細かい日記をサルベージしておった
過去に、他のSNSで書いていた日々の日記を読み返している。この時は平和だったな(しろめ)みたいに現在のコロナ禍から完全に目を背けたいが為であろうか。
しかし、日記てのは面白い。8年前はそういやそんな事もあったなとか今と変わらない点大違いな点が雑多にあって俺が何して生きてきたかがよく分かる。時間の経過で経験を積んだもの(将棋やチェス)や人間関係の出会いや離別等も刻々と変化しており、そういう変化していくものを懐かしく思うのも楽しいが、今と変わらない点を見出すのも面白いものだ。
以下に、現在の仕事の事で今とスタンス変わらんなという点で残しておこうと思った日記をコピペしておこうと思う
タイトル「焼きそばとじいさん」
2014/8/1
今日は、函館の一番暑い夏の一ページ・函館港祭りの初日でした。
港祭りとは、通称函館大火という未曾有の火災による被害者の慰霊を目的に行われたが、今では函館の一大イベントとなっている。函館の人間なら、誰でも一度は港祭りでパレードを見たり花火見たりイカ踊りを見たことがあるはずだ。
そんなわけで、御多分に漏れずアホ程忙しかった。1時間あたりの乗車率からいって、ハイタク転がすようになってから一番忙しかった。そんな中、繁華街と花火会場付近を往復する作業をしていると、渋滞した先によぼよぼのじいさんがキョロキョロとしていた。距離は20メートルは離れていたろうか。なぜよぼよぼとわかったか?杖をついて腰を仰角65度の体制で、腕をプルプルさせていたからだ。遠目でもわかるほどよぼよぼだ。その顔は道路の車を目で追ってる。客を乗せたタクシーに手を挙げて、通り過ぎてからしょんぼりと手を引っ込めた。間違いなくタクシーに乗りたがっている。
よく見ると、じいさんの手前で若者が道路まで飛び出して無理矢理乗り込んでいる。俺は車列の後ろにいるから気がつかれないのだろうか。じいさんが手を挙げてるの見てる筈なのに、浴衣着た若い奴がどんどん乗り込んでいってる。じいさんまだ乗れず。
そんな光景を見ていると、俺の営業車の開いた窓から「あー、タクシーある!これのろ!」「えー、どこの会社かわかんないしやだーwwwつかちけーじゃんww」「えーでも暑いし歩きたくなーい!いーじゃんこれでー。」とかなんとか聞こえた。サイドミラーを見たら、若い女二人。とりあえず、自分の知らない会社だからといってその言い草なんやねん( ´・ω・`)そしてじいさんまだまだ乗れず。
ここからは多少批判もあるかもしれないが、反射的に空車から予約表示に変えた。あのじいさん乗せよう、このガキはさまよったらええんや(`・ω・´)と決意した。そしてそのすぐあとに窓をコンコン、と叩いて件の女二人。ドアを僅かに開いてみた。
「すみませぇーん☆いいですかぁー?」といいつつガッチリ乗り込み態勢。それに対し、
「いやあ予約なんですよすみません^^)反対側に渡ると車探しやすいですよ!それでは!」バターン
早い話が乗車拒否だ。正当な理由がないのに偽って拒否った。これは仕事に真面目な人間だったらやらんだろう。しかし、タクシー馬鹿にするような言葉は聞き逃せないわー( ´・ω・`)しらんから嫌なら知ってる車探して乗れ。
で、通り過ぎてから再び表示を切り替え、じいさんの前にフェードイーン。じいさん、ん?これいけるか?大丈夫か?みたいな顔で覗く。俺、ドアを開けて「はいどうぞーお願いしまーす(*´∀`)」
良く見たら、おそらく御歳80後半ほどだろうか。よぼよぼ過ぎて車に乗り込むのも一苦労。ごめんねぇごめんねぇ( ´・ω・`)体悪いもんでねぇなんて言いながらもそもそと乗り込む。そして、近くにある特養ホームまで、と言われ発車した。
