大気汚染、公害だ、と人の住む所ではないと思ってた。子供の頃泳げた多摩川は遊泳禁止。海水浴へ行けば、黒い砂浜。ここは別世界だった。
その当時パスポート無しで行ける南の島は、与論島だった。
1972年5月が沖縄返還の日。返還間近の2月だった。
その当時、ヒッピーと言う言葉があったが、ヒッピーとおぼしき若者が沢山流れ着いていた。そんな中に何時しか紛れ込んでしまっていた。
やっぱりあの時の自分は狂っていたのだろう。ヒッピーの人達に失礼だが。
都会に反発、経済最優先の社会に反発、学歴偏重に反発、社会に反発、ドロップアウト、そんな雰囲気の人間が集まっていた。今で言えば、人生の負け組の吹き溜まり。でも自分にはとても居心地の良い所だつた。温かく迎え入れてくれた。あたかも、昔からの知り合いの如く。
あまりの居心地のよさに時を忘れ、浦島太郎のようだった自分。
現実世界に戻るのに何年かかっただろう。でも僕には必要な時間だった気がする。
大勢の人に迷惑をかけてしまった。
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