怪異に乗っ取られた豪邸
高瀬 甚太
二〇一六年初頭、年明けの正月気分の抜けきらない一月十日、私の事務所のあるマンションで事件が起きた。
十四階建ての一階、二階部分の部屋が軒並み荒らされ、盗難に遭ったのである。被害に遭ったのはすべて事務所として使用している部屋ばかりで、被害総額は百万円を超えると警察から聞いた。幸い、私はその日、ずっと部屋で仕事をしていたため、被害には遭わなかったが、どのみち入られたとしても金品類など一切部屋にはない。泥棒をがっかりさせたことだろう。
事務所は二階にあり、両隣が被害に遭っていたため、警察の執拗な尋問を受けた。
「怪しい人影を見なかったか?」
はまだいい方で、警官によっては、
「なぜ、真夜中に仕事をしていた?」
と言い出す者まで現れる始末だ。そういう仕事なのだと説明しても、なかなか納得してもらえない。しまいには指紋まで採られ、犯人扱いされてしまった。
編集・出版という仕事は、昼間よりも夜の方が仕事が捗る。昼間はどうしても気が散ってしまうが、夜中はそれがない。そのことを警官に説明したのだが、まったく理解してくれようとしない。
犯人は単独犯のようで、ベランダから侵入し、金品を漁った後、ご丁寧に入口のドアにチェーンを架けて再びベランダから外へ出ている。朝、出勤してきた人は驚いたことだろう。ドアの鍵を開けて入ろうとしたらチェーンが架けられているのだ。急いで管理人を呼んで、チェーンを切って中に入ったら部屋の中が荒らされ金品が盗まれていた、そんな事件だった。
近頃、この辺りで事務所荒らしが横行していることが、その後の警察の調べで明らかになった。十二月半ばから一月十日のこの日まで十二件、異常な多さだ。しかも場所はすべて大阪市北区周辺に限られていた。
警察は犯人の特定を急いだが、遺留品もなく、証拠となるものがまるで残っていなかったことから困難を極めた。その間にも、次々と近隣の事務所が荒らされたというニュースが洩れ伝わってくる。
――編集長、お願いがあるのだが、今日、午後にお邪魔していいだろうか?
大阪府警の原野警部から電話があったのがその日の午前11時だった。一体、何の用だろうかと、考えたが見当が付かなかった。スーパーで弁当を買って昼食を済ませ、コンビニでコーヒーを買って事務所に戻ると、ドアの前で原野警部が待っていた。
「警部、お待たせしてすみません。こんなに早く来られるとは思わなかったものですから――」
「 いや、いいんだ。実は困ったことが起きてね。編集長に力になってもらいたくて」
原野警部を部屋に招き入れ、茶を入れようとしたが、原野警部はそれを固辞し、早速、本題に入った。
「実はこの近辺でオカルト的な事件が相次いで起きてね。そのことで編集長の力を借りたいと思って――」
「オカルト的な事件?」
「真偽のほどははっきりしないが、商店街に近い場所にある古い一軒家、剣持家で次々と奇怪な現象が起きて、何度か警察に通報があったのだが、ご存じのように、事件が起きないと警察は動くことができない。それで話を聞くだけで済ませていたのだが――、そんな矢先、とうとう事件が起きてしまった。
その家は、剣持弥五郎、八八歳が当主で、妻の秋江、長男の弥一郎とその妻、利美と子供たち三人が同居して暮らしている。江戸時代から続く銘茶の店として、天神橋筋商店街に本店を持ち、梅田、ミナミの百貨店などにも店を持つなど、関西を代表する名家としてもよく知られている」
「剣持家と言えば、公園に隣接する大きな一軒家ですね。私も存じています」
剣持家はこの辺りでも有名な豪邸だ。この町で知らない者などいないだろう。
「昨年暮れから、あの家で原因不明の不審火が続出して、幸い大事には至っていないのだが、当主の剣持から再三にわたって、調査してくれと依頼を受けている。不審火は警察の担当ではなくて消防署の担当だから、消防署員たちが原因究明のために剣持家を訪れた。
原因不明の不審火など起こるはずがない。きっと放火だろうと思った消防署員は放火犯を逮捕するために待機していた。ところが、怪しい人影など、まるで見られないのに、剣持家の中庭でいきなり不審火が発生した。これには待機していた消防署員も全員驚いた。火を消し止めた後、現場検証をするが、やはり放火ではないことが証明され、自然発生した火であることがわかった。剣持家の話では、こうした自然発生的な火がこのところ頻繁に起きていると言う。これはもう消防隊の手に負えない、と言って府警の方に相談に来た。ところが府警の方でも、手が出しにくい。そうこうしているうちに、去年の年末、とうとう事件が起きてしまった」
