小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード3なつめとエメラルド
北条理恵は、西緑丘の自宅マンションの一室で、アマゾンミュージックでジャズステーションを選び、その音楽をバックにロイヤルミルクティーを机の傍らに置き、iPad で「なつめ」の画像を見ている。
伊藤佐和子が経営している「なつめ美容室」は、佐和子の母、洋子が創業者である。伊藤洋子は、豊中市服部西町で自宅の1階を改装して美容室を開業するにあたり、屋号をどうしようかといろいろ悩んでいた。伊藤自身の名をとり「伊藤美容室」とすることだけは避けたかった。いかにも「私がやっている美容室」と言わんばかりの屋号になってしまう。かといって英語やフランス語などのしゃれた名前にもしたくない。
そこで、洋子は、自身が好きな花の名前を屋号にしようと考えた。柔らかな印象を与え、和を感じる「ひらがな」表記になる、例えば「あやめ」「つばき」なんかどうかしら。そんなことを漠然と考えていた。できれば、自分の好きな色「緑」をイメージできる花にしたいわ。
ある朝、散歩の途中、公園に咲く「棗(なつめ)」の花が目にとまった。愛らしい星型の花を咲かせている。深い緑の葉とそこから伸びた枝から黄緑色の小さな花が控えめに咲いている。
自宅に帰って、植物図鑑で棗を調べてみると、棗はその花から実をつけ、食用や利尿効果がある生薬にもなると書いてあった。花を咲かせ、なおかつ実をつけてひとさまのお役にたっている、そんな「棗(なつめ)」のことを知り、「なつめ」の語感も気に入ったので、洋子は、美容室の屋号を「なつめ美容室」にすることにした。
北条理恵は、伊藤佐和子に「なつめ美容室」という美容室の名前の由来を尋ねてみたことがあった。佐和子は母洋子から、美容室の屋号を決めたいきさつを聞いていた。美和子はそのことをそのまま理恵に伝えていた。理恵は、帯留めのデザインのヒントになりはしないかと「なつめ」を「google」で検索してみたのである。生け花の未生流の師範である理恵ではあるが、なつめに関してそんなに詳しくは知らなかった。
「ナツメ(学名 Ziziphus jujuba) 」
クロウメモドキ科の落葉高木
和名は、夏に入って芽がでることに由来する
果実は、乾燥させたり(干しなつめ)菓子材料として食用にされ、
また、利尿作用がある生薬としても用いられる
なつめの画像を検索していると、「季節の花 300」サイトで、小さな実を付けたなつめの画像をみつけた。理恵は、この画像を少しアレンジすれば、そのままカボションエメラルドを使った帯留めのデザインになる、そう思った。理恵は、A4のコピー用紙に帯留めのレンダリングを書き始めた。
未生流の格花の師範免除を持っている理恵は、空間 、つまり帯留めのデザインに、どう枝ぶりを配置すれば、バランスが良いか十分に理解している。
「未生流いけばな」
流祖 未生斎一甫によって創始され、今日まで伝承され続ける格花と、昭和の初めに制定された新花のふたつの様式がある。格花では、現代に生きつづけている流祖の精神と花形を伝承することが望まれ、新花は、新しいいけばなの創造を目指すもの。
〜未生流 いけばな ウェブサイト より引用〜
理恵は、帯留めのデザインに没頭している。オーソドックスな帯留めに形、四角のプレートを背景になつめの枝ぶりを描いて、星型の花弁をバランスよく 配置。そのうちの二つに大きさの違うカボションエメラルドをはめ込む。枝を18金で作るとなると、背景をどうするか。黒にすると枝やエメラルドが映える。では、黒の板材をどうする。漆器、それとも、ブラックゴールドを使ってみる?
