恐怖の幽霊坂

高瀬 甚太

 ――井森編集長ですか? 川口慧眼という和尚さんをご存じですよね。その川口和尚が事故に遭って重体で、予断を許さない状況です。あなたに連絡を取ってほしいと頻りに訴えていますので、申し訳ありませんが、こちらの病院へ来ていただけませんでしょうか。
 夕方の時間、私はいつものように編集の仕事に没頭していた。その最中にかかって来た電話である。
 ――慧眼和尚が事故? 重体?
 思いがけない電話に驚いた私は、
 ――すぐに行きます。
 と答えて、病院名を確認しないうちに、あわてて電話を切ってしまいそうになった。それほど意外な慧眼和尚の事故の報せであった。
 
 飛騨高山に近い山間の道を徒歩で歩いていた慧眼和尚は、事故になど遭うはずのない見通しのよい場所で事故に遭い、倒れているところを後続の車に発見され、救急車で病院に搬送された。和尚を轢いたと思われる車はそのまま逃走し、行方をくらましている。目撃者は現在のところゼロであるということだ。
 一時意識不明の重体であった和尚は、三日後に意識を取戻し、生命の危機から脱することができたが、未だに予断を許さない状況で、今も集中治療室で治療を受けている。私の名前を医師に伝え、連絡するように言ったのは、意識を回復してすぐのことだったらしい。
 連絡を受けた私は、すぐさま車に乗って、和尚の入院する病院へ駆け付けた。大阪からだと5時間ほどかかる距離であったが、一度も休むことなく車を走らせ続け、その日の8時過ぎには無事、病院に到着することができた。
 慧眼和尚は放浪の人である。滋賀県大津市の劉王寺の住職だが、年中、旅をしている印象がある。用があって連絡をしても、ほとんどの場合、留守にしていて、寺の人に行先を尋ねても、わかりかねますと答えられることの方が多かった。
 その和尚が飛騨高山に近い山間の道を歩いていた。例によって放浪の旅だったのだろうか、それとも目的があって訪れていたのだろうか、生死の境をさまよっている和尚に聞くことはかなわなかったが、それよりも、私は、和尚が私を呼んだことの方が気になっていた。通常、こうした事故の場合、劉王寺に連絡をするのが普通だが、そうしないで真っ先に私に連絡をしてきたことは、和尚が私に何かを伝えたかったのではないか、私はそう推察した。この事故はごくありふれた交通事故ではないのかも知れない。その証拠にひき逃げ犯人は今も捕まっておらず、ひき逃げした車の車体その他、証拠となるものが何一つ発見されていなかった。
 「せっかくお出でいただいたのに申し訳ありません。川口様は、一応、生命の危機は乗り越えられましたが、それでもまだ予断を許さない状態です。お会いいただくまでには、二、三日、時間を要すると思いますので一度、お帰りになられたらいかがでしょうか」
 医師は、集中治療室の前でウロウロしている私に言った。
 「わかりました。もう少し様子を見て、判断したいと思います。ところで、川口慧眼和尚の事故を目撃された方は、本当にどなたもおられないのですか?」
 「川口様が事故に遭われた場所は、比較的、車の少ない県道で、事故に遭ったというのが信じられないほど見通しのいい場所です。誰もが口をそろえて、あんなところで事故が起こるなんて、と言うほどの場所で川口様は事故に遭われています。しかも目撃者は誰一人として存在しません」
 私は、医師に、慧眼和尚が事故に遭った場所を教えてもらおうと思ったが、医師は、
 「私より警察に聞いた方が、もっと詳しく状況がわかるでしょう」
と言って、警察の交通事故担当官に連絡を取ってくれ、
 「井森様がお伺いしますのでよろしくお願いします」
と伝えてくれた。
 警察署は病院から5分ほど歩いた場所にあり、警察署の受付で名前を告げると、早速、担当官が現れて事故の一部始終を説明してくれた。
 「川口さんが事故に遭われた場所は、つぶり坂と呼ばれるなだらかな坂道で、二車線の決して狭い道ではありません。歩行者のための側道もあり、よほどのことが無い限り、事故など起きない場所でして、私たちも不思議に思っているところです」