「昨年の年末と言えば――」
「剣持家の当主、剣持弥五郎が焼死した事件だよ。家の庭で植木に水をやっている時、突然、炎が上がり、あっという間に弥五郎が焼死してしまった。驚いたのは、周辺に火の気がまるでなかったことだ。家族の話によると、突然、弥五郎が炎に包まれ、消火する間もなく焼死したと言う。不思議な話だ。警察でも実地検証を行い、調査をしたが、放火と照明できる証拠は何も得られなかった」
「弥五郎の死後、不審火は止んだのですか?」
「しばらく起きなかったが、ここへ来て、再び不審火が続出し始めた。このような事件になると警察はお手上げだ。そこで、こうした事件に詳しい編集長に相談をして力になってもらえれば、そう思ってやってきたというわけだ」
原野警部が相談に来てくれるのは嬉しいことだが、他の人と同様に、原野警部も私を誤解している。私はその道のオーソリティではない。
「私は、たまたまそういった事件に遭遇する機会を得ただけで、特別な能力があって、事件を解決してきたわけではありません。期待されても困ります。私は一介の編集長に過ぎないのですから」
「わかっているよ。だが、編集長がこの話を聞いて、黙っておれるかといえば、そうはいかないだろう」
確かにそうだ。私の好奇心が頭をもたげ始めている。だが、私はそれほど暇ではない。興味はあるが、断らねば――。
「原野警部、私は――」
そう言おうとした時、原野警部が私の言葉を遮った。
「不審火だけではないんだ。剣持家にはこのところ、他にも多くの不思議が起きている」
「多くの不思議とは、どういうことですか?」
「それは現場で一度、試してもらった方がよくわかる。一緒に剣持家へ行ってみませんか」
「しかし、仕事が――」
「ここから近い場所ですし、百聞は一見にしかずだ。興味がなければ撤退してくれていいから、とにかく、そこまで付き合ってくれ」
有無を言わさぬ原野警部の強引な誘いに、私は渋々乗った。どんな不思議が起きているか、知りたい気持ちが強かったし、それを知った後、断ってもいいだろう、そう思ったからだ。
剣持家は、商店街から少し東へ歩いた小公園に隣接して建っていた。リフォームはしているだろうが古い家屋だ。原野警部の話では江戸時代後期に建てられた家だと言う。
「今日は」
門の前でインターフォンを鳴らし、原野警部が挨拶をした。すぐにお手伝いらしき女性がやって来て門を開け、私たちは中へ招じ入れられた。当主の死から日が浅いせいか、迎えに現れたお手伝いの様子に落ち着きがなく、私たちを迎える当主の妻は笑顔もなく私たちに対した。
「このたびはご愁傷様です。突然のことで大変でしたね」
原野警部が通り一遍のいたわりの言葉を投げかけると、当主の妻、秋江は、視線を泳がせ、ひどく疲れた様子で「はい……」と返事をした。
「ここにいるのは、こうした怪異な事件を解くプロフェッショナル、井森公平氏です」
原野警部の紹介の言葉に引っかかるものを感じながらも、私は手短に名前を名乗り挨拶をした。
「井森氏に、近々に起きた不思議な事柄を、順を追って説明してやってもらえませんか?」
秋江は一度軽く深呼吸をした後、原野警部の言葉に従ってゆっくりとした口調で話し始めた。
「当家は江戸時代から続く旧家で、あの第二次大戦の際の空襲にも、奇跡的に被害に遭わなかったという強運の家です。何度かリフォームを重ねて来ましたが、旧家とあって、それほど多くのリフォームが出来ず、旧いところを残したまま、今日に至っています。
それまでも何度か怪異な現象があったのですが、気になるほどのことではありませんでした。ところが、昨年十二月から、突然、家のあちこちから不審火が発生し、消防署や警察には何度もそのことを話したのですが、まともに受け取ってもらえず、年末にとうとう主人が突然、発生した火に焼かれ、焼死してしまいました。
