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小説:あなたの知らない宝石の世界 〜ヒカルとメレダイヤモンド〜

コンコンコン

だれもいない部屋から小気味いい音が響く。ヒカルは、メレダイヤモンドをアソートするため事務所に早くから出勤している。

ヒカルは、メレダイヤモンドをスコップで適量すくい、円筒型のシーブの中に入れた。シーブの底には、小さな穴のあいた円盤型のプレートがセットされていて、そこでメレダイヤモンドを篩(ふるい)にかける。

コンコンコン。ヒカルは、シーブを軽く回しながらシーブの外側をピンセットで叩いて、篩を通り抜けて下に落ちるダイヤモンドがないか確認している。

「ヒカルちゃん、早いね」そこに、ジェムクラフトのオーナー社長、浅見透が部屋に入ってきた。

透がちらっと事務所の壁かけ時計を見た。まだ、8時10分だ。始業時間の9時まで50分もある。

「ヒカルちゃん、今日は、一段と早いね」と浅見。新入社員のヒカルは、普段から始業前30分には出社しているのだが、今日はさらに早く出社している。

ヒカルのいま使っているピンセットは、仁からプレゼントされたチタン製のもの。軽いので、長時間作業が続いても疲れにくい。

そのピンセットの端にに輪ゴムをぐるぐる巻きつけている。シーブでダイヤモンドをふるいにかけるとき、シーブ本体を軽くまわしながら、ピンセットでシーブの外側をたたく。その時、カンカンと金属音が響く。その音は、甲高く部屋に響く。

輪ゴムをピンセットに巻くことによって、それが緩衝材になり、甲高い音がいくらか緩和される。

それを教わったのは、父の仁だ。実はヒカルは、大学時代、御徒町にあった仁の事務所で、父の仕事を手伝っていたのだ。その時に仁からシーブの扱い方について基礎から教わっている。

ヒカルは、シーブでメレダイヤをアソートしたあと、石数を数えている。ピンセットの先でダイヤを3ピースずつ33回数え、それに1ピースを加え、100ピースの山をソーティングパットに何個も作っている。大量のメレを数えるには、この数え方。少なければ、3ピースプラス2ピースで5ピース、それを2回で10ピース数え、10ピースの小さな塊をソーティングパットの上に作っていく。

根気がいる作業だが、これがメレの数え方の基本。

では、ここで簡単に「メレ」について解説。

大きさは、広義では、0.3ct未満。業者間では、0.10ct未満のダイヤモンドをメレダイヤモンドと言っている。0.10ctサイズを「テンパー」といっている。平均0.02ctサイズを「50パー」、平均0.03ctサイズを「30パー」という。パー(per)とは、ほぼ均一の重さのメレーの1カラット当たりの個数をいう業界符丁。

ちなみに、社団法人日本ジュエリー協会発行「ジュエリー用語事典」では、「通常0.1ct以下の小粒ダイヤモンド。ルビーやエメラルドなどにも、メレ・ルビーやメレ・エメラルドのように用いられる。0.1ct以上0.25ct以下の場合にも用いることがある」とある。ジュエリー業界では、 「メレー」と伸ばして発音するのが一般。

今、ヒカルがアソートしているのは、バンコク・メレだ。メレダイヤモンドの約90%は、インドメレといわれている。メレサイズの形のいいダイヤモンド原石は、バンコクのカッティング業者に供給されている。メレサイズの形のいい原石は少ない。

メレダイヤモンドの原石の良し悪しは、フルカット(ラウンドブリリアントカット)にした場合のメイク(カット)の良し悪しに直結する。

さて、専門的なお話し、これくらいにしよう。

ヒカルの数え終えたロットは、社長の浅見が甲斐貿易から仕入れたもので、すでに浅見が品質をチェックしたものだ。ダブルチェックのため、ヒカルが品質を再度チェックしている。

ヒカルは、次のロットを取り出した。今度は、そう簡単にはいかない。インド・メレのロットだ。

ヒカルは、そのメレをソーティングパットに広げ、スコップで適量をすくい、紙でできた「ダイヤモンド・カラー・グレーダー」の溝にざらっと注いだ。

ダイヤモンドのカラーグレードや色石の色調を判断する「デイライト」の光のもとにそれをかざした。

「おはようさん!」
佐々木真が元気に事務所に入ってきた。佐々木は、社長の浅見の愛弟子だ。自宅から事務所兼サロンのジェムクラフトまで自転車で通っている。日焼けした顔に白い 歯が印象的な好青年だ。

