座敷童が棲む家(前編)
高瀬甚太
同業者との付き合いこそ少ないが、デザイナーやライターたちとの付き合いは多かった。表紙の作成や本誌のレイアウト、データ作成、取材など、私の仕事はありとあらゆる分野で彼らの力を必要としている。そのため、時によっては彼らを一同に集めて慰労する必要があった。
経済的に窮乏している私は、そんな時、できるだけ安手の店を選ぶ。天神橋筋五丁目に近い居酒屋『隠れ里』は、私が重宝しているそんな店の一つだった。
この店は呑み放題、食べ放題が主流で、食べ放題が二五〇〇円、呑み放題が付いて三五〇〇円というリーズナブルな店だ。居酒屋メニューが中心だが、味も悪くはなかったし、メニューの数も多かった。数人を従えて呑みに行く時は予算がはっきりしているのでありがたかった。
九月の末の雨が降り続いた日の夜のことだ。新刊の完成を祝って、ライターの吉本幸助、カメラマンの矢口良一、デザイナーの下村安江、データ作りを担当した柳瀬孝子の四人を引き連れて『隠れ里』に行った。
天神橋筋商店街から一筋入った少し奥まった場所に『隠れ里』がある。暖簾がないから見つけにくく、下手をすれば行き過ぎてしまうが、よく見ると入口に筆文字で書かれた店名の看板が飾られてある。店名にふさわしく目立った感じはないが、素朴な入口の構えに対して、店の中は明るくて広々としていた。テーブル席が11席、座敷が三つほどあり、店内はすでに満席に近い状態だった。
「いらっしゃい。まいど!」
店主の橋本がカウンターの中にいて、鉢巻と法被姿で迎えてくれた。
「五人で食べ呑み放題、お願いします」
「あいよ!」
橋本の威勢の良さがこの店の人気の一つでもあった。若い女店員に案内されて座敷に通された。制限時間は2時間半、その時間内なら食べ放題、飲み放題が一定料金で可能だ。待ちきれないのか、早速、吉本と矢口は女店員に飲み物と料理を注文し、下村と柳瀬も追随した。
「編集長、いつもありがとうございます」
乾杯を終え、食事が開始されたのを見計らって店主の橋本がやって来た。
それほど上得意客でもない自分のところに橋本が来たので私は少し驚いた。
「こちらこそいつもありがとうございます」
ビール一杯で顔が赤くなるほど酒に弱い私は平身低頭しながら答えた。すると、橋本が私に近づき深刻な顔をして言った。
「実は折り入って編集長にご相談したいことがありますねんけど――」
「相談……?」
思わず聞き直した。
「宴会中に申し訳おまへんな。ちょっとよろしいでっか?」
五十代後半と思われる橋本はすでに髪の毛を失っている。つるつるの頭に鉢巻をした橋本の顔は、太い眉、大きな鼻と併せて少々いかつい感じがする。そんな橋本から折り入って相談があると聞かされて戸惑った。
「どんなことでしょう。私に応えられることだといいのですが……」
「実はでんな……」
橋本は店の様子を気にしながら話し始めた。
「この店の隣のことでっけど、どないしたわけかいつも三カ月か半年ほどで店を閉めてしまいまんのや。ついこの間までスナックで、その前はイタリア料理、その前は寿司屋……といった感じで長続きしませんのや」
「そういえばそうですね。でも、それは単純に売り上げが悪くて店をたたまなくてはいけなくなっただけじゃないんですか」
「私も最初はそう思ったんですわ。ただ、それにしてはあまりにも頻繁すぎますねん。私がこの店を開業してからでも十数店以上を数えまっからね。ちょっと異常やないかと思うたんで、先日、スナックが店を閉める時、経営者に尋ねてみたんですわ。すると、その経営者、妙なことを言いまんのや」
「妙なことと言いますと?」
「ここには何かがいる。とてもこんなところで店をやっていけない、そう言うんですわ。何かってなんですの? と聞いても、経営者は、言ってもとうてい信じてもらえへん、と言うて青い顔をしてそのまま黙ってしまいまんのや。気になった私は、歴代のこの店の経営者たちを訪ねてみようと思いましたんや。スナックの前のイタリア料理の店は多田という方で、当時、多少付き合いがおましたさかい、電話をしてみたんですわ。すると、電話が不通になっていて通じまへん。番号を変えたのかなと思って、たまたま多田はんの住所を聞いていましたので家を訪ねてみました。ところが彼はすでに亡くなっていましたんですわ。店をたたんでしばらくして病気になって半年ほど闘病した後、亡くなったと奥さんは言ってました。どないな病気でっか? と聞いても、はっきり言ってくれまへん。それで帰りがけに近所の人にそれとのう聞いてみましたんや。すると、多田は精神状態が尋常ではなくなって、精神病院で治療を受けていたと近所の人が言いますねん。治療を受けて半年後、ビルの屋上から飛び降りたと聞いた時はほんま、ショックでしたわ」