旧い家には、すべてがそうではないでしょうけど、怪異が棲むと言われています。これまで私たちは、他の人なら驚くような怪異をたくさん目にして来ました。そのたびに、畏れることはない、共生が大切だと、主人にも教えられましたし、祖父母にも聞かされました。家に幸をもたらす怪異もあるのだと聞き、実際、その通りだと思ったことが何度もあります。災害などの際も事前に伝えられたことにより、命拾いしたことがなんどもありますし、盗難を防げたことが何度もあります。その一つ一つをご紹介しても、きっと笑われるでしょうから詳しくはお話ししませんが、ともかく、私たちは怪異なものを恐れることなく、これまで共生してきた経緯があります。
ところが、昨年秋以降、怪異なものたちの出現が鳴りを潜め、これまでとは違った怪異が姿を現すようになりました。それがあの不審火であり、これまでとは全く異なる現象の数々です。
不審火が多発した時も、当初、私たちはそれを怪異とは思っていませんでした。放火か、もしくは自分たちの過失だと思っていました。ところが火の気のない場所に突然、不審火が発生するなど、あまりにも特異な現象が多発するため、考えを改めました。そして気付いたのです。これまで家を護ってくれていた怪異たちが攻撃に転じ始めたのではないかと――。
不審火と同時に、数々の怪異たちによる攻撃が始まり、主人が亡くなると同時に、とうとう息子夫婦と子供たちがこの家を逃げ出しました。今、残っているのは、私とお手伝いの二人だけです」
秋江の話を聞きながら、ふと思った。二人だけといいながら、耳に着くこの騒動しさは何だろう。ガヤガヤととても賑やかだ。
「多分、この家に寿命が来ているのではないかと思われます。新たな怪異な者たちの出現はそれを象徴しているかのようです」
寿命? そうだろうか。百年余に及ぶ風雪に耐えてきた家屋は、簡単に倒れそうもない。
「奥さんのおっしゃる新たな怪異の出現ですが、詳細を聞かせていただけませんか?」
秋江は、青ざめた表情に陰鬱な眼差しを浮かべ、静かに口を開いた。
「この部屋から庭が見えますが、庭に何が見えますか?」
私と原野警部は庭に目をやった。手入れの行き届いた立派な庭である。石灯篭が置かれ、きれいに剪定された木々がそびえている。ただ、それだけのことだ――、と思った瞬間、突然、庭の中をいくつもの黒い影が激しく動いた。あれは何だろう。
「影のような黒いものが庭のあちこちから姿を現しませんでしたか。あれも新たな怪異の一つです。――この部屋の天井を見てください」
と言って、秋江が天井を指さす。しかし、そこにあるのは何の変哲もない天井だ――、だが、よく見ると天井全体の模様が変だ。血の色のようにどす黒く濁った色で天井一面が塗り込められている。
「夜になると、天井から血がしたたり落ちて来ます。しかし、決して下には落ちません。途中で止まって、それはやがて血のしたたりから姿を変え、鳥のような怪異な姿になってこの部屋を往来します。そして、日が昇ると、再び天井に張り付きます。この家のどこもかしこも、万事この調子です」
耳に着く騒動しさも怪異の仕業なのだろうか、この家全体が怪異に乗っ取られている、そんな気がした。
「編集長、おれ、用があるからここで失礼するよ。後はよろしく」
原野警部がそそくさと席を立ち、帰ろうとする。この家に潜む不気味さに耐えられなくなったのだ。仕方なく、原野警部を見送り、私は怪異が蠢くこの家に残ることになった。
「この家は呪われているのです。主人の死も呪いによって殺されたと私は信じています。やがて私もそうなるでしょう。年齢も七三歳ですし、もう長くはないと思います」
力のない言葉を吐く秋江を私は慰める術を持っていなかった。だが、怪異の出現には必ず何か原因がある。それを突き止めれば、変化が生じる可能性がある。しかし、どうすればいいのか見当が付かなかった。
「祈祷師の方にお願いしたり、さまざまな名士にお願いをしてきましたが、何も変わりませんでした。これ以上打つ手はありません」
嘆きの表情を浮かべる秋江を見て、このままにしておくと、秋江が予想するより早くあの世へ逝ってしまいそうな気がして、思わず私は声を上げた。
「あきらめてはいけません。私が何とかします。だから意志を強く持ってください」
私の言葉に秋江は、かすかに笑顔らしきものを浮かべたが、その笑顔は、私の目にあまりにも力なく映った。
