【行列ゼロ!じんたろ法律事務所】日本の政党の党首はどうやって選ばれるべきなのか?
今、「除名」といえば、ガーシーが国会議員から除名されるかどうか、それと共産党の松竹伸幸(まつたけのぶゆき)というおめでたい名前の党員が除名された問題だろう。
ガーシーとは、NHK党のガーシー(東谷義和氏)参議院議員。国会を欠席して、アラブ首長国連邦(UAE)に滞在している。党首が呼んでも帰国する可能性は低く、このまま国会を欠席した場合は陳謝を拒否したものとして再度、懲罰委員会に付託され、除名処分が下される可能性が確実視されている。
一方の松竹氏は、党首公選すべきという本『シン・日本共産党宣言』(文春新書)を出版したヒラの党員。かもがわ出版編集長だった。今は編集主幹という役員。でも、除名の理由はその本を出版したことではないらしい。
鈴木元という党歴50年以上の古参党員が『志位委員長への手紙』(かもがわ出版)を執筆したが、その出版を急ぐことを働きかけたことが分派活動と判断されたかららしい。
編集者が執筆者に売れるから早く書け!と言ったことがなんで分派活動になるのか?
という素朴な疑問は置いておく。
それでなくとも、この除名はツッコミどころ満載なので、朝日新聞や毎日新聞、産経新聞も社説で批判している。
政党はどんな規約でも結社の自由で許されるのか?
それに対して、共産党は「結社の自由」だ!と言って反論している。
結社の自由。
ひさびさに聞く憲法21条の言葉。
共産党は「結社の自由」を憲法学者の小林節氏を「しんぶん赤旗」に登場させて語らせている。
「犯罪を目的としない限り、どんな結社を作ろうが・・各結社の自由です」
まあ、これは驚くようなことではない。
統一教会が成立しているのも「信教の自由」が憲法で保障されているからだ。憲法20条1項前段において、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」 と規定されている。 この信教の自由から学説では、①信仰の自由、②宗教的行為の自由、③宗教的結社の自由が導かれている。
だから、自民党の改憲派の法律学者であった小林節氏が、180度の変節で共産党支持の憲法学者になっていていたとしても言っていることは正しいのだろう。
除名が手続きどおりされていたら、それを個人で覆すことは難しい。
有名なところでは共産党の当時ナンバー2だった袴田里見が除名された最高裁判例がある。
この袴田里見が除名された後、幹部用の党の借家に居座り続けたので、そもそも「除名処分」が適法なのかどうかも争われた。
そのときに日本には憲法で「結社の自由」が定められているので、その党の規約に沿って手続きどおり処分されたのなら適法とされた。
日本の司法において、団体内部の規律問題については司法審査が及ばないことは「部分社会の法理」とも呼ばれている。
昭和52年に過激派学生が単位を認定されずに除籍処分された富山大学の事件で最高裁判所がこの考え方採用した。それ以来、この言葉が広く用いられるようになった。
富山大学も日本共産党の内部事情は、国家権力が及ばない部分社会であることには違いがない。
だから、まあ松竹氏は裁判に訴えても勝ち目はない。
本人は規約に基づいて、党大会に再審査を求めるようだから頑張ってほしい。
この党の規約でもその権利は保障されているようだ。
党首の選び方はどうなっているのか?
どうして21世紀の世の中で、党員が党を批判する本を出版したくらいで除名処分になるのか?
これには松竹氏が要求している党首公選という政党トップの選び方と深い関係があるように思う。
「民主集中制」という官僚機構の「集中」の論理が中心に座っている政党でトップが間違っていたときにどうすれば間違いが是正されるのかという問題でもある。
今、日本の政党の選び方はどうなっているのか?
2015年当時だとこんな感じだった。
まず出馬要件。
それぞれの党でちょっとハードルは高いが、国会議員になれば誰でも立候補できないわけではない。
投票方法はこういう感じ。
ちょっと複雑だが、多数派になれば党のトップになれる。
その過程で政策論争できる仕組みになっている。
その5年後の2020年にはこうなった。
出馬要件は?
社民党は国会議員でなくても立候補できるみたいだ。
そもそも国会議員が一人選ばれるのかどうかの瀬戸際なので、国会議員要件は必要ないのだろう。
選挙方法は?
