ある夜、亡者の行進をみた
高瀬 甚太
――山崎が交通事故で亡くなった!?
私の元に訃報が届いたのは十月の半ばのことだった。事故の前日、その彼が私に電話をかけてきた。
一昨日の正午過ぎのことだ。電話に出ると、「おれだけど、今、大丈夫?」と聞き慣れた声がした。山崎だということがすぐにわかった。彼の声は妙にかすれていて、イントネーションに特徴があった。
――大丈夫だけど、どうしたの?
滅多に電話などかけて来ない男だったので、気になって聞いてみた。
――相談したいことがあったんだけど……。
言いかけて口ごもるので、
――電話では話せないことか?
と聞いた。すると彼は、
――できれば会って話したい。
という。
――じゃあ、今週の土曜日はどうだ。その日なら大丈夫だ。
――そうだな……。その日ならおれも大丈夫だ。梅田の例の喫茶店で11時、たまには昼飯でも一緒に食べようや。もちろんおれの奢りだ。
気前よく言って電話が切れた。
それが彼の亡くなる前日のことだった。
事故の訃報を聞いて、すぐに山崎の家に駆けつけた。彼の家は兵庫県の西宮市、北側の土地に家があった。建売住宅の並ぶ静かな土地だ。以前にも一度か二度、訪ねたことがあったので迷う心配はなかった。JR神戸線のY駅を降りて少し歩かなければならなかったが、それほど遠い距離ではなくすぐに山崎の家が見つかった。
家の前に通夜を知らせる弔い提灯が飾られ、玄関入り口に無人の机が置かれていた。そこで記帳すると、山崎の奥さんに挨拶をし、香典をお渡しした。
「ご愁傷様です。このたびは突然のことで――」
型どおりの挨拶をして、祭壇の山崎の遺影に向かって焼香をした。しかし、どうしても彼が亡くなったということが実感として湧いて来なかった。それは私だけでなく、当日列席したすべての人がそうだったのかも知れない。誰もが山崎の突然の早すぎる死に戸惑っているように見えた。つい昨日まで元気に話していた男が今はもうこの世にいないのだ。信じられるはずがなかった。
祭壇の遺影は生前の彼そのままに明るく、陽気な笑顔の写真が飾られていて、それが弔問に訪れた人の涙を誘うのだろう、そこかしこですすり泣きの音が聞こえた。
翌日の葬儀にも出席した。焼き場にも同行し、骨になった彼を見た時、ようやく彼の死の実感が湧いた。
私と山崎は高校時代の同級生で、進学した大学こそ違ったが、ずっと仲のいい友人として付き合ってきた。大学を卒業して私は中堅どころの出版社に勤務するようになったが、山崎は父親の経営する会計事務所に就職をした。
公認会計士として名を馳せる山崎の父親は、息子に自分と同じ道を歩むよう薦め、彼もまた父親の仕事を継ぐことをすでに学生時代に決心していた。大学時代には、会計士の試験に合格することはできなかったが、卒業して三年目に彼は公認会計士の資格を取得した。
父親の後継者として自他共に認められた彼は、三十歳になってすぐの年に結婚、一男二女をもうけ、順風満帆の人生を送っていた。
私が気になっていたのは、事故に遭う前日、私の元へかけてきた電話のことだった。山崎は私に何を相談しようとしていたのか。
通夜、葬儀の際、私は彼の妻に、彼は何か悩んでいましたか、とそれとなく聞いてみたが、夫の死で気が動転していた妻は、心当たりがないと首を振り、そのことを繰り返し言うばかりで要領を得なかった。
家庭不和を悩んでいるふうにもみえなかったし、仕事の悩みで悩んでいるようにもみえなかったと山崎の親しい友人たちは異口同音に語った。健康の問題でもなく、負債を抱えているわけでもなく、金銭に悩んでいるわけでもなかったともいった。とすれば他に何があったのだろうか。
翌日、彼の事務所に電話をかけて尋ねてみた。
だが、事務所の人たちは彼について多くを語らなかった。知らないのか、知っていて話さないのか、その辺りは微妙だったが、不倫をしていたのでは、と問うと、全員が笑った。そういうタイプではないと誰もが断言した。
