Jinsei

GIA G.G.取得後、ジュエリー業界で40年ほど働き、65歳から「好きに生きる」ことにし、そこからドラム教室に通い、月3回ほどテニス仲間とエンジョイテニスライフを楽しんでいます。

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GIA G.G.取得後、ジュエリー業界で40年ほど働き、65歳から「好きに生きる」ことにし、そこからドラム教室に通い、月3回ほどテニス仲間とエンジョイテニスライフを楽しんでいます。

最近の記事

小説:ルビーは情熱の証し エピソード3 フィアンセ元タカラジェンヌ暁彩のルビーエタニティリング

ジェムクラフトのオーナーである浅見透は、バンコクカットのメレサイズルビーのロットは、中川亜紀にアソート作業をやらせる前に、自らアソートをやっていた。 ジェムクラフトで使うメレサイズルビーの色味や表面のファセットのキズの許容範囲は、亜紀に教えている。 さらに、今回は、メレダイヤモンドとメレルビーを交互に配列させる「Pt(プラチナ)フル(全周)エタニティリング」に使うルビーのアソートである。プラチナ、ダイヤモンドの明るさを考慮して、ルビーも明るめのものを揃える必要がある。

    • 小説:ルビーは情熱の証し エピソード2 ルビーのアソート

      亜紀は、ソーティングパット、宝石用スコップ、使い慣れたルーペ、ピンセット 、無蛍光色紙を東京からもってきている。 ダイヤモンドの色味をみたり、色石のアソート用デイライトは、 ジェムクラフトにある。 亜紀は、手慣れた手つきで、ユニパックから100ピースほどのメレサイズのルビーをソーティングパットに開け全体の色味をチェック。そして、ざっくりと宝石用スコップでルビーを取り、折り畳んだ無蛍光色紙の上にのっけた。 それをデイライトに近づけ、そのロットの中にあった少し暗い色のルビー

      • 小説:ルビーは情熱の証し エピソード1色石に愛されたシンデレラ

        ここは、阪急曽根駅近くのスペシャリティーコーヒー専門店。 佐々木真一は、小さな部屋のコーヒースタンド席のドアを開け、マスターにいつものおすすめブレンドを注文。 「浮かない顔ですね、真一さん、どうされました」 「いやぁ、例のシンコペーションのフレーズが今日も一定しないでね」 真一は、愚痴をマスターに聞いたもらいたかったのだ。 「そうなんや。まぁ、熱いコーヒーでも飲んで、気分を落ち着かせましょう」 マスターいつも静かでにこやかだ。 「もうすぐ、亜紀さんが来られますよ」 中

        • 小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード6帯留めの製作

          宝生ヒカルと佐々木真一のふたりは、ジェムクラフトのミーティングルームで黙りこんでいる。テーブルには、エメラルドの帯留めのデザイン画とCAD原型、ワックス原型、四角のベースとなる黒漆器につがいのトンボを蒔絵で施したもの、カボションエメラルド、そして、マーキースカットのルビーと同じくマーキースカットのガーネットが置かれている。 トントン、ミーティングルームのドアがなった。 「ごめん、ちょっと遅れちゃたね」 北条理恵がそう言って部屋に入ってきた。 ヒカルは、帯留めのアクセン

        • 小説:ルビーは情熱の証し エピソード3 フィアンセ元タカラジェンヌ暁彩のルビーエタニティリング

        • 小説:ルビーは情熱の証し エピソード2 ルビーのアソート

        • 小説:ルビーは情熱の証し エピソード1色石に愛されたシンデレラ

        • 小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード6帯留めの製作

          小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード5おもしろエメラルド講座

          仁は、「エメラルドおもしろ講座」のシナリオのメインテーマを「エメラルドのキセキ」とし、エメラルド原石が地球の奥深くで生成し、それが、どのような環境の鉱山で採掘され、さらにエメラルドの原石が職人の手によって緻密に研磨され、緑の輝ける宝石となる過程の「軌跡」。そして、地球の奥深くで鉱物として偶然とも言える化学反応、信じがたい地中の圧力による「奇跡」によって、いわゆるエメラルドグリーンの宝石が生成される偶然にスポットを当てることにした。 エメラルドの鉱山は、どういう場所で、エメラ

          小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード5おもしろエメラルド講座

          小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード4エメラルドの調達

          「もしもし、まいど」 仁が親しい友人、仲間たちに電話するとき、必ずこのフレーズで始める。 今じゃ、携帯、スマホの電話番号を登録しているのが当たり前になっているので、着信音がなり、画面を確認することで、 電話の相手がすぐわかってしまう。 「まいど!仁さん、いつもFacebook 拝見しています。相変わらず、お元気そうですね」 川上守も仁に合わせて、「まいど」で最初の会話を受けている。 「大阪に戻ってから、奥さんやヒカルちゃんはお元気ですか? 仁さんは、念願だった地元大阪に