 警察官は首を傾げながらそう説明した。
 「ひき逃げされたと聞きましたが」
 と、聞くと、
 「すごいスピードで撥ねられた形跡がありました。川口さんは2、3メートル飛ばされて大地に叩き付けられています」
 と身振り手振りでその状況を説明する。
 「通常、ひき逃げした場合、タイヤ跡や車をぶつけた時の衝撃で車体の塗装がはがれたりするものですが、それも見つからなかったのですか?」
 「おっしゃる通り、事故の現場には何も残っていませんでした。スリップした跡も、タイヤの跡も――」
 「それでどうしてすごいスピードで車に撥ねられたとわかるのですか?」
 「川口さんの状態を見て判断しました。考えられないほどのスピードでぶつけられています。よく命があったものだと感心したほどの事故でした。車以外、考えられません」
 「本当に今まで、その場所で事故はなかったのですか?」
 「交通事故はありません。ただ――」
 話しかけて、担当官は口をつぐんだ。
 「ただ? どうしました」
 「いや、こんなことを言うと笑われてしまうかも知れないでしょうが――」
 「大丈夫です。決して笑いませんから安心して話してください」
 「そうですか――。川口さんが事故に遭われた場所は、地元では別名、幽霊坂と呼ばれ、昔から幽霊が出ると噂されている場所です。実際に幽霊を目撃し、気が触れた人も一人や二人ではないほどです」
 「幽霊坂? 気味の悪い名前の坂ですね」
 「地元の人ならともかく、他県の人にこんな話をしても誰も信じてくれませんが、あの坂は、戦国時代にこの地を治めていた武将が敵軍のだまし討ちに遭い、非業の最期を遂げた場所と伝えられていて、その武将の霊が今もあの地に現れ、人を黄泉の世界に誘うと言われ、恐れられているのです」
 担当官の話を聞いて、和尚が私を呼んだわけが理解できたような気がした。交通事故などではなく、和尚は霊のようなものの攻撃を受けたのではないか、そんな気がして、担当官に聞いた。
 「川口和尚は車ではなく、何か得体の知れないものの攻撃を受けた、そうは考えられませんか?」
 担当官は一瞬、顔を引きつらせたが、すぐに真顔に戻り、
 「得体の知れないものに攻撃されるなどあり得ない話だと思います。私たちは川口さんの事故をひき逃げ事件としてこれまで同様、捜査を続けます」
 と言い切った。
 私は、担当官に幽霊坂の場所を確認し、警察署を後にした。
 一度、病院に戻った私は、慧眼和尚の容態を再確認し、一進一退の状況が続いていると医師から聞き、ある決断をして、車を病院の駐車場に置いたまま病院を出た。
 慧眼和尚の容態が交通事故によるものでなく、霊のような、得体の知れないものによるものだとしたら、和尚の容態は、おそらく一進一退のまま永遠に続くかも知れない。生きることも死ぬこともかなわず、和尚の魂は幽閉され、永遠にさ迷ってしまう。何とかしなければならない。そう考えた私は、慧眼和尚が事故に遭った場所を医師に確認し、幽霊坂へと足を運んだ。
 病院の前に停車しているタクシーに、幽霊坂をご存じですか? と聞くと、年配の運転手は「知っているよ。地元の人間なら知らんものはおらんじゃろう」と答える。
歩い て行けるかと尋ねると、とても無理だと言う。仕方なくタクシーに乗って幽霊坂に向かおうとすると、運転手が、
 「興味半分なら行かない方がいい。えらい目に遭う」
と 言う。「どうしてですか?」と尋ねると、
「噂を聞 いてこれまでいろんな人がやって来たが、ほとんどの人が大変な目に遭っている。気がおかしくなった人もいるし、病気になった人もいる。先日、和尚さんが事故に遭ったが、地元の人の間では、あれは交通事故でなく、幽霊の仕業だと噂する者が多い」
 やはり和尚の事故は、交通事故ではなかったのかも知れない。そうでなければ、私に連絡をしてくれなど頼むはずがない。
 「それでも結構です。幽霊坂までお願いします」