やっぱりどこでも多数派になれば、党のトップになれる仕組みだ。
職業政治家の問題と民主主義
政党としての組織はその運営のために官僚機構を構成する。
職業政治家、党職員はそう呼んでもいいだろう。
しかし、政党は党員から党費などを徴収して、この党の官僚機構を動かすために党職員を雇う。
そのとき、党員の個人個人の考えは官僚機構のなかでどうなるだろうか。
鈴木元『志位委員長への手紙』によると、共産党の大会で多くの代議員は党の専従職員らしい。党職員が代議員になるってのは、ありうるだろうけど、そこから給料もらっている人ばかりだと、提案されている方針に果たして公然と反対できるのだろうか?
マックス・ウェーバーは近代官僚制には6つの特徴があると言う。
①法規または行政規則によって系統づけられた明確な官庁権限
②官職階層性と官庁相互の明確な上下関係
③文書と事務を司る各種スタッフによる職務執行
④専門的訓練
⑤官僚が全労働力を投入して職務に取り組むことへの要求
⑥職務執行のための規則への習熟
この近代官僚制は、大衆がひとり一人を平等に扱うのに適している機構として、大衆の要望で生まれたと、マックス・ウェーバーは言っている。
これは私企業でも政党組織でもほとんど類似の組織機構である。
ただ違いは国家が税の徴収により財政を安定させるのと私企業が経営で安定させるのとの違いぐらいだろう。政党は党員から党費を集めるのでむしろ国家の仕組みと似ている。
人々が個人を平等に扱う要望から生まれた官僚制ではあるが、国家や政党が官僚制で動いていくと、政治の素人はそこで行われていることの是非に関して口を出しにくくなる。大衆は官僚制なしにはやっていけなくなり、大衆は官僚制に依存し、大衆がそれを壊して代わる仕組みを直ちに作り出すことはできなくなる。
そういう大衆にできるのはせいぜい行政指導者の選出方法を変更することと、「世論」等を通して彼らに影響を行使することくらいになる。
大衆の民主化要求に応えるためには、官職に就くための専門資格の要件を外すこと、選挙によって常にリコール可能にすること、在職期間の短縮などである。
つまり、官僚機構の力を変えるべきと思ったときに、大衆ができるのは党首を平等な一票のもとで選ぶくらいしか方法はないのだ。
このことは、マックス・ウェーバー『経済と社会』や『職業としての政治』に書かれている。
党首選びはどういう方法がいいのか?
現在、日本共産党は「民主集中制」という官僚機構を動かすルールをとっている。
この党の民主集中制とは次の特徴がある。
① 集団指導体制:党首である幹部会委員長も、党大会決定、中央委員会決定、幹部会決定、常任幹部会決定に拘束される。党の決定から離れて、勝手な言動を行うことは許されない。
② 党のなかに派閥や分派をつくってはいけない。
③ 党のポストは上部組織が提案する
共産党は民主的選挙で決めているというが、『志位委員長への手紙』の鈴木元氏によると、実際の選挙は現執行部が提案する役員候補の名簿に○×をつけるだけ。立候補や公約などがないため、実際には信任投票みたいになっているらしい。
党大会の議論を支部から上位機関に向けて行っていると言うが、支部間で行動する党員がいると分派形成扱いされるので、上の大会に行くほど、反対意見は少なくなる仕組み。
こういう党では党首公選くらいしか方針が変わることはないだろう。
海外ではどのように党首が選ばれているのか?
イギリスの保守党で党首が代わり、経済の失政で退陣し、また違う党首が選ばれた。
党首がコロコロ変わるからダメだという考えもあるが、問題が起きれば党首が替わるというのは、構成員が一票を平等に行使する権利の現れだという人もいる。後者のほうが民主主義のイメージは強いだろう。
投票もオンラインが郵送で行われている。
多様さが尊重される今の時代。
「結社の自由」を盾にしても個人個人の自由な考えが尊重される党内の民主主義が保障される政党でないと生き残れないのではないか?
政党のコアの原理が狭いほど、その幅は狭くなるだろう。
もしかしたら、選挙してみたら、松竹氏が主流派で、今の原理主義の志位氏らの幹部が小さな分派になったりして。
【共産党除名問題から官僚制と民主制を考えるためによい本】