「佐々木さん、おはようございます」ヒカルも明るくあいさつした。

ヒカルは、やり始めたインドメレのアソートをひとまず置いた。
「社長、佐々木さんも来たことだし、朝のコーヒータイムにしません?近くのhonohonoさんで、美味しいパン買ってきてますから」

「そうか、そらええね」社長の浅見はうれしそうだ。

「社長の好きなブラウニー買ってありますよ」

「パン工場 honohono」は、阪急曽根駅から歩いて約5分、豊島公園から歩いて1分ほどにある小さなベーカリーショップ。地元で評判の個性的なパン屋だ。

「わたしは、カップケーキの形した[おいもソフト]、佐々木さんは、棒状の[クリームレーズン]でいいでしょ?」

「ええよ」佐々木は、軽く答えながらコーヒーメーカーに3人分のコーヒーと水をセットしている。

「ヒカルちゃん、いつも悪いね」浅見は、ニコニコ笑っている。実は、浅見は、ここのブラウニーが大好きで、事務所の冷蔵庫に、自分用の取り置きとして常に何個か入れている。

「いいの、いいの、どうせお代は社長からいただくから」

「そ、そうだよね」浅見は、苦笑している。

ジェムクラフトの事務所のスタートは、9時で、併設するサロンのオープンは、10時だ。サロンのオープンまで、サロンの掃除があるが、三人で協力してやれば30分ほどで終わる。

三人は、事務所のテーブルで、美味しいパンとコーヒーでしばしゆったりとした時間を楽しんでいる。

浅見透が経営する「ジェムクラフト」は、豊中市南桜塚にある。阪急曽根駅から服部緑地公園へのびるバス通り「曽根服部緑地線」を曽根駅から暫く歩くと、国道176号にあたる。この国道は、豊中市を南から北に縦断していて、地元では略して「イナロク」とよんでいる。

その「イナロク」を越えてすぐ左側が「南桜塚」地区だ。ジェムクラフトは、南桜塚2丁目にある。そのあたりは、豊中で有名な閑静な住宅街だ。

近くに「あけぼの学園」があり、近くを通ると園児の元気な声が漏れ聞こえてくる。国道176号沿いにあるパン食べ放題「サンマルク」や「ロイヤルホスト」がジェムクラフトから近く、浅見はランチによく利用している。

ジェムクラフトは、いわゆる「ジュエリー工房サロン」である。浅見は、15年前、自宅を改装して、1階を工房兼事務所それにサロンを併設、2階を自身の住居スペースにしている。

庭を半分潰し、駐輪場と車が3台置ける駐車場にした。浅見は、住居を改装するにあたり、自家用車を売り払った。自分の自動車を駐車場に置くと、お客様が置ける駐車スペースが減る。それは避けたい。かと言って、近くに自分用の駐車場を借りるとなると経費がかさむ。

浅見は、決断し、愛車のアメリカ仕様の「ホンダアコードワゴン」を中古車ディーラーに売った。もし休日にドライブしたくなったらレンタカーを借りればよい。浅見は、お客様第一主義を貫く決心をした。

ジェムクラフトは、外からみると、ちょっとシャレた洋館にしか見えない。

「おはようございます」よく通るきれいな声だ。北条理恵が出勤してきた。時計は、9時45分をさしている。彼女は、水曜日から日曜日まで基本午前10時から午後7時までジェムクラフトでパートタイムとして働いている。

いつも判で押したように、拘束時間の15分前に出勤してくる。北条理恵は、接客、販売のスペシャリストで、難関の「ジュエリーコーディネーター1級」に合格している。ただ、ジェムクラフトには、理恵本人の希望で時給制で働いている。ジェムクラフトのオーナー浅見透は、彼女と「時給1000円」で契約しているのだ。