「その前の経営者はどうでした。消息がわかりましたか?」
「ええ、わかりました。区役所に友人がいますので理由を言うて調べてもらいました。不思議なことにイタリア料理の彼と同様、わかっただけでもほとんどの人が精神を錯乱させて自殺をしていました。おかしいなと思いましたわ。先日、閉店したスナックの経営者のことも心配になったんで電話をしましたがつながりまへん。たまたま家の電話番号を知っていたんで連絡をしたところ、奥さんが出て、主人は入院していると……、これはきっと何かあるぞ、そう思って、編集長が来られたら相談してみようと思っていたところにちょうどうまいこと来やはったんで――」
橋本の話を聞いて、これは尋常ではないと直感した。だが、私に何ができるわけでもない。単なる出版社の編集長にすぎない私に橋本の依頼に応えてやるだけの力はない。橋本は勘違いをしている。そう思った私は橋本に言った。
「なぜ、私に相談を? 警察に相談された方がいいと思いますが」
橋本は大きく首を振って、
「警察に話しても取り合ってくれまへん。笑われるのが落ちですわ。誰に話しても真剣に考えてくれる人などおりまへん。井森編集長ならその点、真剣に相談に乗ってくれる、そないお聴きしましたので」
確かにこれまで私は不可思議な事件に数多く遭遇し、そのたびに人の助けを得て解決してきた経緯がある。好奇心が人一倍強い私は、いつも好奇心の赴くまま事件に巻き込まれ、断り切れない状況に陥ってしまうことが多かった。今回もその類だ。一度話を聞いてしまうともう後には戻れない。
「編集長、その代わりと言うては何でっけど、今日のお勘定、サービスしておきますさかい」
橋本の申し出をありがたく拝聴しながらも、それは困ると思った私は帰りにレジで橋本に代金を渡した。だが、橋本は固辞して受け取らなかった。堂々巡りのあげく、私は体よく追い出されてしまった。
店を出た私は、彼らを連れてそのまま喫茶店に入ることにした。橋本から相談された内容を彼らに話し、意見を聞いてみようと思ったのだ。
ひと通り話すと、さすがに出版関係に携わっている連中だ。四人とも興味を示した。
「編集長、その店は今、空き家なんですよね?」
吉本が私に聞いた。
「ああ、橋本さんからはそう聞いている」
「じゃあ、その店に交代で常駐して様子を探ってみませんか」
吉本の申し出に他の三人も同意した。
「ありがとう。そうしてもらえると助かる。だが、きみたち、仕事は大丈夫か?」
私が尋ねると、矢口は、
「俺たちみんな、自由業ですから、編集長も入れて五人いたら何とかなるでしょう」
と言って三人の顔をみた。三人は矢口に同意するように首を振った。
「わかった、ありがとう。期間は二週間だ。その間に結果を出そう。ただ、昼間はいいとして、夜は一人では危険だ。何が起こるかわからない。夜だけ二人ずつ交代で詰めることにしよう」
私が提案すると誰も反対しなかった。
翌日から『隠れ家』の隣、今は空き家になっている場所に不動産会社の了解を得て詰めることになった。不動産会社には『隠れ家』の橋本が二週間の約束で交渉してくれた。初日の当番は矢口だった。午前10時から18時まで、その後は私と吉本が詰めることになっていた。
18時ちょうどに矢口と交代した。吉本からは仕事の都合で1時間ほど遅れると連絡があった。
「どうだった。何も変わったことはなかったか?」
矢口に尋ねると、矢口は暇を持て余した様子で、
「退屈で仕方がありませんでした。少しは何かあった方が退屈せずに済んだのですが」
と言って笑った。
店内はカウンターに15席の止まり木、カウンターの中が厨房兼休憩所のようになっていて、奥にトイレと倉庫があった。一応、二階建ての家屋だが、階段が封鎖されていて、二階へは行けないようになっている。