まず、私は、秋江に順を追ってこの家の変遷を聞いた。特に知りたかったのは昨年からのことだ。
「特に家の何かを変えたというわけではありません。家の形も昔のままですし、修理をするにしても、できるだけ昔のスタイルを変えないように努めてきました。さすがに台所やトイレ、ふろ場は最新式のものに代えていますが、その程度です――、そう言えば一つだけ昔と変えたものがあります。この家の裏庭に、古井戸があるのですが、使わなくなってすいぶんになる古い井戸ですし、孫たちがいて危険なので、去年、主人と相談をして井戸を取り壊し、埋めることにしました。そのぐらいです」
古井戸を取り壊した――。その言葉に引っかかった私は、秋江に案内してもらって裏庭へ行き、埋没させたという古井戸を見た。
古井戸を眺めているうちに、一つの考えが浮かび、それを秋江に話した。秋江は最初、抵抗を示したが、最後には承諾した。それでも納得している様子などまるでなかった。
早速、その日のうちに建築関係の人間を呼び、古井戸を復活させる手はずを取った。
秋江の話を聞いているうちに、古井戸がずっとこの家の守り神として存在してきたのではないか、と思うようになった。確信があったわけではない。秋江を納得させる材料もなかった。ただ、水は人間にとって、もっとも大切なものだ。その水を江戸時代から供給してきたのがこの古井戸だ。使わなくなったとはいえ、それを潰してしまったことが邪悪な怪異の出現につながったのではないか――、私はそう思った。
建築関係の人間は、当初、難しいと言って難色を示したが、それでも秋江が充分なお礼をすると伝えると、現金なものだ、途端に張り切って井戸を掘り起し始めた。
10メートル近くはあろうかという井戸の形は、幸いそのままの形で残されていた。井戸の中にある土を掬い取って行くと、半日もすれば元の井戸が復元された。しかし、問題は井戸として機能するかどうかだ。井戸の形を復元しても、水を以前と同様に汲めなければ今回の作戦は不成功に終わってしまう。
「水を汲み出すようにするには時間がかかりますね」
建築関係の人間は口を揃えて言った。地層にある水源に辿り着かなければ井戸として機能しない。水源に辿り着くためには時間と費用が問題になる。それでも辿り着くかどうか、建築関係者からの確証は得られなかった。
大阪は昔から水の都と称されてきた。水源の豊富な都市である。しかし、昔と今では様子が違う。それを承知で建築関係者に挑んでもらった。私の推理が正しければ、水源を発掘し、元の井戸を復元すれば、この家は変わる、固くそう信じていた。
掘削機を使って掘り始めて2時間が経過したところで、水が井戸の中に流れ込んできた。運よく水源に行き着いたのだ。
「珍しいですよ。この程度の時間で水源に辿り着けるのは、この辺りは昔から水源の豊富な場所でしたから、それも影響しているのでしょうね」
建築関係の責任者は安堵の表情を浮かべて私たちに語った。それほど運のいい出来事だったのだ。
井戸が復活し、その井戸からくみ上げた水を庭に振りまいた。その井戸の水で家の中のもの、天井や床などあらゆるものをきれいに拭いた――。一番に効果が現れたのは、応接間の天井だ。どす黒い血の色をした天井の色がきれいな木目のものに変わった。庭にも効果が現れた。庭に出没していた怪しい影は途端に姿を消した。
「やはり古井戸がこの家の守り神だったようです。この井戸を壊し、埋めたために、機会を狙っていたさまざまな悪霊が我が物顔に姿を現し、不審火を起こしたり、挙句の果ては人を襲ったり、さまざまな怪異を模して家人を襲っていた。それが、井戸を復元し、元通りにしたことでこの家の守り神たちが復元し、悪霊たちを退散させたと思います。それにしても感心するのは、奥さんです。普通なら怪異たちに潰されてしまっても不思議はないのに、よく耐えて頑張りました。その精神の強さに感服しました」
秋江は、小さく笑って私に言った。
「この家は主人と私の家です。この家には、二人の思い出が一杯詰まっています。むざむざとその思い出を消されてなるものか、そう思って来ただけです。でも、最近はその私も、もう駄目だと覚悟していました。あなたが来てくれなければ多分、駄目だったでしょう」
秋江の言葉に今までにはない明るさを感じながら、私は剣持家を後にした。
