【短編小説】たゆたう我がままな白いけむり(5) 土に突っ込んだ首
土の中に頭を突っ込んでいるのはアールだった。
友樹にはわかっていた。顔を見ていないのにその裸の男性がアールだとわかった。
アールは土の中から頭を抜き出した。
ずずっという音がして、顔が現れた。
その顔は崩れていた。腸のひだのような皮膚がアールの顔だった。禿げた頭髪もどこまでが頭で顔か分からなかった。
アールは友樹の方に手を振り上げて向かってきた。とても怒っているようだった。手には石斧のようなものを持ち、それを振り上げてこちらに向かってきた。
逃げなきゃ。友樹はそう思った。
追いかけてくるアールに小さな龍がぶつかった。こんなに小さな龍は見たことがない。猫くらいの大きさの龍だった。
その龍は、顔の崩れたアールに振り落とされてもまたアールに飛びかかっていた。
ホダカ。
ホダカだと友樹は思った。小太りの中年女性の姿とは似ても似つかないが、それがホダカだと友樹はわかった。
助けに来てくれたんだ。
アールが唸りながら石斧を振り回した。ホダカは右へ左へその石斧を避けて跳んだ。
アールはどうしてあんなに怒っているんだろうか。友樹は事情がわからなかった。
よく見ると友樹がいるのはRの施設の応接室だった。
高層ビルの施設。本部施設のあるところだ。
アールは応接室のテーブルに石斧を叩きつけた。
楕円形のテーブルが割れた。どすっという音がしてテーブルの端が床に付いた。
友樹には何もない。ナイフも鋭利な刃物も持っていない。危険物を持っている検査を受けたのを思い出した。龍のホダカは壁に寄ってアールから離れた。
逃げなきゃ。友樹はそう思った。でも足が動かない。何か大きな力に支配されているような感覚だった。
小さな龍がまたアールに飛びかかった。
そのとき友樹の足が動いた。
友樹は応接室の扉を開けて廊下に出た。その廊下をどこまでも走った。ずいぶん走った先に受付があった。
モデルの彼女がそこにいた。
彼女は両手を広げて廊下の真ん中に立っていた。
友樹はそれを避けようとした。でも彼女の前に吸い寄せられた。そして彼女の前で止まった。彼女の両手が友樹の胸を押さえた。そしてズボンのポケットを彼女の両手が押さえた。彼女の首が友樹の鼻の横に触った。秋の匂い。くすぐる秋の匂いがした。そして彼女の右手が友樹の股間を押さえた。
「あら」
と彼女が言った。
友樹の股間は固くなっていた。友樹は勃起していた。
彼女は友樹に体を寄せて、両手で友樹の耳の辺りを触った。
彼女の目が友樹の目を見た。アイラインがくっきり引かれたような二つの目だった。瞳に友樹が映っていた。彼女はその目を徐々に閉じて、唇を友樹の唇に近づけた。
友樹の固くなった危険物はよけいに膨張した。
押しつけた唇の間から、彼女が舌を入れてきた。友樹は目を閉じて、なすがままにしていた。
彼女の舌が動き、友樹も舌で応じた。長い長いディープなキスだった。
遠くで、ぴっぴっぴっぴっぴっと何かが鳴くような声が聞こえた。
ホダカだろうか。
ホダカが助けを求めているのだろうか。
やがて、その音は大きくなって、友樹の鼓膜を揺さぶるくらいになった。
友樹は目を開けた。
遮光カーテンの隙間から光が漏れている。
あっ、あれは朝陽だ。
なんで朝陽がこんなところに。
そこは友樹の部屋だった。
友樹はベッドの上にいた。
脇を見ると目覚まし時計が、ぴっぴっぴっと鳴っていた。
友樹は目覚まし時計のアラームを止めた。
時計は9時を回っていた。
なんだ、夢だったのか。
逃げてきたんだ。でも彼女はどうしてあんなことをしたんだろうか。
友樹は寝ぼけたまま唇を右手の指で押さえた。まだモデルの彼女の感触があるようだった。
夢か。
夢だったんだ。
友樹は安堵したような、もう少しそのまま続けたかったようなふたつの気分が混ざる感じだった。
そのときスマホがぶるぶると振動した。
画面をみると見たことのない電話番号だった。
留守電で残すのは、あとが面倒だったので友樹は電話に出た。
「遠藤友樹さんですね」
どこかで聞いたことのある女性の声だった。
「はい、遠藤です」
「また、お会いできますか」
「えっ」
その声はM教団のR施設で受付をしていた女性の声だった。友樹は唇を右の人差し指で押さえた。
「また、お会いできますか、とアールが申しております」
友樹はまた夢の世界に戻るところだった。
「ええ、ぜひお会いしたいです」
「あんなことになってしまって申し訳ありません」
「えっ、いえ、こちらのほうこそ、あんなことをして済みません」
女性は一瞬話を止めた。
あんなこととはどんなことなのか、友樹はまだ夢と現実の区別がつかなかった。
「アールは失礼な対応をしたことを申し訳ないと思っております」
ああ、追い返されたことか。
友樹はやっと現実の世界に戻ってきた。
「い、いえ。こちらのほうこそ無理なお願いをして済みません」
「でも、よかったわよ」
モデルの女性はそう言った。
でも、よかったわよ。そう言った。アイラインがくっきりした目が浮かんだ。
この女性は友樹の夢を知っているような気がした。
「では、二週間後の午後一時にRでお待ちしています。それでよろしいですか」
有無を言わさないきっぱりした口調だった。
「ええ、それで結構です」
友樹は手帳も見ずに答えた。
それで電話は切れた。
友樹はもう一度唇を触った。
よかったわよ、と言う柔らかな声がまだ耳に残っていた。
とりあえず、またアールに会える。
そうだ、ホダカだ。ホダカに助けてもらおう。小さな龍。あれは本当にホダカだったのかもしれない。
二週間後ならまだ時間はある。ホダカなら助けてくれそうな気がした。