あるロスジェネの20年
今の自分より上、例えば60歳以上の人や或いは20代の下の世代は「ロストジェネレーション世代」と言われてもそれが何か解らない、という人が多い。
一般的に、1998年から2005年までに高校や大学を卒業した者の半数余りが正規雇用の職に就くことが出来ず、非正規雇用を続ける羽目になり、その結果30代40代と歳を重ねても低賃金・長時間労働・不安定な生活を余儀なくされている人達がそう呼ばれている。私の同級生の多くもそうなったし地元には殆ど残っていない。都会にしか職のクチは無く、頼れる者も居ないまま不安定でも仕事を求め都会に行くしか無かった。
現在の60代以上の方はこの人達を「会社勤めも出来ないだらしない奴ら」「頑張りが足りなかった」と当時評していた。少なくとも自分の周りも、現在まかり通っている「自己責任論の根強さ」はそれを証明していると思う。
自分自身、バイトや派遣労働の合間に合計120社以上面接を受けた。が、1つも通らなかった。その時の酷いやりとりはまた別に著述する。
ここで、私自身がやってきた仕事20年分を並べてみよう。
パン工場、スナックのウェイター、ダンボール工場、清掃業、デリバリーヘルスの雇われ社長(給料13万)、スナックのホステスさんの送迎、新潟の工場での製造業派遣×2、地元近くの工場での製造業派遣、警備員、運転代行サービス×3、タクシードライバーだ。
×2とか3とかはその地で同業他社に転職してるという意味だ。そこについてもまた幾つかエピソードはあるがそれもまたの機会で。
ここで言いたいのは、一つとして正規雇用の職では無い。タクシードライバーも業態としては嘱託社員だ。
中には親が健在で生活を頼りその間に職業訓練をしどうにかなった者も居るが、そんな環境の者ばかりではない。正社員になるのが夢だった、という奴がものすごく沢山いる。この辺は経団連の会長も「ロスジェネ世代を生み出してしまったのを後悔してる」などと今更というふざけた事を言うくらいには悲惨であるというのは伝わるだろうか。
これが、皆等しく貧乏で、でも経済が発展していってる時代であれば希望もあろう。ロスジェネの悲惨なところは
「無駄を無くすからお前は要らない」
と文字通り社会の部品扱いされていたところだろう。少し前話題になってたカルロス・ゴーンが就任当時から繰り返したコストカットなどが良い例で、年末派遣村などと年越しの時期にテントや掘っ建て小屋でホームレス並の生活を余儀なくされた同輩の話を聞くにつけ胸が痛くなったものだ。
現在、コロナショックで日本全体の景気が大きく後退して行ってる。未曾有の大災害以上の不景気の波が襲いかかっているのだ。従来の無駄を無くせという考え方をしていたら、間違いなく私のような人間を何百万人と生み出してしまうだろう。このコロナショックで失業したならばお前が悪い、とは言われないだろうけど。
今、自分自身がこのコロナショックでギリギリの淵に立たされている(同業他社が次々と倒産しだしている)が、そういうのにはもう慣れたくは無いが慣れてしまったので最悪行政に迷惑かけても生きるつもりではある。
だが、私みたいな惨めな思いをこれから未来のある若者が味わう必要など一つとしてない。一つとして。私の時は馬鹿な奴が総理で悪い奴が経済のブレーンとして「痛みを伴う構造改革」と称して奴隷を生み出すシステムを作り上げた。しかし今は違う。デフレの恐ろしさ、景気拡大とは政府支出のお金の量によって成される、などという教訓がある。インターネットが身近になり世論が露骨に反映される。その上で、国のシステムをどうするかと考えられる人も増えた。かつてでは考えられない程に。
今は大変な時期だけど、コロナショックをまず終息させる事が大事。その後をどうするか、は皆さんの手にかかっている。暗い今だが明るい未来を想像し、その為に今と将来をどう生きるか?というのを考えるべきなのだと思う。