スナックの店主はろくに後片付けもしないでこの店を飛び出したようだ。店内は開業していた時のままで、ウイスキーやワインなどの酒類、グラス、食器類、冷蔵庫など、すぐにも店が開店できるような状態のまま放置されていた。
矢口は、退屈のあまり、放置していたウイスキーを口にしたようだ。酒臭い息を吐きながら帰って行った。
吉本が来るまで読書で時間を潰すしかなかった。しかし、1時間経っても吉本は現れなかった。携帯電話に連絡があったのは、午後8時を少し過ぎた時間帯だった。
「すみません。打ち合わせが長引いて……、もう少し遅れそうです。必ず行きますので待っていてください」
カウンターに腰をかけ、読書に熱中した。BGMがないので店内はひたすら寂とした雰囲気に包まれていた。防音がしっかりしているのだろう。外音はすべてシャットアウトされていて流れる音楽の音しか耳に入らなかった。
午後10時を過ぎた頃、店内に今までなかった音が聞こえ始めた。それでも音があまりにも小さかったため、最初は気にも留めなかった。それほどの微音だったし、かすかな音でしかなかった。
ところが30分ほど経過した頃、音の質が突然変わり、それが断続的に室内に大きく響くようになった。
「何の音だ……?」
これまで耳にしたことのない音に驚かされ、辺りを見回した。音以外、室内には変わった様子が見られない。空気がうねるような音は10分ほどして消えた。
再び静寂が戻った。やはり気のせいだったのだろうか。そう思って気を取り直し、本を開き集中しようとするができない。断続的に続いたあの音が気になって仕方がなかった。
午後11時が近づき、隣の店の橋本が顔を出した。『隠れ家』の閉店時間は午後11時半だった。
「どうですか? 変わったことおまへんか」
つるつるの坊主頭に鉢巻を巻いた橋本が心配そうに私に尋ね、「差し入れです」と言って、おにぎり三個と天ぷら、それに冷えたビール瓶とグラスを私の前に置いた。
「気のせいかも知れませんが、異様な音が聞こえました。ただ、短時間でしたし、もしかしたら私の気のせいだったかもわかりません」
「異様な音でっか。この近くで道路工事をしてますさかい、それが聞こえたん違いまっか」
「そうかも知れません。気にしすぎるとちょっとした物音にも大げさな反応をしてしまいますから」
橋本は笑った。私も笑った。その後、二、三、世間話を交わした後、橋本は、「すんまへんなあ、よろしゅう頼んます」と言って帰って行った。
おにぎりを食べ、天ぷらを平らげ、ビールを余さず飲み干しても吉本は現れなかった。私は、椅子を三つほど並べてそこに体を横たえた。新しい本の制作が始まっており、急に忙しくなっていた。体力よりも、著者との打ち合わせやスケジュール管理の問題で気苦労が先に立ち、精神的な疲労が大きかった。ウトウトし始めた12時半過ぎ、奥のトイレで激しい音が鳴った。ドンドンと戸を叩く音がする。
立ち上がってトイレに向かった。ここには私一人しかいない。トイレには誰も入っていないはずだ。しかし、戸を叩く音は止まない。
「誰か入っているのか?」
トイレのドアの前に立ち、尋ねた。すると、戸を叩く音がにわかに止んだ。
私はゆっくりと、警戒しながら電気を点け、ドアを開けた。
トイレの中には誰もいなかった。しばらくトイレの中を見回したが特に異常はなかった。ゆっくりとドアを閉めた。元の場所に戻り始めた時、再びドアを叩く激しい音が聞こえた。明らかに何かが存在する。考えるだけでも恐ろしい何かが……。
午前1時を過ぎた頃、入口のドアを叩く音が聞こえた。今度はトイレではなく玄関だった。私は思わず身構えた。
「井森さん、吉本です。遅うなりました。開けてください」
吉本だった。私は鍵を開けて吉本を中へ入れた。
「すみません。遅くなって。何か変わったことありましたか?」
吉本は疲れた顔をしていた。それに酒も入っているようだった。私は吉本に不思議な物音がしたこと、トイレのドアを叩く音が聞こえたことを話した。
「不思議な音ですか。それにトイレのドアを叩く音って、編集長、僕を脅かそうと思って言うてるんやないですか。そうはいきませんよ」
吉本は笑って本気にしない。かなりの酒を呑んでいるようだ。ろれつが回っていない。
