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東大卒という唯一の実績


はじめに

前回の記事で、自分が東京大学を卒業したと述べた。
なぜそんなことを書いたのか。
今回の記事の題名通り、それくらいしかこれまでの人生で誇れるものがないからである。
現状の生活が充実している方々から見ればたかが学歴でしかないだろうが、無職にまで落ちぶれた身としては、自己を規定する上で欠かすことのできないものとすら思えるのだ。

学歴から得たもの

自分は仮面浪人を経て東大に合格した。
仮面浪人中の大学生活は、ごく一部を除いて実にくだらないものだった。
ヘラヘラ薄ら笑いを浮かべて、黙るように教員に怒られないと講義が始まらないという体たらくの低レベルな連中ばかりがいる中で無為に時間を過ごしていた。
こんなところで腐ってたまるかと自分に活を入れ、何とか合格を掴み取ることができた。
そんな経緯だったからか、学食がしょぼいことを除けば東大での大学生活はとても実りの多いものだった。
指定校推薦もスポーツ推薦もない、純粋な実力のみで難関の試験を突破した全国から集まった精鋭たちの多くは、自分なんかが同じ場所にいていいのかと思えるほどに優れた才能を持っていた。
ヘラヘラした連中が明らかに少なく、その代わりに自分の世界を持って生きている学生が多く、自分も彼らのようにありたいと思えた。
学歴ピラミッドの頂点にたどり着いたことで、学歴コンプレックスが消え、代わりに学歴に関するネタを見ても笑えるようになった。
ある歌手が言った「東京ドームのステージに立った者にしか見えない景色がある」という発言に勝手に共感したものだ。
新しい趣味もできた。
駒場のクラスにも、本郷の研究室にも、サークルにも、卒業して随分経った今であっても交流のあるかけがえのない仲間ができた。
持ち前の社会不適合っぷりで就活も惨敗続きだったが、それでも学歴の力でゴリ押しして内定を得て会社員として働き始めることができた(今は無職だが)。
東大で得た仲間の人脈も使って、結婚相手を見つけることもできた。

おわりに

以上の通り、自分は東京大学に合格することで得たものが非常に多く、東大に入ってよかったと心から思っている。
手垢のついた表現で言えば、青春を取り戻すことができた。
もし東大に合格することができなかったら、今以上に腐り果てており、無敵の人となっていてもおかしくない気がする。
もしも、この記事を読んでいる大学受験生がいれば、どうか最後まで諦めないでほしい。
自分で目標を定め、それに向けて行った努力が報われる快感は、何物にも代えがたいはずだ。
無職の人間が言うことにどれほどの説得力があるかということについては、どうか触れないでほしい。

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