 私の言葉に運転手は大きく頷くと、アクセルを踏み、スピードを上げて幽霊坂へと向かった。
 「ここが幽霊坂です。一見なだらかな坂のように見えますが、結構、急坂で、特に登って下る際の向こう側がさらに急坂になっています。幽霊が出ると言われるのはこの坂を登りつめた辺りです。地元の人はこの道をほとんど一人では歩きません。車で通るか、五人以上の集団で通行します。気を付けてください」
 運転手は、坂の途中で私を降ろすと、そう言って、元来た道を戻って行った。
 距離の長い坂道をゆっくりと登り始めて、坂の異様さに初めて私は気が付いた。
 道路の周囲を深い木々が取り囲んでいる。深い森の中に作ったような坂道である。しかも、静けさが尋常ではない。午後2時の時間帯であるというのに、周辺は異様な静寂に包まれていた。鳥の声も木々のざわめきすら聞こえて来ない。
 行き交う人もなく車の往来もない。迂回道路が出来て、この道を利用する人はずいぶん減っていると、警察の担当者が語っていたことを思い出した。
なだらかなように見えた坂は、登るに従って急になり、見かけとずいぶん違うことに驚かされた。距離の長い坂道を登っている途中、一瞬だが閃光が走った。同時に空を雲が覆い、薄暗くなってしまうと途端に不穏な空気が漂い始めた。
 無意識に身体を屈め、しばらくそのままの姿勢でいると、頭の上を激しい音を立てながら、勢いよく何かが通り過ぎた。もし、身を屈めていなければ、私も慧眼和尚と同じ目に遭うところだった。そのまま、私は身じろぎもせず、蹲った姿勢でジッとしていた。
 通り過ぎたものの正体を見極めようと思ったが、顔を上げることはかなわなかった。もし、不用意に顔を上げれば何者かの攻撃を受ける、そんな予感がした。
 二度目の攻撃を受けたのは、その直後だった。身体を前屈みにして、私は蹲った姿勢を崩さず、周囲の反応を窺った。二度、三度と、波状攻撃を仕掛けてくる何者かに対して、私は敵意を持たないよう注意して、平常心を保つよう努力した。
 攻撃が止んで、しばらく待った後、私はゆっくりと顔を上げ、周囲を見渡した。
 慧眼和尚を襲い、今また私を襲った何者かの正体を私はこの地に伝えられる、だまし討ちに遭ったとされる戦国武将の霊ではないかと推測した。そうした霊は日本の各地に存在するし、これまで幾度か経験してきたことである。
 しかし、先ほど襲ってきた強烈なスピードで襲来してきた攻撃的な物体は、形のあるものとしか思えなかった。バサバサと羽の音がし、その数も単体ではなく無数のものであった。
 私がこの場所に居る限り、必ずまた襲ってくる。私を捉えるまで何度でも攻撃を繰り返すに違いない。次に襲ってきた時がその正体を見極めるチャンスだ。
 5分ほど経っただろうか。先ほどと同じ空気が流れたとみるや、激しいスピードの何かが襲来した。私は蹲り、身を屈めながらそっと携帯のカメラをオンした。
 二度、三度、ゆさぶり攻撃をかけてきた何者かは、再び姿を消した。私は間隙を縫ってすぐさま携帯のカメラに映る映像を凝視した。
 「コウモリ――!?」
 無数のコウモリ、それも大型のコウモリの大群が私の頭上を通過していた。
 コウモリの翼は、鳥類のものと構造が違い、伸縮性のある膜でできている。指の間から後ろ足の足首まで結ばれた被膜を広げ、信じられないくらいのスピードで滑空する姿がカメラに映し出されていた。
 コウモリは超音波を用いたエコーロケーションを行い、主に3万から10万ヘルツの高周波を出すことでも知られている。その高周波がこの地に棲む武将の霊と共鳴し、モンスターの大群となって私を襲ったのではないか――。
 慧眼和尚がこの地で事故に遭ったということは、すなわち慧眼和尚が破れたことを意味する。密教の力で葬り去れなかったほどの超巨大な霊気だ。私に何ができるだろうか。しかし、和尚が私をこの地に呼んだということは、和尚が私の中の何かに可能性を見出したはずだ。どちらにしてもこのまま放っておけば、和尚は永久に現世と霊界の狭間に囚われ、生きることも死ぬことも叶わない身になってしまう。