では、彼は私に何を相談したかったのだろうか。ますますわからなくなった。
山崎の死から一週間が経った日、私は彼の冥福を祈って山崎を知る友人たちと共に「山崎を偲ぶ会」を開いた。
JR天満駅の近くにある小さな居酒屋の個室に八人が集まった。高校時代の仲間、大学時代の仲間に交じって、一人だけ私の知らない出席者がいた。
予定では七人のはずだったが、幹事を務めた佐伯の元にどうしても出席したいと佐伯の知らない女性から連絡があり、総勢八人になったという。
幹事の佐伯が出席者それぞれを紹介し、一人一人、指名された者が山崎の思い出を語る。そういう趣向で会が進行した。
七番目に指名された私は、高校時代の山崎とのエピソードを話し、いかにも山崎らしいと喝采を受けた。高校時代の山崎は、人が良いのとやさしいのだけが取り柄の男で、そのため損ばかりしていた。先輩からカンボジア難民に寄附したいから協力してくれと頼まれ、彼はその月の小遣いすべてと貯金を寄附したことがあった。だが、後でその企画は先輩たちが遊興費ほしさに計画したものとわかり、学内で大きな問題となったことがあったが、その時も山崎は自分を騙した先輩たちをかばい、周囲をあきれさせた。人を信じるという点については山崎ほど純粋な奴はいなかった。それが私の追悼話の主だった。
八番目に指定されたのが突然、参加を申し込んできた女性で、七人の誰もがその女性を知っておらず、幹事の佐伯は名前すらはっきりと把握していなかった。
年齢は三十代半ばといったところか、女性は顔立ちもスタイルも平均点を遙かに超える美しさを備えていた。長い黒髪を肩に垂らし、小さな唇を震わせるようにして山崎とのエピソードを語り始めた。
――森しずかと申します。私と山崎さんの出会いは三年前のクリスマスの日に遡ります。その日、私は朝から体調が悪く、微熱が続いていましたが、どうしても出席しなければならない会議があり、出勤を急いでいました。
ところが、その途中、激しいめまいがし、駅を出たところで倒れてしまいました。気が付くと病院のベッドに横たわっており、看護士に誰が助けてくれたのかを尋ねると、名前は名乗らなかったけれど、一人の中年男性だと申しました。
風邪と貧血症状で、二、三日入院が必要となり、退院した後、私は自分を助けてくれた男性を捜しました。もし、あの時、倒れた私を即座に病院へ運んでいなければ命が危うかったと医師に言われました。風邪はともかく、貧血症状が不良性のもので、そのままにしておくと脳がおかしくなっていたと言われるほどひどいものだったようです。
しかし、男性を見つけることはできませんでした。中年男性でメガネをかけていて、少し小太りのやさしい顔をした人だったというだけでは雲を掴むような話です。
ようやくその男性にお会い出来たのは、それから一カ月後のことです。私は商事会社で経理課長を務めているのですが、その職場に、高齢の父に代わって担当させていただきますのでよろしくお願いします、と公認会計士の方が挨拶に来られました。
その時、その方が私を見て、驚いたような顔をしたのです。
どうしたのですか、と尋ねると、その公認会計士は、「一カ月前、駅の近くで倒れられませんでしたか」、と言うのです。「ええ……、そうですが」と応えると、その方は、とても嬉しそうな顔をして、「よかった。元気になられたんですね。実は倒れ方がひどかったので、心配していました」と言って顔をほころばせました。それで、その方が私を助けてくれた方であるということがわかりました。
それが山崎さんとの出会いでした。以後、私は山崎さんと親しくお付き合いをさせていただくようになりました。もちろん、親しい友人としてですが……。
一年前、私は上司の薦めで見合いをしました。キャリアウーマンとして働き続ける私を心配した上司が、いい人がいるといって見合いを設定してくださったのですが、相手の方は大学の准教授で私より三歳上の方でした。見合いをしてしばらくしてその方に結婚を申し込まれ、どうしようかと思い悩んだ末に、私は山崎さんに相談しました。