          小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード4エメラルドの調達

          小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード3なつめとエメラルド

          北条理恵は、西緑丘の自宅マンションの一室で、アマゾンミュージックでジャズステーションを選び、その音楽をバックにロイヤルミルクティーを机の傍らに置き、iPad で「なつめ」の画像を見ている。 伊藤佐和子が経営している「なつめ美容室」は、佐和子の母、洋子が創業者である。伊藤洋子は、豊中市服部西町で自宅の1階を改装して美容室を開業するにあたり、屋号をどうしようかといろいろ悩んでいた。伊藤自身の名をとり「伊藤美容室」とすることだけは避けたかった。いかにも「私がやっている美容室」と言

          小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード3なつめとエメラルド

          小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード2あこがれのエメラルド

          東京から28年ぶりに地元豊中市に戻ってきた宝生仁は、伊藤岳に連絡をとり、阪急曽根駅近くのスタンド割烹や焼き鳥専門店で食事をしながら、何度も、この大会の話題で盛り上がるのである。ある意味、負け試合の戦犯である岳と仁だが、過去の苦い思い出も、遠く過ぎ去ってしまえば、笑って話せることになる。 8月の終わり、岳から電話で呼び出された仁は、行きつけのスタンド割烹で 麦茶を飲みながらテーブル席で岳を待っていた。約束の時間よりいつも早く来てしまうのは、仁の常だ。午後6時、仁以外の客はいな

          小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード2あこがれのエメラルド

          小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード1物語りのはじまり

          「ちょおっとー、待ってよ、パパ。ほんとせっかちなんだから」 ヒカルは、セカンドバッグを小脇に抱え、マンションの玄関ドアーの下に足を引っ掛けてドアーが閉まるのを防いで、もうエレベーターのほうに向かって歩いてる仁に向かってそう言って呼びとめた。 ふたりが目指すのは、西梅田にあるニコンフォトサロン。ここで、仁の友人の知り合いが写真展を開催していた。ひとしきり会場の写真を見終わると、 「ほんじゃ、ヒカル、お茶にするか」 「えー、もう行っちゃうわけ。もうちょっとゆっくりしようよ

          小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード1物語りのはじまり

          小説:あなたの知らない宝石の世界 〜ヒカルとメレダイヤモンド〜

          コンコンコン だれもいない部屋から小気味いい音が響く。ヒカルは、メレダイヤモンドをアソートするため事務所に早くから出勤している。 ヒカルは、メレダイヤモンドをスコップで適量すくい、円筒型のシーブの中に入れた。シーブの底には、小さな穴のあいた円盤型のプレートがセットされていて、そこでメレダイヤモンドを篩(ふるい)にかける。 コンコンコン。ヒカルは、シーブを軽く回しながらシーブの外側をピンセットで叩いて、篩を通り抜けて下に落ちるダイヤモンドがないか確認している。 「ヒカル

          小説:あなたの知らない宝石の世界 〜ヒカルとメレダイヤモンド〜

          まとめ:合成ダイヤモンド、人工ダイヤモンドの違いについて

          2013年、10月の中頃、Rapaportがメレーダイヤモンド、ポインターに合成ダイヤモンドが混入の疑惑ありと報告、10月31日、The Times of India でインドで天然ダイヤモンドメレーに合成ダイヤモンドが半分混入したパーセルが2つ見つかったと掲載。 ポインターは、 0.3カラット以上、1カラット未満のダイヤモンドのこと。 Rapappoptは、代表が、マーチン・ラバポート氏。「ラパポート・ダイヤモンド・レポート」(RDR)を発行、ダイヤモンドの世界的な基準

          まとめ:合成ダイヤモンド、人工ダイヤモンドの違いについて

          まとめ:デビアスとダイヤモンド産業について

          まとめシリーズ。 今回は、デビアスとダイヤモンド産業について。 まず、デビアスを知るために、「デビアスの歴史とダイヤモンド産業」についてまとめてみました。 ドイツ系ユダヤ人のオッペンハイマーは、1917年、金生産のアングロ・アメリカン社を設立し、その後、コンソリデイテッド・ダイヤモンド・マインズ社(CDM)を設立し、ダイヤモンド業界に進出しました。そして、1926年のデビアス社の役員になり、1930年にはデビアス社の会長になります。このオッペンハオマーにより、ダイヤモン

          まとめ:デビアスとダイヤモンド産業について

          提言:日本のジュエリー業界は第四の波の前兆にある?

          私のあくまで私見ではあるが、 日本のジュエリー業界の歴史的背景のおいて、第一の波が以下の現象。 +++++++ 1982年(昭和57年) ダイヤモンド婚約リング取得率約70%となる。デビアスの婚約ダイヤモンドリングキャンペーンが浸透。 1989年(平成1年) 物品税が廃止になり、消費税が導入される。物品税が廃止にともない、業者証明が必要なくなり、総合商社のジュエリー業界参入、あるいは、異業種からの参入が相次ぎ、さらにバブルの勢いに乗り、おおいに業界は活気づく。しかし、一方で

          提言:日本のジュエリー業界は第四の波の前兆にある?