 だが、モンスターのように超巨大化した霊に非力な私が立ち向かって、果たして勝機はあるのか、いや、どう考えても勝機などなかった。
 では、どうすればよいのか。次の攻撃が多分、私に与えられた最期のチャンスだろう。ここで何かアクションを起こさなければ、私も和尚と同じ身になってしまう。
 和尚が私に期待したもの、それは何か、ということを今一度考えてみた。思い付くことは、和尚のような霊と戦えるような力がないということだけしかない。非力であることが武器なのか。つまりそれは、霊と戦わない、いや、戦えない存在であるということが言える。
 力で勝とうと思っても無理な話だ。だったらどうすればいいのか。無になることが必要になる。勝てない戦いであれば、負けるが勝ちという方法もある。
 好奇心を抱いてこの地にやって来る者のほとんどが霊に襲われ、悲惨な目に遭っている。この地にいる霊は、自分たちの存在に興味や関心を持つ者に対して容赦なく襲いかかる。反面、無関心で好奇心のない者には多分、被害を与えていないはずだ。そこに突破口があるのでは、と私は考えた。
 私はこの地で何をしようとしているのか、霊を退治しようとしているのか、いや、そうではない。一介の編集長でしかない私にそんな大それたことなどできるはずがない。私は慧眼和尚を助けたいだけだ。そのためにここへやって来た。
 対話だ。対話をしてわかってもらうのだ。慧眼和尚を救い出すにはその方法しかない。
 では、どうやって対話をするというのだ――。
 再び不穏な空気が流れ始めた。私は意を決して立ち上がり、天に向かって両腕を掲げた。大型コウモリの大群が激しいスピードで私に向かってくる。想像以上の数だ。しかし、死を覚悟して臨むと恐怖心はなくなってしまう。無になること、すなわちそれは自分というものの存在を捨て、死を覚悟することに他ならない。弱者は弱者らしく、自らの弱さを露呈し、戦う意志などないことを明確にし、成り行きに身を任せる。そうすることによってしか、モンスターのような霊と対話する術がなかった。また、慧眼和尚を救うにはこの方法しかないように思えた。
 凄いスピードで近づいてくるコウモリたちの表情が戦国武士たちの表情とダブって見える。私は無の境地に立って、自分に襲いかかって来るコウモリの大群に対している。おそらく私は次の瞬間、命を失っているだろう。そんな中で一つだけ、私は無の境地の奥底で願い事をしていた。慧眼和尚を現世に戻してほしいということだ。
 モンスターのような霊に、たとえどのような方法を講じても勝てるはずがない。だったら共生することだ。お互いにその存在を認め、その領域を冒さない。それが鉄則だ。
 マッハのスピードで飛び込んでくるコウモリの群れが私を襲う。だが、それは一瞬の出来事で、次の瞬間、コウモリたちは、私をすり抜けて遠くへ飛び立っていた。
 助かったのか――。
 なぜ、私は見逃されたのだろうか? この地には、戦国時代に騙された武将の怨念がこもっていると聞かされた。怨念、その根源にあるのは怒りだ。怒りのマグマが暴発して戦国武将の霊が人を襲う。対象となるのは、前述したように、霊に興味や好奇心を抱いてこの地にやって来る者は、霊の怒りの対象となる。慧眼和尚も同様に、霊に戦いを挑んで霊の激しい怒りを買い、死ぬことも生きることも叶わない世界に閉じ込められてしまった。
 この地に必要なことは、霊たちとの共生だ。その存在を認め、その領域を冒さない。その意識が必要となって来る。
 霊にもさまざまな形がある。和尚の霊力によって抑え付けられる霊もおれば、また違った形で抑えられる霊もある。だが、場所によって共生を軸に考えなければならない霊もある。それがこの地の霊だ。
 私は坂道を歩くことを止め、迂回道路まで出た。そこまで行けばタクシーが捕まえられる。急いで病院に向かわねば――。
 タクシーを停めると、先ほどの運転手の車だった。運転手は驚いた表情で私を見て言った。