山崎さんは親身になって相談に乗ってくれ、私は結婚を承諾することを決心しました。ところが、翌日、上司に結婚を承諾する旨の返事を伝えようとしたところ、山崎さんが突然現れ、「結婚するのをやめてほしい」と言うのです。なぜなのか、と問うと、彼は「僕と結婚してほしい」と言うのです。山崎さんはれっきとした妻帯者です。奥さんも子どももいます。そんな方がどうしてそんなふうなことを言うのか、私には俄に理解出来ませんでした。
すると彼は、「妻とは離婚します。僕はあなたと一緒になりたい」と……。
結局、私は見合いの方と結婚することはやめました。上司には叱られましたが、とてもそんな気持ちにはなれなかったのです。私はいつの間にか、山崎さんを愛していたのだと思います。
不倫を承知で私は山崎さんと付き合うことになりました。彼は誠実で真面目な人でしたから、奥さんに別れを切り出すのにずいぶん苦労したようでした。
奥さんは離婚を承諾しませんでした。子どもたちのことを考えてほしいと強く言われ、それが山崎さんを苦しめました。彼は子どもたちのことをとても愛していましたから。
今年になって少し変化が現れ、頑なだった奥さんの気持ちが揺らいだのは、上の子どもが大学に入学し、下の子どももそれぞれ高校、中学に入るなど落ち着きを取り戻したことが大きかったと思います。
奥さんが正式に離婚を承諾したのはこの夏のことです。
私たちは結婚を約束しました。それまで彼の周りでも私の周りでも、私たちが付き合っていると思った人は一人もいなかったと思います。実際、私たちの交際はお茶を飲んだり、話したりする程度のものでしたから、誰も気付かなくて当然だったと思います。
十月の終わり近くに正式に離婚し、十一月半ばから一緒に暮らそうと、彼は私に約束しました。でも、一つだけ障害が起きました。彼の父親が離婚に反対したのです。
彼の妻は父親の友人の娘でした。それまで父親は離婚をするなどつゆほども知らされていなかったようで、それも今回の離婚に怒りを降り注ぐ一つの原因になりました。
父親は、離婚をするなら公認会計士として自分の跡は継がせないと言い、元に戻るよう彼に強要しました。
私と結婚することは、彼の仕事を奪い、彼を父親からも奪い、孤立させることだと知りました。それで私は彼に言いました。この結婚はご破算にしましょうと……。
幸い、周囲はこの騒動に誰も気付いていませんでした。奥さんも元の鞘に戻るのに何の障害もないと彼に言ったようです。
もう少し若かったら、と私は彼に言いました。もう少し若かったらお互いに何もかも捨てて二人だけの生活を考えられた。でも、この年になるとそうはいかない。そのことを彼に伝えました。
彼は、友人に相談をして結論を出すからそれまで待ってほしいと私に言いました。亡くなったのはその翌日です――
森しずかの話が終わって、場は言葉を失い急に鎮まった。森しずかが退席したのはそのすぐ後だった。彼女が去った後、それを追うようにして私も彼女の後を追った。
居酒屋を出ると飲食店が立ち並ぶ路地が続いていた。駅に向かう路地を歩く彼女の後ろ姿が見えたので私は急いでその後を追いかけた。
しかし、途中で見失った。路地の先には人通りの多い商店街があった。その人混みの中に紛れたのだろうと、追うのをあきらめ、所在なく商店街の人の流れに従った。
その流れの中に身を委ねている途中、午後11時を過ぎた商店街がなぜ、こんなに人が多いのか、ふと気になった。
ザワザワとした雰囲気の中、よく見れば、店はすべて扉を閉じている。一軒の店も開いてはいない。それなのにこの人混みは何だ。人の流れから身を引き離し、脇に退いた。
人の流れは相変わらず果てしなく続いていた。だが、よく見ると歩行する人の表情が乏しい。しかも話し声が一切聞こえない。