料金だけならさっきの女と全く変わらないワンメーターだが、こんなじいさん歩かせるのも忍びないわなーと思いつつ、相変わらず渋滞して進まないので世間話を始めた。なんでも、じいさんは函館生まれ函館育ち、元は函館どっくの従業員だったとか。昔の華やかな思い出を、この時期の祭りと花火で思い出すので、港祭りを楽しみにしているという。
驚いたのが、その特養ホームから祭りの屋台の出てるポイントまでざっと600メートルほどあるのだが、それを1時間ちょいかけて歩いてきたという。そして屋台を覗いて、更に歩いて花火の見えるポイントまで行って、一人でどっかんどっかん上がる花火を見ていたらしい。
いやー若い者でも歩くの嫌がるのにお元気ですねぇー!と素直に感想を述べたら、花火は綺麗だからね、昔孫とも見に来たもんでね、これ見たら元気になるんだわ、という。そして、タクシーに乗るお金もあんまりないから、屋台見ながら花火の見えるとこまで歩いた、という。
なんか、色んな生活を送ってきたのかな、とか思いつつ走ってると、指定の特養ホームに到着。メーターの上がりそうなとこで切ったのでワンメーターのまま。正確には、不正メーター操作に当たるので、陸運局にチンコロされたら即アウトなのだが気にしない。お金を払う段になっても、手提げから財布を出すのに一苦労してる。やっとこ財布を出しても、目が悪いらしく一円を「これ100円かな?( ´・ω・`)見えないんだごめんな」という。これは一円ですね、百円これですね、これとこれもらって、これで大丈夫ですよ(`・ω・´)お代以上に取ってませんから大丈夫ですよ(`・ω・´)b降りるとき頭ぶつけない様に気をつけて下さいねありがとうございました(*´∀`)といいつつドアを開けた。降りるときも、やはりもそもそ。
で、降り際に、あー、ちょっとまって!これ、兄さんに使って貰いたいな。懐かしくて買ったんだけど、今ちょっとこういうの食べられなくて…。大丈夫だから、手ぇつけてないからね、と言われて差し出されたのが、透明なパックに入った焼きそばだった。
良いんですか!?すみません、忙しくて晩御飯も食べられなかったんで(´;ω;`)申し訳ないです、頂戴します!(`・ω・´)と大仰に感謝した。ぶっちゃけ、秋刀魚食べたから腹は減ってないが、じいさんが俺に食って欲しいと出したものを、いらんと言える訳もない。腹いっぱいでも吸収してやらあ。
まあ、その後降りて3歩ほど進んだら立ち止まってしゃがみこんだから、特養ホームの人呼んでみたりしたとかあった。忙しい時間帯だったので、ひょっとしたら稼ぎそこねたかもしれない。
でもまあ、じいさんの一年のビッグイベントを支えられたというのは素敵なことやん(`・ω・´)人に歴史あり、思い出ありなんやで。そういうのを大事にすることはその街を大事にすることやで、という考えなので別にいい。お金なんか、今日なら幾らでも稼げるし。
そして、その後3分以上立ち止まる事の無いようなラッシュを駆け巡り、マイミクのカッパエビさんに気をつけてとエールを頂いた。そして、件のじいさんから頂いた焼きそばをご開帳。
中身は、屋台の焼きそばそのもので、冷えたから麺がくっついて食べにくいし具も少ない。祭りの時のチープなそれそのものだった。
しかし、あのじいさんが何を懐かしんだのか、なぜこれを買ったのか。それをぶら下げて、よたよた歩いた果てにみた花火にどういう思いを馳せたのか。なんだか、この焼きそばが俺の口に入るまでの物語が凄く複雑なものになった気がした。
タクシードライバーをやりだして三年ちょい、代行と合わせりゃ7、8年。この商売が好きなのは、ムカつくやつを除けば、勉強させられる事、共感する事の他に、色んな人のドラマを垣間見ることが出来るからだ。それを大事にしていきたいなあとかなんとか思いました。明日も頑張りまーすお疲れ様です(`・ω・´)
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