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小説『アルケミスト』を思い出して

 トップの写真は
「スペインのアンダルシア平原をゆっくり歩いているヒツジさん」
をイメージしました^^

 最近、中学時代に読んだ小説『アルケミスト』にでてくる名言をよく思い出します。

君が何かを全身全霊で欲した時、君はその「大いなる魂」と最も近い場所にいる。それはいつも、前向きな力として働くのだ。

パウロ・コエーリョ『アルケミスト』より

お前の心があるところに、お前の宝物が見つかる、ということを憶えておくがよい。そこにたどり着くまでに学んだすべてのことが意味を持つために、おまえは宝物を見つけなければならないのだ。

パウロ・コエーリョ『アルケミスト』より

 あの頃はわかったようで、わかっていなかった。
 色々経験した今なら言葉の意味が腑に落ちる。

結局、人は自分の運命より、他人が羊飼いやパン屋をどう思うかという方が、もっと大切になってしまうのだ。

パウロ・コエーリョ『アルケミスト』より

すべての探求は初心者のつきで始まる。そして、すべての探求は、勝者が厳しくテストされることによって終るのだ。

パウロ・コエーリョ『アルケミスト』より

 「まさに書いてある通りだ!」と叫びたくなるような言葉の数々。

 
 一番最後の陰陽については、陰陽五行論(算命学)にたどり着くまでもそうだけれども、入塾してから今に至るまでも、振り返ると
 「あの頃のあれは今回のこのことの伏線だったんだ!!!」
と思えるようなことが多々あり。(実は今日も起こった)

 人生で起こっていることはすべて偶発的であり、ただ人間が「意味づけをしているだけ」という考えもあるかもしれない。

 でもそのような考えがあるにしても、やはり
「人は大いなる何かの流れの中で、何かに導かれて生きているんだ」
と私は思わざるを得ない。

その出来事のひとつは。。。。

 忘れもしない、学び始めてちょうど3年たった節分の日、知人に誘われて
何も知らずに「五日市剛さん」の講演会を聴きに行ったら(※ただの運勢をあげるためのセミナーとかしか思っていなかった。。。五日市さん、すみません・・・・)

 講演の中で、途中からいきなり算命学の命式の解説が始まりびっくりしたこと。

 そのあと懇親会のときに知り合ったあるご夫妻に算命学を勉強していることを話したところ、「じゃあ私たちもみてほしい」とご依頼をいただき、懇親会の後ホテルのラウンジで小一時間無料で宿命鑑定させていただき、とても喜んでいただいたこと(初対面の方をいきなり算命学で鑑定させていただく、というのはそのときが初めてだったと思う)。そこで少し自信がもてたこと。
 その節分の日は、私にとってちょうど「天中殺期間が明けたとき」だったからこそ、何かに後押しされたような感覚があったこと。

 そして今、色んな場所で宿命鑑定のご依頼をいただいたり、教える側として登壇させていただけるようになったこと。
 
 そして、もうすぐ7年。七殺、いわゆる因縁浄化、となるそうです。
 算命学の学びはやめることはしません。けれどもここ七年という節目。

 そろそろ新たな一歩を踏み出す時なのかもしれないな(詳しくはここには書かないけど)と今感じているところです。

 
 

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