じぬす

いわゆるロスジェネ世代、北海道でタクシードライバーをしております。日々考えることや体験した事を書き綴りたいと思います

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マガジン

  • タクドラは無表情に街を見る

    タクシー運転手をしている中で、折々に触れたトンデモな人、心に残った人、事件等を書き記していくまとめです

最近の記事

逆に社会に甘える論

全日本・社会に出来るだけ甘えて生きる世の中を協会代表のじぬすです。そんなものはありません。はい。でも出来るだけそういう風に生きていきたいですね。 昨今、少年刑務所の入所者や刑務所に居る受刑者を雇用し住居を提供し、それを以て社会復帰と更生を促すというNPOが増えているという。こうした活動はとても素晴らしい事だ。少年犯罪は少子高齢化もあり件数は少なくなっていても再犯率は35%近辺をキープしているという。それは、いつの世も犯罪を犯してしまった人達の受け入れ口というものの少なさとい

    • 北海道もまん防が再延長するらしいです

      もう勘弁してくれよ( ´・ω・`)来月もまた給与明細うpるぞ。 ていうのはさておき、飲食店狙い撃ち(それに付随する行動制限に伴う公共交通機関もだけど)には最早限界があるとして対策を考えるみたいな事も言うてるわけですが、タクシードライバーにはなんか考えてくれるんすかというと今まで無かったし別に淘汰されて然るべきと思われてるのかも知れない。  実際、デフレ不景気が長すぎて色んな業界からドロップアウトしてきて奴らの最後の社会性を発揮すべき場所、的な業界でしかも中々元の業種に

      • まん延防止でまたこんな事になった件〜それでも不思議と生きてる理由〜

        はい、地方在住タクシードライバーです。今月の給料がこんな事になってしまいまして。 6万円台の給料はこれ以外にも過去4回くらい食らってます。全て緊急事態宣言かまん延防止期間中、2020年末年始とかです。 お年寄りにとってはまん防も緊急事態宣言も何もかも全て関係なく、「コロナ(感染者)出てるから外出ない」になるんすよね。田舎だと特に。  このnoteの過去の記事に、前に給料6万円台だった時のものがあるんですがその時Twitterにも並行して写真とコメを付けてアップしたら鬼の

        • メンタル激強への道1 〜真夜中でも信号守るタイプです〜

          サブタイトル関係あんのか無いのかは分かりません。僕です。 それはさておき、接客業では無いんだけど接客のような事をしている者ですがある時お客さんの方から 「アンタ良くこんな商売してられるよな、変な客に絡まれたら大変だろ?」 的な事言われまして。その時はいやーまあなんかあったら最悪緊急通報システム作動させりゃいいっすから笑、で流したんだけど世の中そんなそんな変なやつに絡まれて平然と出来る人は多くはないんだよなと改めて思ったんすよね。 改めて思えば、俺は人に対して不快な事、

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        • タクドラは無表情に街を見る
          1本

        記事

          遠い記憶その3 無気力の恐怖

          俺の20代の10年間は、一言で言えば「無気力、やけくそ、諦めきれず」だ。なんのこっちゃか分からないだろうから順を追って著述する。 俺は小学生のころ転校してイジメに遭い、中学に入ったら不良の先輩とつるみだし、その先輩がギター弾いてて「カッコイイなあ」と思って中学の終わりからロックバンドをやろうと決意し、でもギターは難しかったのでドラムはやってる奴少ないしいいかと思ってドラムを始めた。その後小学生の頃の同級生の顔を思い出しては「大人になったら見てろ、全ての借りを返す」という執念

          遠い記憶その3 無気力の恐怖

          人間、する事が無くなると飯に凝りだす

          あるあるだと思います。(画像はこの間の牛すじ煮込み)それはさておき、最近やたらTwitterにて作成した何かを煮たものを上げている。コロナ禍で支出を激烈に減らさなければならないが出来れば美味いものが食べたい、という人間の欲求のバランスを取るのにはやはり自炊しかないという事だろう。 小学校低学年の頃、両親共にパチンコ中毒でパチ屋が閉店するまで帰宅しなかった。俺が小2の頃までしか記憶を遡れないが、その頃姉貴がなんとか米を炊く事が出来たので白飯に醤油かけて食べてた記憶がある。

          人間、する事が無くなると飯に凝りだす

          細かい日記をサルベージしておった

          過去に、他のSNSで書いていた日々の日記を読み返している。この時は平和だったな(しろめ)みたいに現在のコロナ禍から完全に目を背けたいが為であろうか。 しかし、日記てのは面白い。8年前はそういやそんな事もあったなとか今と変わらない点大違いな点が雑多にあって俺が何して生きてきたかがよく分かる。時間の経過で経験を積んだもの(将棋やチェス)や人間関係の出会いや離別等も刻々と変化しており、そういう変化していくものを懐かしく思うのも楽しいが、今と変わらない点を見出すのも面白いものだ。

          細かい日記をサルベージしておった

          2階から水降ってきた事

          その後の管理会社とのやり取りは伏せるが、とりあえず何が起きたかっていう話。 本年2月6日土曜日、21時半頃であったと思うがそれまで完全に何も無く静かな部屋でYouTube LIVE(麻雀プロの多井隆晴プロの放送)を観ていたのだが、突如「バケツに水をいっぱい溜めてコンクリートの上にぶちまける」ような音が玄関から聞こえてきた。 その時は「酷い雨でも降り出したかな」と思ったが、それにしては 「室内から聞こえてくる気がする」という現実離れした感覚があり、俺自身が頭おかしくなった