椅子を三つ並べて、吉本をそこに寝かせた。横になると吉本はすぐにいびきを立て始めた。何のためにここへ来たのかわからない。
吉本のいびきを聞きながら本を読んでいるうちに1時間が過ぎた。時計を見ると午前2時だった。私も少し横になろうか、そう思って椅子を用意していると、突然、天井が揺れたような気がして思わず見上げた。
じっと天井を見上げるが揺れていない。私も少し疲れているようだ。そう思って椅子に体を横たえた途端、天井がドン! と鳴り、激しく揺れた。
私は、「吉本、起きろ。天井が落ちてくるぞ!」と激しく吉本を揺り動かした。
吉本は目をしょぼつかせながら目を覚ました。
「おはようございます。井森さん、どうしました?」
のんきなやつだ。吉本は青白い顔をして焦っている私を見て、他人事のように言う。
「今、天井が鳴って大きく揺れた。天井が落ちてくるかも知れない。早く起きて、いざとなればここから退散しなければならない」
切迫した私の言葉にも吉本は動じる様子がない。天井を見上げてぽかんとした顔をしている。
「別にどうもないじゃないですかぁ」
あくびをしながらのんびりした調子で言うので、思わず私は吉本を怒鳴りつけた。
「馬鹿 ! いつでも逃げられるように準備しておくんだ。ここには間違いなく何かがいる。それも人間の常識を超えた何かだ。正体がわからないだけに何が起こるかわからない」
現実味に乏しい吉本は周りを見渡して、もう一つ大きなあくびをした。
そんな吉本とは逆に私は緊張していた。ここにいる何かはかなりの大物だ。次は何が起こるのか、予想もつかない。
「井森さん、ビールもらっていいですか」
相変わらず吉本は緊迫感のかけらもない。私が遭遇した事実をまるで信じていないようだ。
「ああ、いいよ。呑み過ぎないようにしろよ」
「 大丈夫です。迎え酒です」
そう言いながら吉本が冷蔵庫を開けようとすると、冷蔵庫がドンドンと揺れ始めた。
「あれ? 井森さん。冷蔵庫がドンドン鳴って揺れてますよ。どうしたんでしょうねえ」
冷蔵庫の揺れ方とドンドンと鳴る音が半端ではなかった。不吉な予感がした私は吉本に向かって叫んだ。
「吉本、冷蔵庫を開けるな! すぐにこちらへ逃げて来い」
しかし、その時、すでに吉本は冷蔵庫のドアを開けていた。
「ワァーッ!」
冷蔵庫の中から一斉に白い球体の大群が噴き出した。その瞬間、吉本はそれにまとわりつかれ、失神状態で床に倒れ込んだ。
一斉に噴出した白い球体のようなものは、吉本を床に倒し、気絶させると、今度は私に向かってなだれ込んできた。
白い球体のように見えたものは、白い小さな人形たちだった。白い髪の毛、白い着物、白く丸い顔、数十はあると思われるその人形たちが紅い口を大きく開け、怒りの表情で私に襲いかかって来た。足がすくんで逃げ場を失った私は、思わず叫んだ。
すると、白い人形たちの動きがピタッと静止した。私は知らないうちに、悲鳴ではなくて霊を抑止する言葉を発していたようだ。自然に発したその言葉に、白い人形たちの動きが静止したことを見届けた私は、なおも心の中から湧き出る言葉を人形たちに向かって発しし続けた。
自分でも何を言っているのかわからなかった。それでも心の中で私は白い人形たちに必死になって話しかけていた。
『ここはお前たちの棲む場所ではない。私が案内するから天に還りなさい』
自分でも驚く行動だった。自分が自分でないような、何かが自分に乗り移ったような行動に、私は素直に従った。
いつの間にか白い小さな人形たちの口が閉じられ、怒りに満ちた表情が柔和な表情に変わっていた。
全部で四十二体の人形たちは私に従って後を追ってきた。入口のドアを開け、天に向かって腕を上げ、人さし指を指し示すと、四十二体の人形たちはそれに従って、雨上がりの天高く昇って行った。
翌日、私は空き家の入口で、吉本は店の中で倒れているところを発見された。『隠れ家』の主人が私たちを見つけ、救急車で病院へ運び込んでくれた。
精密検査の結果、二人とも異常のないことがわかった。半日病院にいて退院した私たちはその日の午後、橋本にお礼を言うために『隠れ家』へ向かった。
『隠れ家』の前に立った私は空き家を見て驚いた。昨日までの面影が全く見られないほど朽ち果て、今にも崩れ落ちそうなほどに崩壊寸前の状態であった。