しばらくその流れを見続けていた。すると、その流れの中に見知った顔を見つけた。
山崎だ。事故に遭って亡くなったはずの山崎が歩いている。しかもその側に先程まで偲ぶ会にいた森しずかがいた。見間違いだと思い、目をしっかりと見開いて確認をした。やはり山崎と森しずかだった。
「山崎!」
大声で呼んでみた。だが、彼は私の存在に気が付かない。もう一度、さらに大きな声で呼んでみた。だが、やはり気付いてくれなかった。
そのうち私はおかしなことに気が付いた。商店街を絶えず流れて行く人たち、その足音がまるでしないのだ。静まりかえった商店街を淡々と流れていく人の列……。
それが死者の行進だとわかるまで少し時間を要した。
行進は延々と続き、やがて私は倒れるようにしてその場に蹲った。
気が付いたら目の前には誰もいなかった。人通りの途絶えたいつもの深夜の商店街があるだけだ。
夢を見ていたような、そんな錯覚を覚えて、頭を二、三度振って目を覚ますそうとした。だが、あの行進は夢でも幻でもなかった。その確信が私にはあった。
霊媒師の友人にそのことを話した。言下に否定されるか、笑われるかと思ったが、そうはならなかった。
「亡者の行進はまれにあるようだ。おれは見たことがないがね。それに遭遇することは極めて難しいし、まず、人の一生で遭遇することなどないだろう。多分、きみは死者に誘われたのだと思う。そうでなければ普通の人間が目撃することなどあり得ない」
霊媒師の友人の話を聞いて、死の前日、山崎が私に相談したいと電話をかけてきた時のことを思い出した。
山崎が相談したかったのは、森しずかのことだったのだろう。一緒になるか、離れるか、彼の中に迷いがあって相談したかったのか、それとも予め答えを決めていて、それを私に聞いて欲しかったのか、いずれにしても、今日、森しずかの話を聞いてそのことだと確信した。
しかし、不思議だったことは、亡者の行進に森しずかがいたことだ。生きている人間が亡者の行進に参加出来るものかどうか、霊媒師の友人に確かめてみた。
彼は否定した。時には私のように亡者の行進と知らず迷い込む者もたまにはいるが、死者と並んで歩くなど、間違ってもない、そう強く否定した。
私が森しずかの死を知ったのは、翌日のことだ。その日のニュースで、女性が電車と接触して電車に轢かれたと、テレビのニュースが伝えていた。女性は、ホームから転落しようとした酔っぱらいの老人を助けようとして電車に轢かれたという。何気なく見ていると、女性の名前がテロップに出た。
テロップには、森しずか三四歳、商社勤務と書かれてあった。
森しずか……。山崎の彼女だ。年齢も勤務先も、山崎の彼女に間違いない。だが、事故は昨日の夕方に起きている。彼女は、昨日の夜、私たちの偲ぶ会に参加して山崎を偲んで語った。私だけではない。七人の友人たちも共にその話を聞いている。
森しずかがその日の夕方、事故で命を失っているのであれば、あれは一体何だったのだろう。
困惑した面持ちで幹事を務めた佐伯に電話をした。
「テレビのニュースを見たかい?」
佐伯は「何のニュースだ」と尋ねた。
「決まっているじゃないか。人を助けようとして電車事故に遭った女性、森しずかさんのことだよ」
すると佐伯は、「それがどうかしたのか?」と聞く。
「森しずかといえば、昨日、山崎を偲ぶ会に参加して話してくれた女性じゃないか」
私が言うと、彼は、「昨日の偲ぶ会は男だけだっただろ。女性なんかいなかったぞ」と言い、「夢でも見ていたんじゃないか?」と言って電話を切った。
どこかで私は違う世界に紛れ込んでしまったのだろうか。それとも、私に相談しようと思いながら亡くなった彼の魂が私を呼び寄せたのか、不可思議な思いに駆られながら昨日の夜のことを静かに思い返していた。
〈了〉
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