あぁ!懐かしき、若かりし頃の職場経験記① 豊田商事
1980年代に全国で数万人が騙され被害総額は2000億円近くと言われた金の地金などを用いた現物まがいのペーパー商法及び豊田商事会長刺殺事件で有名な豊田商事に19歳の時に10日間社員として働いた社員経験記です。
記憶を辿りながらの投稿ですので随時変更箇所があると思いますがお許し下さい。
当時新聞の三行広告に毎日のように新規営業所開設により営業新入社員大募集・18歳以上経験不問・研修有り・日当1万〜、歩合あり・月収30万以上可と掲載されているのを見つけて今の職場が体調が合わなくなり翌年の職業訓練校に入学するまでのアルバイト感覚で応募したところ直ぐに面接の連絡があり面接に行ったところ所長面接で即採用となりました。
仕事に必要なものはアタッシュケースと電卓とレポート用紙とサインペンとボールペンと言われて直ぐに買いに行きました。
豊田商事としてはなるべく早く来て欲しいとのことで今までの職場を直ぐに退職し翌週から勤務となりました。
会社には県外から来られた丸顔で背が低く髪の毛が薄い穏やかな雰囲気の所長と同じく県外から来られたメガネが金縁の狐顔の敏腕課長の元で皆さん営業をしておられ、所長は小柄で温和で敏腕課長はザ・営業マンの厳しい存在でしたが御二方のお名前は覚えておりません。
新規営業所ということもあり3日間くらい広島からカフスボタンが金のインゴットの形をした狸顔の中国地区担当部長も来ておられました。
どうやら職場的には1期生のつもりでしてが2期生だったようで10人くらいの方と1週間の研修を受けました。数日間はテレアポ担当で採用された女性の方が数人おられました。
研修期間中に100グラムの金の地金を持たせてもらいましたが見かけによらずズッシリとしており多分本物であったと思います。
会社の別室での研修は
会社について
金について
商品知識について
営業トーク
客先でのレポート用紙を使った営業テクニックを繰り返す日々で穏やかでのんびりとした日々でした。
詐欺を感じさせるところは全くなく研修中は勤務時間は9-17時でした。
研修を1週間受けたあと正式に営業部への配置となりました。
この1週間の研修は私にとっては営業の基本を勉強出来た非常に充実した内容でした。
当時の金の価格は1グラム2,400円、郵貯貯金も少し前なら10年で倍になる時代でした。
私も家に帰って母をお客に見立てた擬似練習をしてました。
豊田商事の営業スタイルは基本は当時としては先見のテレアポなのですがテレアポは別の女性スタッフ(テレフォンレディ)が別室でしておられテレアポが取れたところに訪問するというスタイルです。
勿論独自で顧客獲得をされてる方もおられました。
当時の営業所の営業部は1部屋に確か1課・2課・3課とありそれぞれに地元採用された仮の課長代理がおり、机の配置が島の配置で社員は30名はいたと思われます。
1期生にはキチンと事務机が用意されていましたが2期生は部屋の片隅に長テーブルにパイプ椅子の扱いで課に属することなく同じ時に入社した年配の方がまとめ役でした。
毎朝日本経済新聞が全社員に配られ、毎朝朝礼もありました。
当時の社員は色んな方がおられました。
年配のご夫婦での入社
銀行を辞めての入社
65歳のご老人
女性は3名でしたね。
各課の仮課長さんは課員に今日は来店何名させて欲しいとか
知りあいの人に少しでも良いから金を買ってくれないかと営業電話を頑張っておられました。
契約が決まると壁に貼られるといったまさに昭和の営業会社の雰囲気でした。
ここで大事な事を書かせていただきますが、
私が働いていた10日間の当時の社員は皆さん新規開設営業所ということもあり詐欺の会社とはわからずに働いていたと思われます。
多分その後個人の営業成績を上げるために結果として企業犯罪に加担して行ったのではないかと思われますがもしも社員7000名全員が詐欺と知っていたとしたら物凄い犯罪組織になりますが私自身は勤めていた営業所の実際の被害者や被害金額が全く存じておりません。
1週間の研修が終わり営業部に配属されて名刺も配られて(今も会社案内と共に保管してます)私の訪問営業先はテレアポ部署より指示があった2件のお客様に向かいましたが、訪問しても今は忙しいからと直ぐに断られサッサと帰りましたが、今思えば被害者を出さなかったのは良かったと思います。
営業部に正式所属してからは毎日朝9時出社の19時に退勤する感じで残業もなくタイムレコーダーなんてありません。
お客様から帰る時には必ずお客様先から電話をしろとの指導がありました。
私が会社にいる時に他の社員から電話がかかり敏腕課長に電話を繋げるとボロクソに言われ挙句の果ては帰ってくるなと言われてましたがこれも営業手法の一つでお客様が気の毒がって契約をしてくれる場合があるそうですが現場社員はそんな事はわからないので大変そうでした。
所長に電話を繋げた場合は次頑張れ、もう帰ってこいと優しい感じでした。
世間では毎日のように豊田商事の問題を取り上げる新聞記事が掲載されてましたが、中国地区担当部長はそんな記事を載せれてるのはスキャンダル好きな地方新聞ばかりだから気にするなと言ってました。
敏腕課長からの特に記憶に残った言葉としては、お客様は誰もがトップセールスマンから商品を買いたいと思っていることを忘れるなと言う言葉でした。
因みに敏腕課長は毎日のお昼のお弁当が楽しみだったようで今日は何かなと楽しみながら蓋を開ける時の表情を覚えています。
私は10日間しか在籍していなかったので会社内での友人を作ることは出来ませんでしたし、会話した社員も数人でした。
在籍8日目に所長との全社員での個別面談があり、1週間以内で成績があがらなければ辞めてほしいと厳しいことを言われたと周りの社員が言ってましたが私には所長の息子さんが私と同い歳らしく将来有望なので頑張って欲しいと励まれ終わったのを記憶してます。
その3日後に営業の大変さから私は電話で所長に退職を告げたところ決意は硬いかと聞かれ「はい、そうです」と伝えたところ了解して頂き10日間でも給与は振り込むからと言われ、後日キチンと10万円弱が振り込まれておりました。
そして私が退職してから半年足らずで豊田商事は自己破産となりました。
そして被害者の弁護士から当時の社員名簿から自宅に豊田商事に在籍されていた人に豊田商事での勤務内容を尋ねたり、給与の返還を求める可能性があるとの趣旨の内容の郵便が届きましたが私は10日間しか在職していなかったせいかその後は連絡はありませんでした。
私が豊田商事を退職してから3年後に私の職場に元社員の方が運送会社の社員として偶然に配達に来られ、私の同僚に紹介しようとしたところ、ワーワー言い出され紹介を咎められやはり過去を隠したいようでした。
それと退職した20年後にはなりますが飲み屋のスナックのママさんがいきなり自分は以前に豊田商事で事務員で働いていたことがあり営業部の人とは殆ど面識が無かったとお酒のネタとして話をされ始められたので実は私も10日間いたんだよと話しになりましたがお互いの面識はありませんでした。
あれから40年、あの時の社員さんは今は何をしておれるのかなぁと思いますが、営業の基本を学ばせて頂いた会社でした。
当時の資料(会社案内-B4版60ページ、商品案内-A4版8ページ、機関紙、日々の金相場表、セールス用レポート用紙)
名刺
<商品案内パンフ(営業所在地はボカシ)>
<会社案内一部(営業所部分10ページはカット)>