理恵は、月曜と火曜日、自宅マンションで「お花」を教えている。教室は理恵の人柄とその美的センスの良さで口コミで評判になり盛況だ。

実は、北条理恵は、ヒカルの母、宝生麗子の友人だ。麗子も理恵ももともとは、化粧品メーカーのいわゆる美容部員だったのである。麗子と理恵は、同期入社で、理恵は持ち前の探究心と頑張りで数年で会社のトップセールスになった。麗子は、美容部員のランクとしては、中の上あたりでいつもウロウロしていた。麗子は、理恵の頑張りに触発され、いっときは仕事に没頭するのだが、それが長続きしなかった。

トップセールスの仲間入りした理恵は、銀座の百貨店に配属された。その百貨店は、化粧品が売れる店として有名で、各メーカーは、それぞれトップクラスの人材を配置している激戦区だ。

麗子と理恵は、仕事がはねたあと銀座で落ち合い、仕事や会社の不満をサカナによく飲んだものだ。二人ともアルコールに強いタイプで、いくら飲んでも顔には出なかった。

北条理恵は、毎週水曜日、サロンに出社するとエントランスに飾る花をいけるために奥の事務所にある炊事場にいって作業をする。

「おはよう、ヒカルちゃん。ジュエリーコーディネーター3級、一発合格したそうね。おめでとう」

「おはようございます。理恵さんのご指導とアドバイスがよかったからですよ。ほんと、ありがとうございます」

ヒカルは、ダイヤモンド・メレのアソート作業の手をとめて、にっこり笑った。ヒカルは、今インド・メレのカラーをチェックしている。

ソーティングパットに広げたメレをスコップで適量すくい、無蛍光紙でできたダイヤモンド・カラーグレイダーの溝に注ぎ入れ、「デイライト」の光のそばに持っていく。

ピンセットでメレを溝に広げながら、色をチェックしていく。ジェムクラフトでは、メレダイモンドのカラーグレードは、「H」アップを使用するのが社内基準。

この時、ダイヤモンドの鑑定機関のように、カラーグレード用のマスターストーン(付け石)は、使わない。目で覚えている仮想の「H」カラーマスターストーンと比較している。

デイライトは、ダイヤモンドやカラーストーンの色の判別に使用するジェムライト。自然光に近い光を発する。

ヒカルは、「H」カラーより落ちると思うメレを手際よくピンセットてつまみ、ソーティングパットの一箇所に集めていく。同時に「H」アップのメレもひとまとめにしている。いわゆる「ハンドピッキング」だ。

それが終わると、次のメレをスコップですくい、また紙でできたカラーグレイダーの溝に注ぎ入れる。

この作業を繰り返して行なう。通常、カラーの判定は、午前中に行ったほうがいいとジュエリー業界では言われている。カラーの判定は、午前中11時ごろ北側の窓からの採光のもとでやるのが最適とされているからだ。目が疲れていない午前中にアソート作業を終わらせたほうが賢明なのは確かだ。


「ヒカルちゃん、12時過ぎたから、そろそろお昼にしてくださいね」
ジェムクラフトの社長浅見透は、真剣に机に向かっているヒカルに声をかけた。

「ハイ、わかりました。このロットのアソートをやっつけたらお昼にします」
ヒカルは、呼びかけた浅見に振り返ることなく机にかじりついたまま応えた。

今、ヒカルは、メレダイヤモンドのクラリティーとメイク(カット)のアソート作業に真剣だ。

ソーティングパットにほぼ半円に伸ばしたメレーをピンセットで1ピースずつピックアップし、宝石用の10倍ルーペでダイヤのクラリティーとカットを検品し、基準に合わないメレをリジェクションしている。

右肘を机の角に固定。利き目の右眼近くにルーペを持っていき、薬指と中指の間にメレを挟んだところでルーペの焦点が合うようにしている。

「イチ」でダイヤをピンセットで掴み、「ニイ」でクラリティーとカットを判別、「サン」でダイヤをソーティングパットの所定の場所に置く。

ヒカルは、その作業をリズミカルにおこなっている。

このロットは、高級品の脇石に使うもので、クラリティーは、VS2-SI1まで、カットはGoodまでが合格で、その基準より落ちるメレをはじいていく。

ヒカルは、学生時代、御徒町にあった父仁(ひとし)の事務所でダイヤモンド、材料ものの色石のアソート作業のアルバイトをしていた。ヒカルのアソートは、仁仕込みだ。

ヒカルは、今インドメレの50パー(per)のロットと格闘中だ。「パー(per)」とは、ほぼ均一化の重さのメレの1カラット当たりの個数をいう業界符丁で、50パーのロットは、1ピース当たり平均0.02カラットのロットのこと。