          2階から水降ってきた事

          遠い記憶その2 渡る世間の飯ばかり

          十数年前、派遣で工場の請負をやりに新潟に行ってたわけだが、そういえば新潟にも名物料理というものがあるはずだ。何を食べたっけな?といくら頭をひねっても出てきやしない。 当時、大学ノートに5行〜熱が入ると1ページ程毎日日記を書いていたのでそれを引っ張り出し、読んでみると当時は仕事以外はほぼ寮として宛てがわれた2LDKの一室(そこに2人で住んでいた)に居ることが多かった。名物料理食べたいとか何処かを観に行くとかそんな気持ちは毛頭無かったのだろう。 代わりに、近所にあった飯屋の事

          遠い記憶その2 渡る世間の飯ばかり

          遠い記憶その1 或いは遠すぎる遺言

          タイトルだけ見れば仰々しいのかもしれないが、なあに要は思い出話を記録しておこうというだけのものだ。 自分はエッセイやルポ・ドキュメント系の読み物を物凄く愛している。何故か?自分が体験していない物事を追体験させてくれるものだからだ。 だから、誰かの昔話はとても興味深く聞くしその喜怒哀楽を伴うエピソードに自分も一喜一憂する。会社の先輩とか年上の人からは「そういう所が面白い」と何故か可愛がって貰える事もあるが、人は自分が苦楽を共にした記憶に同調してもらえると嬉しいものだ。それが

          遠い記憶その1 或いは遠すぎる遺言

          コロナ禍における交通機関の現状

          先日、コロナ禍の中で交通関係企業…航空やJRやタクシーやバス等の損害金額がおよそ3.5兆円であるとの試算が報道された。それくらい酷いだろうな、と思っていたが3ヶ月程の中でそれだけの収入が損なわれるなんて今年の初め頃なんな思いもしなかった。 とりわけ夜に繁華街を流す俺のようなタクシードライバーにとっては死活問題で、現在このような状態になっている。 今月の給料です★雇用調整助成金もコミで〜す(ゝω・)v などと冗談めいた事を言わないとやってられない。なにせこんな金額が

          コロナ禍における交通機関の現状

          分断 或いは良識という名の宿痾

          本題の前に、一つ私の経験から。インターネット上で、かつて安倍内閣が推進した集団的自衛権の議論とそこから成立した、いわゆる左翼の方が言う戦争法案(実際は有事に際しての10個の法律改正のパッケージ)に対して行われた議論の中でこういう事を主張する声があった。 「ネトウヨから発言権を奪え」「ネトウヨに思想信条の自由は必要ない」 この意見を見た時、皆さんはどう考えるでしょうか。意見の違いで発言や思想信条の自由を奪って良い訳が無い、大体普通の人ならそう感じるのでは?と思います。 さ

          分断 或いは良識という名の宿痾

          雑話・タクドラのエピソード①

          私はタクシー会社に勤務している。この商売は様々な人と接するので、会話スキルや演技的なものが磨かれていく。なにせ、楽しく愉快に快適に、を気にしながら仕事をしてるとどうしたって会話も重要になるからだ。勿論、話しかけない方が良いかも、と思った時はお声掛けがある迄は余計な口はきかない。それを判別するのも仕事だ。服屋の店員のように体当たりのセールストークなどはしない。 ただし、頭のおかしいやつは「これが最適解だ!」と思って異世界の扉を開けてしまうこともある。そう、私です。 ある暇な

          雑話・タクドラのエピソード①

          座して死を待つ日本

          いわゆる新型コロナウィルスによる猛威が今も尚続いている。世界中でこのウィルスと戦っている。先が見えず、いつ終わるかも解らない消耗戦を地球規模でいきなりやらされるとは誰も思わなかった事だろう。 その中で、日本政府は端的に言って「世界標準からズレた愚策を繰り返している」と認識せざるを得ない。日本政府の中の人の大半が平和ボケというか危機感を持っていないと私は思っている。以下に理由を著述する。 まず。ネットニュースの記事をひとつ。 https://topics.smt.doco

          座して死を待つ日本

          あるロスジェネの20年

          今の自分より上、例えば60歳以上の人や或いは20代の下の世代は「ロストジェネレーション世代」と言われてもそれが何か解らない、という人が多い。 一般的に、1998年から2005年までに高校や大学を卒業した者の半数余りが正規雇用の職に就くことが出来ず、非正規雇用を続ける羽目になり、その結果30代40代と歳を重ねても低賃金・長時間労働・不安定な生活を余儀なくされている人達がそう呼ばれている。私の同級生の多くもそうなったし地元には殆ど残っていない。都会にしか職のクチは無く、頼れる者

          あるロスジェネの20年

          初めに

          私は、所謂ロスジェネ世代だ。10年ほど前はミドルエイジクライシスとも言われてた。かつては中くらいの世代が危ない、と言われ現在では失われた世代と呼ばれる。 つまり、危険から逃れられず失われちゃったわけだ。国は見て見ぬふりをするかの如く何もしてくれない。誰も彼も問題の本質を見てくれない。このような世代でありますから、上の団塊世代を恨み又は下の若い子が就職出来たというのを歯噛みして「自分が何故こんな目に遭わなくてはならないのか」と嘆く事も多かった。 しかし、ある程度世の中を俯瞰