遠い記憶その2 渡る世間の飯ばかり
十数年前、派遣で工場の請負をやりに新潟に行ってたわけだが、そういえば新潟にも名物料理というものがあるはずだ。何を食べたっけな?といくら頭をひねっても出てきやしない。
当時、大学ノートに5行〜熱が入ると1ページ程毎日日記を書いていたのでそれを引っ張り出し、読んでみると当時は仕事以外はほぼ寮として宛てがわれた2LDKの一室(そこに2人で住んでいた)に居ることが多かった。名物料理食べたいとか何処かを観に行くとかそんな気持ちは毛頭無かったのだろう。
代わりに、近所にあった飯屋の事をめちゃくちゃ書いてあった。特に、行って最初の頃なんの持ち物もなく2万円くらいしか持ってなくて、当然調理器具もなく給料は満額出るのは2ヶ月先。前借りもできるがその資格を得られるのもひと月後。とにかく金が無く、近くのスーパーの中に入ってた弁当屋でご飯にごま塩ふって貰った奴をよく買ってた。おかずは缶詰とか、末期には醤油に和辛子を溶かしたもの掛けてた。
そんな事をしてるとガチでやつれてきてたのか、店のオバチャンに「これ売れないと廃棄するものだから」と唐揚げときんぴらを飯の中に埋め込んでくれて、その事がなんか嬉しかったと記述してある。まあ、今考えるとざんばら髪で顔色の悪いチンピラ顔の若者相手にオバチャンもよう親切してくれたな、と思う。
その後、金回りがどうにかなるとその弁当屋で生姜焼き弁当や海鮮丼を頼んだりしてた。これが晩飯の常。地元に帰ります色々ありがとうございましたって最後に買いに行った時言うたら何時かまた来てねと言って貰ったな。
朝は食わずに仕事に行く。だから昼にはめちゃくちゃ腹が減る。社食ではIDカードを提示したら給料から差し引く形です飯が食えた。200円のかけそばor250円のカレー。別工場に異動した時は仕出し弁当を朝に頼んでおけば昼届いてた。それを頼みもしなかったやつが盗んで食べてて襟首掴んで怒鳴り散らした事もあった。そういう奴は大体居なくなったが。
休みの日の昼は、自炊することもあったが毎日14時間は通勤時間込みで仕事に行ってたので大体は買い物ついでに近所の喫茶店でカツカレー食べたりしてた。そこのマスターとはあまり会話らしいものは無かったがカツカレーはめちゃくちゃ美味かった。行く度にカツカレーを頼んで、何故か4回目かそれくらいの時「うち、ナポリタンも美味いよ」って言われて、じゃあと言って頼んだら確かにバターの味とか色々して美味かったが全然足りなくて、やはり次からカツカレーに戻った。あの時の俺、マスターからはどう映ってたのだろうか。
内陸方面から柏崎近くへ異動になった時は、富山県に繋がるバイパス沿いに向かって歩くと明治に建てたのかな?って位思いっきり古い定食屋があって、Googleマップで確認したらもう無い古本屋に寄るついでにそこに寄ってた。かけそばと生姜焼きとご飯のセットで680円だったかな、金額まで記してなかったがとにかく安かった。見た目がめちゃくちゃボロいしメニューに何書いてあるか読めないくらい汚れてたし入ってくるカップルはメニュー持ってこないって騒いで、店の大将が「店に文句あるなら○○(有名なチェーンレストラン)行け!」て怒鳴られて帰るし(オールセルフの店だった)、でも同じ工場で働いてる外国人は隅っこで蕎麦啜りながらビッグコミックス読んでるし、なんかカオスだった。
今もコロナで収入減って参ってるが、この時「ダメかもしれない」と思ってもどうにかなったし今それを記したものを読んで懐かしく思えるようにはなったから、頑張って踏みとどまれば今の色んな辛さも未来の俺の地震になるのかもしれないな、と思った。出来ればその時には結婚くらいしていたいけど…
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