「編集長のことが心配になってね。朝、ここへやって来ましてん。そしたら編集長と男の人が倒れていますやないか。驚いて救急車を呼んだ後、この店舗を見てもっと驚きましたわ。一晩で朽ち果てていたんですからねえ」
呆然と空き家を眺める私と吉本のそばにやって来た橋本はそう説明をした。私は昨日の晩のことをかすかに記憶していたが、吉本は何も覚えていなかった。
「橋本さん、この家屋には何かとんでもない秘密が隠されているような気がします。一度、警察に立ち会ってもらって、調べてもらうように言ってもらえませんか」
「とんでもない秘密?」
橋本は驚き、
「まあ、編集長がそない言わはるんやったら警察へ電話しまっけどな。恥かいても知りまへんで」
小首を傾げながら橋本は警察に連絡をした。
所轄の警官が二人、すぐにやって来た。橋本の代わりに私が説明をした。しかし、二人の警官は呆れた顔をして私に言った。
「そんなわけのわからない話で警察が動くわけにはいきません。この家を潰して調べるなどもってのほかです。何か確実な証拠でもあれば別ですが、あなたの夢のような話にいちいち警察が付き合うことはできません」
警官は踵を返して私たちの元を去った。私は橋本にお願いをした。
「橋本さん、この家の管理をしている不動産屋を知っていましたね。そこに連絡をして、この空き家を潰すよう、お願いしてもらえませんか。必ず何か出てきます」
「そんな潰すやなんて、とんでもない。そんなことわしには頼めまへん」
「じゃ、不動産屋を教えてください。私から頼んでみます」
橋本は渋々、私に不動産屋の連絡先を教えた。私は吉本と共に不動産屋に出向き、直談判することにした。
不動産屋は北区にあり、車で十数分の幹線道路に面した場所にあった。自社ビルを構えた立派な不動産屋で、事務所には十数人の社員がいた。
「社長はおられますか」
受付で尋ねると、アポを取っているかと聞かれた。取っていないと答えると、体よく追い出されそうになった。
「どうしたんだ?」
奥から声がして社長らしき人物が姿を現した。背の高いダンディな印象を受ける紳士だった。
「隠れ家の橋本さんにお聴きしてやってきました。二週間、調査のためにお借りした隠れ家の隣の空き家のことで、ご相談があって」
そこまで言いかけた時、社長らしき男性は、
「お客様をご案内しなさい」
と受付の女性に私たちを奥の部屋へ案内するよう指示した。
ソファとガラスのテーブル、豪奢な調度品が並ぶ応接室はこの会社の財力を誇示するかのように立派なものだった。
「私はこの会社の代表を務めている佐々木と申します。どうぞお座りください」
佐々木は私たちを対面のソファに座らせると、饒舌に語り始めた。
「あの建物は十年前、一般の家屋だったものを私どもが買い上げたものです。立地がいいものですから店舗として利用される方が多く、私たちも喜んでいたのですが、意外に長続きせず、廃業、開店が相次いで、この十年間で相当数の変遷がありました。建物に何か問題があるのではと思っていたところなんで、あなた方が調査してくれると聞いて、実は少し安心していたところです。で、調べてみてどうだったですか?」
黒一色でまとめ上げたスーツと紺色のネクタイ、オールバックの髪型、やさ男の佐々木は四十代半ばに見えた。落ち着いた物腰で私に問いかけた。
「今まで長続きしなかった原因がある程度わかったような気がします」
私はそう言って、昨夜の夜のことを佐々木に話した。佐々木は最初のうちこそ真剣な表情で聞いていたが、そのうち笑い出した。
「いやあ、四十二体の白い小さな人形ですか。まいった、まいった。きっと夢でも見られたんでしょうなあ」
「信じられないのはごもっともです。今日はそのことで社長にお願いがあって来ました。あの家屋ですが解体させていただくわけにはいきませんでしょうか?」
佐々木は驚いた顔をして私を見た後、あっさりと言い放った。
「解体は無理ですね。解体するとなると費用もかかりますし、置いておけば借りたい人も現れますからね」
「しかし、あの家屋は放っておいても近々倒壊しますよ」
「倒壊?」
「ええ、理由はわかりませんが、昨夜一晩で家屋の様子が激変しました。このままでは後一週間も持たずに倒壊すると思います」
佐々木は自信を持って言い放つ私を見つめて、しばし唖然とした顔をしていた。
〈前篇 了〉