ただ、単にブラックの背景では面白くないので、四角のプレート状の漆器材料に蒔絵で花弁柄を描くか、いや、ブラックゴールドに型押し柄をつけたほうがよりシックなデザインになるかも。
理恵は、帯留めのデザインをさんざん考え抜いた結果、三つのデザイン画に絞りこんだ。そして、仁やジェム・クラフトのスタッフみんなの意見を聞いてみることにした。
北条理恵から帯留めのデザインが完成したとの報告を「Messenger 」で受け取った宝生仁は、「ジェム・クラフト」のオーナー浅見透に連絡して、スタッフミーティングの日取りを決めた。
「おはようさん、みんな朝早くから悪いね」
いつものように、約束の午前10時より15分早く、仁はジェム・クラフトの事務所のドアを開けた。
スタッフ全員が、もうそういうことを心得ているので、すでにミーティングテーブルにスタンバッテいる。
「仁さんのコーヒー淹れときました。」
北条理恵は、サーバーから前もって温めておいた仁専用のコーヒーカップにコーヒーを注いでいる。
すでに各人のテーブル前には、北条理恵が書いてきたデザイン画のカラーコピーがそれぞれ置かれている。デザイン画は、3枚。1枚に帯留めのレンダリングと、上面図と側面図が綺麗に彩色されている。
デザイン画3点のうち、2点は、ベースが「黒漆(くろうるし)」に蒔絵を施したもの、もう一つが、ブラックゴールドのベースに花柄の型押しがしてある。各ベースの上に18金で作る棗(なつめ)の枝ぶりに花とふたつのカボションカボション・エメラルドが描かれてある。
「さすが、理恵ちゃん、よくここまで考えて帯留めのデザインを考えてくれましたね」
仁は、3枚のデザイン画をテーブルに広げて、感心している。
「型押しのブラックゴールドのベースもいいけど、ここは、和で統一して、黒漆のベースがいいと思う。あと、18金の枝ぶりと花の部分は、つや消しと磨きの部分を作ってアクセントをつけたらどうかな」
ジェム・クラフトのオーナーであり、宝飾職人である浅見透は、そう提案した。
ヒカルと真一は、静かに頷いている。
「それじゃ、黒漆のベースに18金でなつめを作る方向で行こう。ペアーのカボション・エメラルドは、私がなんとか手配するが、黒漆漆器に蒔絵のほうはどうする」
仁は、理恵のほうを見て言った。
「それなら、私のほうで当てがあります」
理恵は、そういうことを前もって予測していたので、さらりと言ってのけた。
仁のほうは、帯留めのデザインを理恵にまかせた時に、カボション・エメラルドがメインストーンになると理恵から聞かされていたので、仁の知っている色石関係の業者をピックアップしていた。
それにしても、色石専門卸会社は、減ってしまったな。仁は、エメラルドのルース(石)業者を思い浮かべながらそう思った。景気の良かったバブル期には、東京御徒町周辺には、大手の色石卸会社が何社かあり、エメラルド専門卸業者も東京都内に数社あったものだ。
エメラルド、ルビー、サファイア、アレキサンドライト、キャッツアイなど高額逸品ものの製品を多く在庫に持つ卸会社も存在していて、百貨店やホテル催事に引っ張りだこだった時代もあった。
仁は、コロンビア産エメラルドで深い緑でテリがよく、しかも内包物が目立たないカボション・エメラルドをペアーで調達しなければならなかった。東京で景気の良かった過去のことを仁はあれこれ思い浮かべていた。
すると、ふと思い出した業者がある。上野にある川上商店のことだ。川上商店の専務、川上守は、干支でいうと仁からはひとまわり下で、取引先の大手宝飾卸会社の商品部で顔なじみになり、やがてお互いの商談が終わると、近くの喫茶店で情報交換するようにまでになった。
取引先主催のホテル展示会で、ふたりとも売り場の販売応援に駆り出されていたことがあり、昼食時、休憩室で配給されたお弁当を食べながら、その日の販売実績を話し合ったりして交流を深めていった。
御徒町の宝飾卸会社で知り合った当初、仁は、川上商店がどういうジュエリーを取り扱っているのかはっきり知らなかったわけだが、ホテルの展示会で、川上守からショーケースに並べてある自社の商品を見せてもらってその商品構成に驚きを覚えた。
