分断 或いは良識という名の宿痾

本題の前に、一つ私の経験から。インターネット上で、かつて安倍内閣が推進した集団的自衛権の議論とそこから成立した、いわゆる左翼の方が言う戦争法案(実際は有事に際しての10個の法律改正のパッケージ)に対して行われた議論の中でこういう事を主張する声があった。

「ネトウヨから発言権を奪え」

「ネトウヨに思想信条の自由は必要ない」

この意見を見た時、皆さんはどう考えるでしょうか。意見の違いで発言や思想信条の自由を奪って良い訳が無い、大体普通の人ならそう感じるのでは?と思います。

さて、昨今の新型コロナウィルスによる自粛のせいで、ありとあらゆる業種が経営破綻の危機に立たされている。私の居るタクシー業界でも様々対応をしてはいるが、それでも苦しい。街中から人が消えるなどという異常事態を見越して仕事をしてきた訳では無いからだ。

無論、これは飲食店も交通機関も何もかもが同様だろう。そんな異常事態になるなんて戦争でも起きなければ起こりうる訳が無い。当然のように収益は消え去り固定費支払い等の支出は増える。そこで、政府は一時的な特例貸付などの救済策などを実行した。自粛に伴う見舞金や1人10万円の給付などもこれから行われるという話もある。

ここからが本題だが、その救済策の中で興行イベントやライブハウスなどいわゆるエンタメ業界が早い段階で窮地に立たされた。三密の条件が揃いクラスター化が懸念されるという事でイベント開催はかなりのリスクを伴う。それは分かる。

問題は、自粛をしても補償は為されない事にある。今は状況が少し変わり、国民側からの要請で自粛に関してお金が出るケースも出てきたが。その中で、国民の側から

「儲かる時は自分のもの、損する時だけ国に助けろと言うのは筋が通らない」

という噴飯ものの声が上がった事だ。商売は自己責任、そんな仕事をしてるのが悪いという。最低最悪の思想だと私は考える。

何故なら、或る業種に対して「お前らは例外だから助けない」というのを認めてしまえば、次に標的にされるのは自分かもしれないという視点が全く欠けている。また、疫病により人が外に出なくなり引き起こされたものであるならばそれは自己責任という範疇を遥かに飛び越えているものであるわけで、イベント業界が新型コロナウィルスを生み出した訳では無い。

それでも、自分の仕事に余り影響が無く、そこそこ貯金もあるんだろうという方々は自己責任だ乞食みたいな真似は見苦しいと放言して止まない。命は金より重いという上っ面の正論のようなものを振りかざしている。

ロスジェネ世代の私にとっては、生きる為に稼ぐ金が第一だ。稼げなければ死ぬ、自己責任の崖っぷちスレスレに生きてきた。ドンと押されればハイそれまで、そういう生活を余儀なくされてきた人間は掃いて捨てる程居る。また、日銭商売でこういうケースがなければどうにかこうにか地域貢献していけたであろう人達が今ドンとトドメを刺されている。それに対し乞食みたいな真似はやめろ、とは全くもって恐れ入る。

よく言われる「何ヶ月か耐えられるだけの余力が無いならそのうち潰れていたはず、遅いか早いかだけの差だろ」という意見。5年持つ所が2ヶ月でトドメ刺されるのが問題なのだと分からないのだろう。所得を得られるか得られなくなるか、それはとても大きな問題だ。大袈裟でもなんでもなくてその人が生きられる時間がその分伸びるか縮むか?という話なのを理解出来ないのか。口を開けてれば給料をポンと貰える身分なのは構わないがそんな人達ばかりでは無い訳で。

更に、現内閣の中にも「これに耐えられない企業は潰す」という発言が自民党の安藤裕衆議院議員から暴露されたり良識を持ってる(保守を名乗る場合が多い)方も産業の発展の為に潰れるとこは潰れた方が良いという意見を持つ人も居る。

通常の世の中ならばそれもひとつの意見だが、世界中で巻き起こる疫病が起因する急激な経済の悪化と破綻は一気にサービス業界を破壊して回る。仮に新型コロナウィルスがこれから夏になって収束したとして、その業界が壊滅したままであったらどうなるか?というのを全く考慮しないらしい。一度破綻若しくはそれに近い状態になったものを平時並に戻すには想像を絶する金も人員も要る。受け皿を戻そうにも時間がかかり過ぎる。それなら幾らか今のうち金を使って保護する方が安いし早く復活出来る。それを阻止してるのは良識ある自己責任論者だ。

本人達は良かれと思って当然と思うことを主張してるのであろう。しかしそれは国民同士の分断であり争いであり、最終的に国民の間に大きな壁を作ることになる。国民同士でお互いの権利や財産を守ろうとしない限りその国は間違った方向に向かい続けるだろう。それの大きな実践例はナチス・ドイツだ。自由主義も社会主義も共産主義もキリスト教も全て弾圧した。強い国を作るという目標の中で、「自分はその中に含まれないから」と国民同士で弾圧した。その結果どうなったかは語るまでも無いが。中国の文化大革命も同様だ。そしてそれは全て正義だとすら思われ実行されていた。

私は、「全ての日本在住者の救済」を望む。生活保護受給者も在留外国人も誰も彼も関係無い。全てだ。こう言うと共産主義者か左翼かと思われるかもしれないがそうでは無い。どちらも大嫌いだが、今行うべきは日本を守るという一点にあり日本を守るという事は日本に住む人を守るという事だ。このコロナを使って、どさくさ紛れに在留外国人や暴力団やその他各人が思う消えたら良い存在を消してやれと主張する人らには

「平常時でもお前が出来ない事を、どさくさ紛れのスケベ根性でどうにかしようと思うなよ」

「ちゃんとした主張、手段の確保に頭を使わずに簡単に行えると考えるのは愚かな考えの極地だ」

としか言えない。今問題なのは前から問題だったわけで、今どさくさ紛れに機会に乗じて正当性を持たせた風な事を喚いて本当に困ってる人を救うのを遅らせる真似だけは本当に止めて頂きたい。

この新型コロナウィルスによる騒動は、この20年程の中で歪みまくった思想を炙り出す機会にもなった。自助公助はそれが実行出来る世の中でなければ機能しない。自己責任を問うならば誰しも己の生存にしかリソースを割かなくなる。誰も助け合いなんか出来なくなる。それに振り切った状態が今年までなのだとすると、これを機に世の中の意識を変えなければならないと思うし、誰かの窮状にせめて一考して発言せねばならぬと思うようにしなければいけない。何故なら明日は我が身であるから。

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