小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード2あこがれのエメラルド
東京から28年ぶりに地元豊中市に戻ってきた宝生仁は、伊藤岳に連絡をとり、阪急曽根駅近くのスタンド割烹や焼き鳥専門店で食事をしながら、何度も、この大会の話題で盛り上がるのである。ある意味、負け試合の戦犯である岳と仁だが、過去の苦い思い出も、遠く過ぎ去ってしまえば、笑って話せることになる。
8月の終わり、岳から電話で呼び出された仁は、行きつけのスタンド割烹で 麦茶を飲みながらテーブル席で岳を待っていた。約束の時間よりいつも早く来てしまうのは、仁の常だ。午後6時、仁以外の客はいない。店の大将と雑談をしていると、岳が汗だくになって店に入ってきた。
「おう、ここや」仁が手を挙げて岳に合図を送った。
「あっついな、ほんまに」岳は、タオル地のハンカチで額の汗を拭いながら、席にすわった。
岳はお店の大将から、冷たいおしぼりをもらい、それで顔の汗を拭った
「アー、生き返ったわ」
「とりあえず、生ビールね」
「俺は、いつものノンアルビール」
仁は、ちょっと照れくさそうに言った。
ビールと刺し盛り、やっこ、枝豆でお腹を満たしたところで、
「今日は、改まってなんの用なんや」仁が切り出した。
「そうそうそれ! 実は、佐和子と結婚して来年30年になる。結婚して、ええ時代もあったけど、バブルが弾けたり、震災があったりして苦労の連続やった。やっと、ここんとこ、お店の経営が落ち着いてきたとこや。佐和子に内緒でへそくりしてきたお金でなんか記念になるものをプレゼントしようと思ってるところや。そこで、ジンに相談や」
「ほう、そうなんか」
「それでな、景気にええときに、ふたりで百貨店の宝石売り場にいったときに、佐和子がエメラルドの指輪に興味があるらしく、じっとウインドウ越しにその指輪を見ていたことがあってな」
「ふん、ふん」仁は、枝豆をほうばって岳の話しを聞いている。
「ふたりでそのエメラルドの指輪をしばらく見てたんやけど、値段をみて、びっくりや。確か、300万ぐらいしてたかなぁ。ふたりで顔を見合わせて、やめとこ、ということになってん」
「そうかぁ、綺麗なテリで大粒のエメラルドのリングやったら、百貨店でそれぐらいの値がついているモノはある」
「自分は、大阪に戻ってきて、透のジェム・クラフトの手伝いをやってるやろ。そこで、なんとか相談に乗ってくれへんかなぁ、と思って」
「どうやら、佐和子は、緑の宝石、エメラルドに憧れているみたいや。それに、エメラルドの指輪にこだわってはないらしい。テレビショッピングでエメラルドのペンダントの販売しているシーンをみて、エメラルドって、ほんと神秘的ね、と言ったりしてた。
せやから、仁、エメラルドを使った宝飾品で、なんかオリジナルなもんを考えてほしいんや」
「なるほど、そうやったんか。せやけど、そう突然言われても、ええ考え浮かばんわ。ちょっと、考えさせてくれ」
「おぅ、わかった」
岳は、そう言って、その話しを切り上げた。あとは、阪神タイガースが毎年、8月にどういうわけか失速することに憤りを覚えるなど、話題はお決まりのタイガースネタに終始し、シメの冷やし素麺を食べ、ふたりはその夜別れた。
次の日、早速、仁は、北条理恵に会うためにジェム・クラフトに向かった。事務所でお花をいけていた理恵を見つけ、
「あっ、おはよう、理恵ちゃん。実は、なつめ美容室の伊藤さんからエメラルドを使った宝飾品のオーダーをきのうの夜、受けたんやけど、一緒に考えてくれないか。岳が、ヨメの佐和子ちゃんに内緒で、結婚30年のお祝いにプレゼントするらしい。それで、くれぐれも、佐和子ちゃんには、内密に」
「佐和子さんなら、そういえば、先日の月曜日、私の生け花教室にひとり娘の紗絵ちゃんと一緒に来られました。そのときは、来年、伊藤ご夫妻がご結婚30周年になるなんてまったく話題にも上がりませんでしたし、そんなこと、いままで聞いたことなかったです」
「そうなん?なつめ美容室の経理は、元銀行員の岳が担当していて、自分の給料から少しずつへそくりをしていて、ようやくまとまったお金ができたので、佐和子ちゃんに来年の結婚記念日にプレゼントしたいみたいや」
「岳さんのご指定がエメラルドを使った宝飾品なのですね。う〜ん、そうですね」
少し考えた理恵は、
「佐和子さん、お着物がお好きで、お教室にいつも和装でこられます。だったら、エメラルドを使った帯留めなんかどうでしょう?エメラルドは、カット石じゃなく、カボションで」
「それは、いい案だね。じゃぁ、理恵ちゃんがそのラフのデザイン画書いてみてよ」
仁は、楽しそうにそう提案した。
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