見出し画像

オリバーは一体なんだったのか

オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ の感想をとてもいい話のように書いてみます。

犬の役:オダギリジョー

「ずっと犬の役がやってみたかったから」
ということだそうで、主役というか、メインである警察犬シェパードのオリバーをオダギリジョーが着ぐるみで演じ、ハンドラーの人間役を池松壮亮が演じていました。※さん付けもも君付けもなし
その他、たいそう豪華なキャストによって繰り広げられるドタバタ劇。
安っぽいまとめ方ですみません。
脚本、演出はオダギリジョー。
内容は、派手目な時効警察とでも言いましょうか。
全3回という短さでしたが、毎週楽しみにしていました。

まさかの結末

先日その全3回が終わったのですが、それはそれは意外な結末で。
まだ見てない方のためにはネタバレは避けますが、一つだけ言うなら
まさかの回収なし!!
とだけ言っておきましょう。
さて、そんなドラマの中で着ぐるみを着たオダジョーは、タバコを吸い、酒を飲み、女子にセクハラまがいのことをし、人間ならク◯と言われましょう犬でした。
しかし、時々本物の犬に設定が切り替わるので、その可愛さで謎の帳尻合わせとなる。ただ、話の内容はもうぐっちゃぐちゃで、そんなことでいいのかとN◯Kさんの懐の深さというか、チャレンジ精神に驚くばかり。

そんな中からでもふと思うこと

そんなバカバカしさをフルで集めたようなこのドラマでも、私はあることを感じた。
結局3話やって、ありとあらゆる伏線を引いて、ほぼ回収せずに終わるというまさかの結末だったわけですが、考えてみればその瞬間瞬間が面白かったから、それはそれでいいんじゃないだろうか、と。
私たちはついつい、「答えとか正解」とかを求めてしまう。あとは、「成果とか効果」。果たしてそれらは本当に全てにおいて必要だろうか。
もちろん、仕事では必要な場面は多々あるでしょう。ほとんどがそうかもしれない。
でも、それ以外ではどこまでそれが必要なのだろう。
最後オチがなくても、ちょっと間違っていても、何も生み出さなくても、それはそれでいいんじゃないか。

「面白かった」

自分の感じたこと、それだけが答えじゃないのか。

日本人は型が好き

日本人は「これはこうするものである」というのが好きなような気がする。
お手本とおりにすることが誉められ、書き順を守ることが大切。
確かに美しい文字は素晴らしい、でも、本当に必要なことは何だろう。
それはやっぱり伝えること、伝わることなんじゃないのかい。
でもやっぱり文字は美しくあるべき、正しくあるべきってところに辿り着く。
文字といえば日ペンに美子ちゃんは元気だろうか。
みんな一度はやりたかったよね。
※年代注意

そう思う反面、そこが日本人のいいところだよねと思ったりもする。
でもさ、いつもいつも、正解、型に合わせていると、抜き型で大量生産したように同じ形の人間が大量にできてしまうんじゃないかな。
書き順なんてはちゃめちゃでも、書いたことがどれだけ相手に伝わるかの方が大切だと思う。
斜めでも、曲がってても、どう書いたかより、何が書かれているかの方がずっとずっと大切。

行儀良く真面目なんて出来やしなかった・・・

「行儀良く真面目だったとしても、夜の校舎の窓ガラスは割ってはいけない。」そんな歌もあったか、なかったかは置いておいて、私は意味のないことをいつも楽しめる人間でありたいなと思うのです。
訳のわからないこと、意味不明なこと、それが正しいかはどうでもよくて、自分の感覚が答え。
校舎の窓ガラスを割ってもいいかどうかが分かっていれば、大概はセーフ。

オリバーは犬だけど、どこまで行ってもオダギリジョーでしかなかった。
あ、ちゃんとオチをつけようとしてしまった。
オチはなし。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?