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小説:ふたりの翠玉(エメラルド)エピソード6帯留めの製作

宝生ヒカルと佐々木真一のふたりは、ジェムクラフトのミーティングルームで黙りこんでいる。テーブルには、エメラルドの帯留めのデザイン画とCAD原型、ワックス原型、四角のベースとなる黒漆器につがいのトンボを蒔絵で施したもの、カボションエメラルド、そして、マーキースカットのルビーと同じくマーキースカットのガーネットが置かれている。

トントン、ミーティングルームのドアがなった。

「ごめん、ちょっと遅れちゃたね」
北条理恵がそう言って部屋に入ってきた。

ヒカルは、帯留めのアクセントとして使用するために、材料モノのマーキースカットのルビーとガーネットを用意したのだが、ヒカルと真一は、どちらにするか決めかねていた。そこで、未生流の師範で美的センスがある理恵に相談することにし、理恵に連絡をとって意見を聞くことにしたのだ。

「遅れたお詫びに、豊中駅近くのチーズケーキ専門店でケーキ買ってきたから、まず、コーヒータイムにしようか。ヒカルちゃん、コーヒーみっつ淹れてくれる?私は、ブラックでいいわ」

考えや意見がまとまらないときは、コーヒーでも飲んでリラックスしたほうがいい。

さて、今回のオーダーメードの帯留めだが、ベースになる黒漆器につがいのトンボを蒔絵で描いたものは、理恵が用意した。外枠は、真一がCADで作り、中央のS字カーブにナツメの葉とつぼみを描いたデザイン部分は、ジェムクラフトの社長である浅見透がワックスで作った。

カボションエメラルドは、ヒカルと真一が東京で買い付けたものである。長さ6ミリのマーキースカットのルビーとガーネットは、ヒカルが色石の材料モノ専門業者からロット委託で借りてきている。

ルビーかガーネットどちらかに早く決めて、必要な6ピースを仕入れて、残りを業者に 返さなけれならないのだが、ヒカルと真一の意見が一致することがなく、時間だけが過ぎていった。そこで、ふたりは、理恵に相談することにしたわけである。

理恵は、彩色された帯留めのデザイン画をテーブルに広げ、カボションカットのエメラルド2ピースをデザイン画のエメラルドの位置に置き、マーキースカットのルビーをデザインのオレンジレッドに彩色されたデザイン画の位置の上に置いてみた。

ルビーの高品質のものの色を例えて「ピジョンブラッド」と業界ではいう。しかし、鳩の血の色など見たことがある人などほんのひとかけらのひとしかいないはずだ。

想像するに、ピジョンブラッドは人の血よりも鮮やかな色調なんだろう、という印象を持つ。ヒカルが取り寄せたマーキースカットのルビーは、レッドに少しブラックが咬んだ色をしていた。

理恵は、ヒカルと真一に向かってこう言った。

「 エメラルドがルビーに負けちゃってる感じね」

理恵は、ピンセットでマーキースカットルビーをチンボックスに戻し、今度は、同じくマーキースカットのパイロープ ガーネットをデザイン画のマーキースの形状のオレンジレッドの上に乗せた。

ところで、ガーネットは、大きく次の6種類に分類される。

アルマンディンガーネット
パイロープガーネット
スペサルティンガーネット
アンドラライトガーネット
ウバロバイトガーネット
グロシュラーライトガーネット
デマントイドガーネット

ちなみにガーネットの和名は、柘榴石(ざくろいし)。

ガーネットといえば、和名、柘榴石の名から連想して、赤色が一般的であるが、グリーン系ガーネットに、ウバロバイト、グロシュラーライト、デマントイドがある。

専門的な解説は、これぐらいにしておく。

ヒカルが色石業者から取り寄せた、パイロープガーネットは、オレンジがかったレッドである。

「ルビーより、こっちのパイロープのほうが、カボションエメラルドとの相性がいいみたいだけどね」
理恵は、そう言った。

「でしょう、理恵さん、やっぱパイロープだよね。佐々木さんが、エメラルドには、同じ貴石の仲間ルビーがいいに決まっていると言い張るのよ」

ヒカルは、理恵の同意がよほど嬉しかったのか、上気して顔を赤らめていた。

翌日、ジェムクラフトの浅見社長をはじめとした全スタッフによる制作会議が招集された。なんとか、カボションエメラルドふたつをメインストーンとした帯留めの地金部分の鋳造工程に入る。

帯留めは、紳士物のバックルほど場面が大きくはないが、鋳造するにあたって「鋳造 巣」がでないよう配慮が必要である。また、ゴム型ワックスを鋳造する場合、ワックスサイズからの縮みを計算しないといけない。

ゴム型ワックスで鋳造する方法を「ロストワックスキャスティング」という。その工程は、原型 → ゴム型 → ワックスパターン → ワックスツリー → 埋没 → 脱泡 → 乾燥 → 脱ろう → 焼成 → 鋳込み → 鋳型ばらし → 切り取り → 製品研磨 、と意外に複雑である。

今回ジェムクラフトから、鋳造業者に発注するのは、ワックスパターンを数十個作ってキャストする量産品ではなく、一点物であるので、量産品をキャストする中に単独で入れ込んでもらう方法を取る。

地金部分が出来上がったのち、パーツを組み上げロー付けし、石留め工程に入る。

その工程で一番注意するのは、カボションエメラルドの石留めである。エメラルドの硬度は、モース硬度で「⒎5」であり、モース硬度「10」のダイヤモンドや「9」のルビー、サファイアに比べて引っかき傷や石欠けができやすいので、石留めには細心の注意が必要だ。

しかも、エメラルドは、オイル処理をしているので、熱によるオイル抜けがないように取り扱いに対しても慎重を喫する。

石留めが終わると、最終磨きを経て製品が完成する。カボションエメラルドの調達に始まり、黒漆器につがいのトンボの蒔絵、CADとロストワックスによる原型作り、マーキースカットのパイロープガーネットの石合わせ等、ジェムクラフト全員の力を結集した素晴らしい帯留めが出来上がった。

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