労働のせいで失われるたくさんの時間
労働者は現代奴隷と言っても過言ではない。
奴隷制度が形を変えただけで本質的な部分は変わらない。
私達の時間はいとも安く買い叩かれ、殆どの時間を労働のために費やしている。でも、会社側としては文句を言われる筋合いはない。なぜなら、雇用契約に署名して働いているわけだから。もし、嫌なら辞めてくださいねと言わんばかり。
確かにその通り。
不平不満を言うぐらいならさっさと辞めればいいと言われてしまうだろう。
一応、職業選択の自由はあるし、嫌ならいつでも辞められる。
でも、学校教育を真に受けて育っている一般人は会社員以外の選択肢があることを知らない。知っていても手が出せない。学校じゃあ資本主義のルールなんて教えてくれない。となると必然的に学校で教わらないことは家庭で学ぶしかないわけだが、親が何も知らなければまた労働者が再生産され。その人の血筋はなかなか豊かさを手に入れることができないのだ。
私も社畜をしているから社畜の気持ちは何となく分かる。
会社に飼われていたほうが楽。
言葉を選ばずに言うとこうなる。
考えなくていい。ただ、上司や会社の言われたとおりに働いていれば安定した給料という名の餌が供給される。しっかりと餌付けされているから今更辞めることなんてできない。でも、定年過ぎたら強制的に会社から追い出される。
給料の味を覚えた社畜に今更定年後に自分でビジネスを始めたり、転職するなんてなかなか難しい。その地位に甘んじていたわけだから。いかに自分という個人が無力であるかを痛感することになる。
安定と引き換えに自由と思考能力を失う。
思考能力と言っても仕事に関しては考えていると思うが、自分の人生についての思考が疎かになる。何をしたくて、何が好きで、どう過ごしたいのか?というのを考える自分の時間が無くなることを意味する。なぜなら、他人のために大半の時間を費やしているから。
そして、自由がなけりゃ余暇の過ごし方なんてこれぽっちも分からない。
はい、仕事辞めました。
明日から何も予定がありません。
どうしますか?
何をしていいのか分からない。
当たり前だ。
普段から余暇を過ごす練習をしていなければいきなりできるはずもない。労働のせいで失われるのは時間だけじゃない。自分の人生まで仕事に奪われてしまう。大して自分の利益として返ってこない仕事のためにだ。
当ブログではいつもこう言っている。
仕事よりも私生活や趣味を大事にしよう。
職場の人間関係よりも外のつながりを大切にしよう。
あなたの会社ではないなら、仕事は程々に適当に楽してこなそう。そして、毎日定時退社してできる限り自分の時間を確保して私生活を充実させる。副業するなり、趣味に没頭するなり。
私達は働くために生きているのではなく楽しむために生きているのだから。