 「これは驚いた。無事でしたね」
 私はそれには答えず、病院へ向かうよう運転手に指示をした。
 「お客さんのような人は初めてです。この土地の人は先祖伝来、あの場所を通る時はほうっかむりをして言葉を発さず、集団でというのが言い伝えとして残っていますが、お客さんのように、一人で行って無事帰って来れたなんて人は今まで見たことがありません」
 運転手はいかにも感心したように言い、病院に向かった。
 病院に到着して代金を支払おうとすると、運転手は、
 「私からのサービスです。どんな方法を講じたか知りませんが、幽霊坂へ調査に行って、帰還するなんて信じられない。そんな人から金を受け取ることなんてできません」
 と言って、私を車から降ろした。
 急いで集中治療室に向かうと、治療室のランプが消えていた。慧眼和尚の身に何かが起こったのでは、と考えた私は、もしかしたら――と、焦る気持ちを抑えて看護師に聞いた。
 「川口慧眼と言う者が集中治療室で治療を受けていたのですが、どうなったか、ご存じありませんか?」
 看護師は、「詰所で確認します」と言って足早に詰所へ向かった。その後を追いかけ、詰所に着くと、担当の看護師がいて、答えてくれた。
 「川口さんなら五階の15号室に移られましたよ」
 「15号室? どうしてですか?」
 「集中治療室で治療を行う必要がなくなったからです」
 「必要がなくなった?」
 「そうです。エレベータで五階まで行って、15号室は五階のちょうど中央に当たります」
 それだけ言うと、看護師は忙しいのか、いそいそとその場を立ち去った。
幽霊坂へ向かう前、慧眼和尚は生死の境にいた。それがわずかな時間で一般病棟に移されるなんて一体何があったのか。それを聞こうと思ったのだが、多忙な看護師を前にして聞くことはできなかった。私は急いでエレベータに乗り、五階に向かった。15号室は、看護師の言った通り、ちょうど五階の中央にあった。四人部屋になっている。ドアを開けて入ろうとすると、出会いがしらに看護師にぶつかってしまった。
 「すみません」
 謝ろうとすると、看護師は涙をハンカチで拭きながら、首を振って去っていく。その姿を見て、私は一瞬ドキッとした。慧眼和尚は亡くなったのではないか、その時、そう思った。
 四人部屋の一番奥の窓際が慧眼和尚のベッドになっていた。急いでその場所に向かうと、慧眼和尚のベッドが空になっていて誰もいない。カーテンを閉め切った隣の部屋からすすり泣きが聞こえる。
 「ようやく一般病棟に戻ったというのに、こんなことになって」
 思わず私はカーテンを開け、叫んでいた。
 「慧眼和尚!」
 三人の女性がベッドを囲んで泣いている。驚いて私を見るが、私は構わずベッドを覆っている上布団を剥がす――。そこで眠るようにして亡くなっていたのは慧眼和尚とは似ても似つかない若い女性だった。
 「失礼しました」
 平謝りに謝って、逃げるようにその場を離れた私は、空っぽの慧眼和尚をもう一度確認して、周囲を見渡した。
 「やあ、編集長、よく来てくれたね」
 部屋の中をウロウロしている私に声をかけてきたのは、ドアを開けて入って来た、普段と変わらないスタイルの慧眼和尚だった。
 「慧眼和尚! 大丈夫なんですか? 生死の境をさ迷っていた人間がフラフラ歩き回って――」
 慧眼和尚は満面に笑顔を浮かべて、
 「編集長のおかげで無事に現世に戻ることができた。でも、どうやってわしを助けてくれたんだ?」
 「戦うことばかり考えている和尚にはわからない、私だけの秘術です。でも、助かって本当によかった」
 慧眼和尚には、霊との共生など考えられないことだろう。私だって、今、こうやって命があることが信じられないぐらいだから
 慧眼和尚は翌日、病院を退院することができた。私と別れたその日のうちに慧眼和尚は再び放浪の旅に出た。慧眼和尚の旅は、霊との戦いの旅でもあった。
〈了〉

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