カボションカットのルビーとサファイアにメレーダイヤモンドの取り巻きリングがマストアイテム。ルビーやサファイアのカボションカットは、スター効果があるスタールビー、スターサファイアが一般的だ。しかし、川上商店のコレクションのルビー、サファイアには、スター効果がない。しかも、その石が約8mm×15mm ほどある大ぶりだ。仁は、スター効果がないカボションサファイアで、約6mm×10mmのルースがメインストーンのメンズリングを、以前見たことがあった。
アステリズム asterism
宝石が点光源により4条ないし6条の光条を発する現象。宝石中に針条などのインクルージョンが配列的に分布するものを、正しい石取りで山高のダブルカボション・カット し、下面は、不透明の状態で良く表れる。スタールビー、スターサファイアが知られる。スター効果、星彩効果ともいう。
「ジュエリー用語事典」社団法人日本ジュエリー協会 発行 より
カボションカットで翡翠やトルコ石の大ぶりのリングは市場に出回っているが、ルビー、サファイアでは初めて見た仁は、川上商店の色石リングは面白いコレクションだと思った。もともと独創的で変わった商品に興味が湧く性格の仁だったので、それ以来、守とよく話しをするようになった。
バブルが弾けて、御徒町に本社がある老舗の大手宝石、ジュエリー輸入卸会社の業績が軒並み落ち込み、倒産、銀行主導による吸収合併が始まった時期にふたりはよく会って情報交換していた。
連鎖倒産見込み企業一覧などの怪ファックスが御徒町界隈の宝飾会社に流れるようになったのもこの時期からである。手形が不渡りになりその手形が紙切れ同然になったり、すでに手形を銀行で割り引いてもらっている場合には、それ相当の金額を補填する必要に迫られダブルパンチを食らう恐れがある。
宝生仁や川上守がよく知っている会社が倒産したり、倒産前に商品を持って夜逃げする会社もあった。まさに暗黒時代である。
川上商店は、無借金経営で、事務所や社長宅や専務であった守のマンションも支払いが済んでいた。
バブル崩壊後、ふたりいた社員に社長の知っている宝飾会社に就職を斡旋して辞めてもらい、社長、社長夫人、専務だけの家族経営にいち早く戻したのでなんとかバブル後の長い暗黒時代を乗り切ったのである。
宝生仁は2009年御徒町にあった事務所を引き払い、会社を清算し、ジェム・クラフトのオーナー浅見透からの依頼もあって、地元の大阪に戻り透の会社の手伝いをしている。
仁が大阪に戻って2年目に川上守からの年賀状に、社長が引退して隠居し、自分がその職についたと一筆添え書きがあった。
仁は、カボションカットのエメラルドをどこから調達するか思案し、ジュエリー業界の名刺や年賀状を改めて見直しているとき、川上商店の守からの年賀状が目にとまった。
そうだ、川上商店のコレクションの中に、カボションカットのルビー、サファイアリングともにカボションカットのエメラルドを使ったペンダントのシリーズがあったな。
仁は、そのカボションカットのエメラルドペンダントを思い浮かべていた。
川上商店の創業者川上勇は、色石の卸事業で儲けたお金を株や不動産に投資することを控え、色石のルースをバンコクやコロンビアのボゴタ、インドのジャイプール、または香港の業者から買い集めることに使っていた。
守から聞いていたが、色石に関しては、創業者勇が貴重な希少価値のある色石のルースコレクションを持っていた。
自社の在庫の一定量のルースを商品化してジュエリーに仕立て、そこから売れた分だけ商品を補填し、総在庫を極力増やさないようにしていた。作りもオーソドックスなものばかりで流行に左右されにくい商品に徹していた。
川上商店なら、小粒でテリがあり、しかも深みのある緑のカボションエメラルドがペアであるかもしれない。そう思った仁は、久しぶりに川上守の携帯に電話をかけた。
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