ヒカルは、ある一定のテンポで、メレを選り分けている。ただ、少しその手がとまるときがある。ジェムクラフトの基準に合致するかリジェクションすべきか悩むピースに当たったときだ。

ヒカルは、ソーティングパットに大きく三つの円を書いている。品質上問題のないもの、落ちるもの、あともう一つは、どちらか迷うものの三つ。そこに、ルーペで検品したメレをおいてそれぞれの「山」を作っていく。

ボーダーラインに引っかかかったメレは、そのロットのアソートを全てやり終えた後、もう一度時間をかけて検品する。

三つに分けたほうが効率的だし、作業にテンポがでる。作業には、リズム、テンポが必要。そう教えたのは、父の仁(ひとし)。

バンコクメレは、インドメレよりかなり割高だが、上質のメレがロットで揃う。インドメレのトップクラスのロットは、バンコクものに劣らないと言われてきた。しかし、ジェムクラフトは、メレに対して妥協しない。

特に、プラチナやホワイトゴールドの製品には、色、キズ、カットともに上質のメレを使う。脇石(サイドストーン)の良し悪しで、製品全体の完成度が決まるからだ。

「ヒカルちゃん、もう12時半よ」
昼休憩をなかなかとらないヒカルを心配した北条理恵が呼びにきた。

「理恵さん、やっと終わりました」
ヒカルはちょっと力なく返事をした。集中してメレのアソートしていたので、さすがに疲れたのか、両手を伸ばしながらひとつ大きく深呼吸をした。

ヒカルは、アソートしたメレダイヤモンドユニパックにスコップに分けいれ、ロット番号と枝番をふっている。ジェムクラフトで使えるもの、使えないもの、そしてボーダーのものの三つだ。それぞれに仮の枝番をユニパックに書きこんだ。

この後、北条理恵がアソートの練習をするためにヒカルは三つのロットに分けている。理恵は、ジュエリーコーディネーター1級の資格をもっているが、まだまだ素材の良し悪しについては、ヒカルに及ばない。

理恵は、物事に対して貪欲だ。ただ、興味のないものには、さらりとしている。美容部員としてトップの成績をおさめてきたのも、知識や技術の習得に貪欲で、ひと一倍負けず嫌いの性格による。

ヒカルは、一連の作業を終え、事務所の隣のキッチンで、ランチボックスからサンドイッチをお皿にもり、ブラックコーヒーをいれた。

「おっ、ヒカルちゃん、おもしろいサンドイッチだね」ジェムクラフトのオーナー浅見透は、お皿をぞきこんでそう言った。

「パパが朝作ってくれたの。なんでも、大阪風たまごサンドだって」

「そうなんや。相変わらず、まめやね、奴は」

コンコン。

「よう、ここか」
「あら、パパ!」
宝生仁(ひとし)がキッチンに勢いよく入ってきた。

「11月22日、いい夫婦の企画ジュエリー、順調に進んでるか」

「ああ、おかげさんで注文をこなすのに大変やねん、猫の手も借りたいくらいや」と、浅見。

「そうか、そら良かった、良かった」

仁は、ジェムクラフトの商品企画、広報を担当している。東京で培った人脈を生かして、ダイヤモンド、色石などのルースの調達も兼ねている。

「パパ、あのデザイン、石合わせが大変!」ヒカルがぼやく。

「いい夫婦、縁を重ねて」の企画は、円(まる)をふたつ重ねたモチーフのリング、ペンダントのジュエリーの提案。

ただ、単純にラウンドのメレダイヤモンドを使わず、ペアーシェイプとマーキスのダイヤモンドがメインの材料。バリエーションとして、ルビーを使ったパターンも展開している。しかも、価格は、夫婦に引っ掛けて、すべて「22」万円に統一している。

「浅見、オレも値段に見合った材料捜すの苦労したわ、値段もこの品種だと破格のプライスになる」

「せやな、ほんまお客様への奉仕品やで」ジェムクラフトのオーナーである浅見はちょっと苦笑いしているようだ。

終わり。

表題写真撮影及び画像提供 佐野良彦氏

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