その夜、原野警部に剣持家の件の報告をしようと思い、電話をすると、彼は、例の事務所荒らしの件で狩り出されていると聞いた。そういえば、このマンションでもそういう事件が起きていたことをその時、思い出した。
今回の事務所荒らしの手口は、ベランダから侵入し、金品を物色して、ドアのチェーンを架けて入れないようにして再びベランダから立ち去る。それが特色だと警官が語っていた。通常の事務所荒らしと違うのは、マンションに事務所を持つところを専門に狙っていることだ。なぜだろうか――。しかも一階、二階を専門に狙っている。
通常のビルならともかく、マンションを狙うのはどうしてだろうか、考えたが何も思いつかない。そこで考えた。自分が泥棒だとしたらどうだろう。マンションの中に事務所を持っている自分は、当然のことながらマンションのことをよく知っている。泥棒も自分のようにマンションで事務所を構えている人間ではないかと、その時、ふと考えた。おまけに自分と同様に金銭的に苦労して、金に追われている人間――。しかも犯人は北区周辺を中心に事務所荒らしを重ねている。
これまで襲われたマンションを地図で調べれば、少なくとも犯人の位置に相当する場所の予測をつかめるのでは、そう思った。
あくまでもすべてが想像である。確証など何もない。だが、それは剣持家でも同様だった。何の確証もないのに、思い付きの判断で古井戸を掘り当て、悪霊を追い払うことができた。偶然とはいえ、今回だって、たとえそれが思い付きであっても、無駄に終わるはずはない。そう確信した。
そんなところへ原野警部から電話がかかった。
――もしもし、電話をいただいたそうだけど。
原野警部は、あの怪しい家に私を置き去りにしたことを申し訳なく思っているようで、電話の声にそれがありありと現れていた。
私は、原野警部に剣持家の事件が無事解決したことを告げ、マンション専門の事務所荒らしについて、提案したいことがあると告げた。
原野警部は気乗り薄だったが、
――今からお邪魔していいか?
と聞いたので、「どうぞ」と言うと、20分足らずで事務所に現れた。
「事務所荒らしの資料を持ってきたが、本当に犯人の所在がわかるのかね」
半信半疑の原野警部は、テーブルに地図を広げると、これまで事務所荒らしに遭った場所に記しを付けていった。
ほとんどの場合、人間の行動は何らかの形で一定の法則を伴う場合が多い。特に盗みのパターンが限られている場合はなおさらそれが強い。
地図に記された被害に遭った場所を見て行くと、やはりそこにも一定の法則があった。思った通り、円状を描くように犯行が行われている。出発点は西天満になっていた。
「原野警部、無駄になるかもわかりませんが、犯行の起点である西天満にほど近い場所で、犯行が行われた場所を線でたどった円形の中心にあるマンションの一階、二階に個人の事務所を持つ人間を当たってください。私の予想では犯人に行き当たるはずです」
原野警部は、鼻で笑うようなしぐさを見せたが、特定することができず捉えどころのない犯人に四苦八苦している現状では、私の提案を無視することもできないようで、
「一応、当たってみるよ。多分、無駄足に終るだろうが」
ぶつくさ文句を言いながら部屋を後にした。
その原野警部から連絡が入ったのは、夜明け前の暗い時間だった。
「どうしたんですか、こんなに早く」
と眠い目をこすりながら電話に出ると、
――ありがとう。編集長が地図で示してくれた場所に署員と急行したら、マンションの入り口で怪しい男がいた。時間も時間だったから不審尋問をすると、しどろもどろでいかにも怪しい。任意で警察に連行すると、素直に白状した。でも、どうしてわかったんだね。あの場所に犯人がいると。
――どんなものにでも法則がある。それに則って特定しただけです。それとマンションの中にある事務所しか狙わない点が気になった。自分とよく似た境遇にいる奴に違いない、そう思って割り出しました。
――編集長と同じ境遇? どういうことかね?
――金に追われて困っている、そこからの発想です。でも、思い付きとはいえよかった、無駄足にならなくて。
私の言葉に、原野警部は少し笑ってすぐに電話を切った。朝日が窓の外から差し込んでくる。昨日とは違う、新しい今日がすでに始まっている。
〈了〉